揃っていない男

「だから俺には記憶はあるにはあるが、それだけなんだ。『潮江文次郎』という男の人生を知っている、ただそれだけの無関係の人間だ」

 そう主張する文次郎に、仙蔵は複雑な表情を浮かべた。
 今自らの身に起きている状況の説明よりも先にと求めた、文次郎の『潮江文次郎ではない』という発言の意味。ウンザリしながらも説明されたことは、『記憶』はあっても『感情』はないということ。
 仙蔵達は皆『記憶』と共に『感情』も併せ持っていた。それ故感覚的には室町時代からの延長線上にいるようなものなのだが、この文次郎はそうではなく『記憶』のみを持って転生したらしい。
 感覚的には恐らく、『記憶』という名の映像により前世である男の人生を知っているだけの、現代に生きる真っさらな別人なのだろう。現に今目の前にいる文次郎はそう主張している。
 だが。仙蔵は切なそうに目を伏せる。

「それでも私達にとってお前は、『潮江文次郎』なんだ」

 目の前にいる男が『潮江文次郎』ではないと割り切ることは出来ない。今までずっと探していたからというのもあるのだが、余りにも目の前の男が『潮江文次郎』に似ているためだ。
 仕種や口調、容姿。多少の違いはあれども殆どが昔のままで、『潮江文次郎』であると錯覚してしまう。
 己でも『潮江文次郎』に似ていると自覚があるのか、文次郎は「好きにしろよ」と息を深く吐いた。頭を掻きながら仙蔵に流し目を送る。

「他の奴らもそう言って、俺を『文次郎』と呼んでいる。七松に至っては『バレーしよう』と言って来る始末だ」
「そうだろう、私達はずっとお前を待っていたんだ――六人全員で、卒業するために」

 卒業。その単語に文次郎は一瞬目を見張り、ああと納得したように頷く。

「そう言えば『潮江文次郎』は卒業試験で死んだんだったな」

 他人事のように言う文次郎を仙蔵は睨みつけ、だが直ぐに眉を下げた。脳裏に焼き付いて離れない光景が一瞬過ぎる。

「ああ、そうだ。『文次郎』は愚かにも命と引き換えに、私達を守ったんだ」

 忘れもしない卒業試験。その試験に合格した六年い組の名簿に、『潮江文次郎』の名は連なっていない。
 運が悪かった。そう言った者もいた。六年生の卒業試験に選ばれた城で学園が把握していなかった内戦が起き、それに巻き込まれた六年生はそれでも忍務を果たし学園に生きて戻ってきた――『潮江文次郎』の命を代償に。
 「犠牲も時には必要だ」――そう言って『潮江文次郎』は自ら死に神に身を委ねた。「俺の分まで生きようとするなよ」――最後にそう言い残して。

「何故お前は、『潮江文次郎』でないんだ、文次郎」

 目の前の男には迷惑極まりない不快な言葉であるとは分かっている。それでも言ってしまった言葉に、文次郎は目を細めた。カリカリと頭を掻きながら視線をさ迷わせ、あーと意味もなく声を出す。

「俺には『記憶』があるだけだし、お前達の望む『潮江文次郎』にはなれん。すまない」
「……いや、謝るのはこちらの方だ。他の者達も同じように転生していたから、お前もまた同じだと思い込んでいたのだからな」
「……最初はそうだったんだけどな、俺も」

 ポツリと呟かれた言葉に、えっと仙蔵は俯かせていた顔を上げた。然し文次郎は何事も無かったかのように涼しげな顔をして「どうかしたか?」と聞いてくる。

「いや、何でもない」

 余りにも自然なその態度に仙蔵は聞き間違いか、と思い首を横に振った。

20130408
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