『助けて』

 脳裏に響く助けを求める声に、無意識に唇を噛み締める。するとピリッと鈍い痛みが走り、口の中に鉄の味が広がった。先程止まった血が再び流れ出したのだろう。

「潮江先輩?」
『助けて』

 保健委員だからか、血の匂いに敏感な数馬がパッと顔を上げた。文次郎の切れた唇に顔をしかめ、ゴシゴシと目を擦りながらも立ち上がる。

「先輩、舐めたら駄目ですよ。余計悪化しますから」
『助けて』
「えっ、そうなのか?」
『助けて』
「そうなんです。あっ、先輩他にも怪我してる!」
『助けて』

 今にも舐めとろうとしていた文次郎を目で制し、他にもないかと視線を走らせた数馬は目敏く手当てされた両手の傷に気付いた。
 それに敏感に反応したのが、直属の後輩である左門である――文次郎が死にかけたのを目の前で見てしまったせいか、会計委員会の後輩達は文次郎の怪我がトラウマになっていた。パッと顔を上げ、皺くちゃな顔で文次郎の首に巻き付きギュウギュウ締め上げる。

「潮江先輩死んじゃ嫌ですーっ!」
『助けて』
「この程度の傷で死ぬかバカタレ! ほらよく見て見ろ! 単なる……あー、擦り傷だ! 手当て済みのなっ!」
『助けて』

 力加減無く締め上げてくる左門に、慌てて両手を見せる。左門は真っ赤に腫らした目で文次郎の両手を見、落ち着いたのかそろそろと腕を離した。それでも文次郎からは離れようとはせず、今度は腰に両腕を回し抱き着いてくる。
 それを見た孫兵が同じように抱き着いてきたので、文次郎は二人の後輩にしがみつかれるという不思議な状態になってしまった。
 どうすればいいか分からず、他の三年生の顔を見る。
 次屋は既に何事も無かったかのように文次郎から離れており、富松と藤内も次屋迄とはいかずとも落ち着きを取り戻していた。その中でも保護者的存在である富松が「すみません」と申し訳なさそうに謝罪する。

「こいつら本当にショックだったみてーで。特に孫兵は、あの人が来てからジュンコが飼育小屋から出なくなってて……」
『助けて』
「ジュンコが?」
『助けて』
「はい。昨日までは竹谷先輩と一緒にジュンコの説得に当たっていたみたいなんすが、竹谷先輩がああなっちまって……」
『助けて』
「うう……ジュンコォ……」
『助けて』

 途切れることのない助けを求める声に、三年生達の声が掻き消されそうになる。
 それでも全神経を集中させて聞いた言葉に、文次郎はどこかでやはりと納得してしまった。
 落ち込んでいる孫兵には悪いが、恐らくジュンコは恋歌の『異常』に敏感に気付き避難しているのだろう。とある存在に守られている飼育小屋にいれば、ある程度は安全を確保出来る。ジュンコの判断は正しいとしか言いようがない。

(まさかこいつ、八左ヱ門が操られたことが悲しいんじゃなくて、ジュンコを説得出来なくなったことにショック受けてんじゃないだろうな……)
『助けて』

 ふと過ぎた予想を、文次郎は無理矢理追い出す。もしこれを問い掛けて肯定でもされれば、竹谷どう顔を合わせていいのか分からない。
 微妙な顔をしつつも孫兵と左門の背中を撫で宥める文次郎に、「そういえば」と次屋が思い出したように聞く。

「上級生でまともなの、先輩とさっきまでいた先輩だけっすか?」
『助けて』
「……そうだな。まだ確認は出来ていないが、今の所恋歌の支配下に置かれていないのは俺と伸一郎だけだ」
『助けて』
「じゃあ先輩、俺達を使ってくださるんっすよね?」
『助けて』
「……次屋?」
『助けて』
「まさかこの状況になっても、俺達を巻き込めないとか言わないっすよね」
『助けて』

 助けを求める声が大きくなる。それは、下級生を巻き込むなという叫びなのだろうか。
 次屋は真っ直ぐな目で文次郎を見つめていた。慌てて止める富松を無視し、恐らくは下級生全員の思いを口にする。

「俺達だって忍たまっす。今の学園の状況を黙って見ていることなんて出来ません」
『助けて』
「……俺はともかく、お前等の先輩は望んでいないと思うが?」
『助けて』
「そんなの操られる方が悪いじゃないっすか。先輩方が操られたから、代わりに俺達が動く。何にも問題はないっすよね」
『助けて』
「三之助! 止めろって!」
『助けて』
「じゃあ作兵衛は黙って見ているのか?」
『助けて』
「それは……っ!」
『助けて』

 助けを求める声と、次屋の声が反響する。潮江先輩、と凛とした声で呼ぶのは誰のものなのだろうか。

「俺達三年生の中にも、あの女の人に操られている人がいます。……正直言うとこの六人以外アウトです。毎日誰かが操られていきました」
『助けて』

 恐怖を押し隠し、不安を押し止め、怒りを顕わにし対等に扱えと訴える後輩。彼等もまた未知なる存在とその力に脅かされ、同じように耐え忍んできたのだ。

「二年生や一年生も同じです。ただあいつらは先輩達の言い付けを守ってたから、まだ大丈夫でしょうけど。――先輩、俺達にもやらせてください。俺達だってあの女の人が憎いんです」
『助けて』

 両方の言葉に、文次郎は静かに目を閉じた。反響する声を無理矢理押し殺し、「いいだろう」と言葉を紡ぐ。

「俺はこの問題が解決するまで、お前達を同胞として扱おう」
『助けて』
「先輩……っ!」
『助けて』
「共にあいつらを助けようじゃないか」
『助けて』

 目を開けると、驚愕の表情を浮かべる三年生の姿が飛び込んできた。文次郎は左門と孫兵を引き離し、その背中を廊下にへと押す。

「今伸一郎に、操られていない下級生を探すよう頼んでいる。お前達も行って、ここに連れて来てくれ。全員が揃い次第、状況確認をしよう」
『助けて』
「……本当っすか? 本当に、俺達も手伝っていいんっすか?」
『助けて』
「何度も言わせるんじゃねえ、次屋。手伝うんじゃない――」
『助けて』

 頭の中で組み立てていた作戦を一から練り直す。三年生を主体とした役割分担を考えながら、文次郎は次屋の頭を乱暴に撫でる。

「――俺達で助けるんだ」
『助けて』

 その言葉に三年生は虚を突かれた表情を浮かべ、次いでその場には不釣り合いだと分かっていながらも、嬉しそうな表情を浮かべた。

20130212
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