三年生を送り出し、一時の間一人になった文次郎は深く息を吐き出した。途端、汗がブワリと溢れ出てくる。激しく波打つ心臓を鎮めるように片手で胸を押さえ、もう片方の手で口を覆いゆっくりと息を吐き出す。 『助けて』 助けを求める声は、より一層大きなものになっていた。 「松平先輩はどこの委員会なんですかー?」 「ナメクジは好きですかー?」 どうしてこうなった。 わらわらと寄って来る一年は組の生徒に笑いかけながら、伸一郎は内心冷や汗を流した。 食堂に行き操られていない子を探している時、ふと度々学園を騒動の渦に巻き込んでいる一年は組がいないことに気付いたので教室を訪れてみたのだが、そこだけ何も被害が無かったかのような子供達の姿があった。突然訪れた伸一郎に驚きつつも、六年は組の生徒であると打ち明けた途端親しげにしてきたので尚更驚きである。 「俺委員会入ってないのー。ナメクジさんよりも幼馴染みが好きだなー」 「先輩の幼馴染みって誰なんですかー?」 「聞いて驚くなよ、潮江文次郎さ!」 「えー!?」 オーバーリアクションで驚くは組の生徒達は大道芸人にもなれそうである。 「潮江先輩の幼馴染みって本当ですか!?」 文次郎の名前を聞いて、一人の生徒が伸一郎の前に飛び出てきた。会計委員の加藤団蔵である。 おうと頷くと、キラキラとした目を向けられた。それも団蔵だけではなく、は組の生徒全員にである。 「潮江先輩って昔からギンギンしてたんですか?」 「潮江先輩の小さい頃ってどんな感じだったんですか?」 「潮江先輩と食満先輩って昔から喧嘩ばかりだったんですか?」 「潮江先輩って……」 「ちょっ、タンマタンマタンマ! 全員一遍に聞かないで潮江文次郎は昔からギンギンに可愛かったから!」 「潮江先輩が可愛い!?」 「めっちゃ可愛いだろうが!」 ウソーッと信じられないものを見る目で見てくるは組の生徒に、伸一郎は大人げもなくムッとした。こうなれば文次郎が如何に可愛いかと一から十まで教えるべきかと考えたが、ここを訪れた理由を思い出す。 「あっ、忘れてたいけねっ。良い子のは組に質問がありまーす」 「はーい、なんですかー?」 「最近身の回りで可笑しなことは起きていませんかー?」 三年生があそこまで悲しんでいたのに、何故この子達は平気そうにしているのか。それを探るべく出した質問に、は組の子供達は顔を見合わせる。 「えっとー、天女サマが降りてきてー」 「でも先輩達が『天女サマは子供が嫌いだから近寄っちゃ駄目』って言って」 「だから近寄らないように気をつけて」 「なるべく会わないようにしてるんですー」 「それ以外変わったことはないですよ」 「あっ、でも三年の先輩が不満そうにしてなかったっけ?」 「あー、そういえば。二年の先輩達は?」 「俺達と一緒で避けてたよ、確か」 「三年生は子供じゃないもんなー」 「子供扱いされたのが嫌だったのかもねー」 「でもご飯の時間遅くなって、もうお腹ペコペコ……」 「そういや、お腹すいたなー」 「ねー」 最終的にお腹がすいたで結論付いた答えに、成る程と伸一郎は深く納得した。 (あいつら、下級生は徹底的に遠ざけてたのか……) よくよく考えれば、後輩を溺愛する彼等が何も手を打たないはずがない。普段関わりの無い伸一郎でさえ、彼等の悲しむ顔は見たくないと思う。 恐らくこの子供達が食堂に居なかったのは、少女に会わない為の彼等なりの作戦なのかもしれない。 こんな時、幼馴染みならどうするか。伸一郎は文次郎が言うであろう言葉を予想し、自分なりの言葉に変える。 「実はその天女サマについて話があるんだ」 「お話ですかー?」 「おう、大切な話なんだ。ご飯食べる前に話したいから、ちょっとついて来てくんね?」 直ぐ終わるからさ、と付け足す前には組の生徒は「はーい」と無邪気に笑い答えた。伸一郎の周りに群がり、早く行こうと促して来る。 小さな手の平に手を掴まれ、伸一郎は優しく握り返した。は組の生徒の歩調に合わせてゆっくりと歩き出す。 「先輩、どこに行くんですか?」 「潮江先輩の風邪は治りましたか?」 「先輩、今日の朝ご飯はなんでしょう?」 先輩、先輩と無邪気な子供達に、伸一郎は肩の荷が重くなるのを感じた。気付かれないよう息を吐き、「そうだな」と笑う。 「取り敢えず、文ちゃんは世界一可愛いな」 「嘘だーっ!」 「嘘じゃありませーん!」 当然と言えば当然の反応に、然し文次郎が世界一可愛いと信じて疑わない伸一郎は大人げない反応を返した。 20130213 prev 栞を挟む next [目次 表紙 main TOP] ![]() |