【第五話】 シリアス的雰囲気を風呂の中で醸し出した日から、一週間が経った。冷静になり「俺何言ってんのー!?」と布団の中で羞恥に悶えた伸一郎は、この一週間文次郎と会話という会話をしていない。最もこれが二人の学園での普通であり、あの日が特別だった訳だが。 では何をしていたのかと言うと、ひたすら文次郎観察である。その結果、疑問の答えではなく新たな一面を発見した。 その一面を見て、伸一郎は思った。ああ、これもきっと老けて見られる一つの要因なのだ、と。 「今日はお出かけの日ですよ潮江先輩!」 「早く起きてくださーい!」 「お父さん早く! 新作が待ってます!」 「こらお前達、先輩は寝不足なんだから無理矢理起こすな!」 「……」 久しぶりに布団で寝ているお父さん、基文次郎に群がる子供達、基会計委員会の後輩達。それを心底愉快そうに見ているだけの仙蔵。ユサユサと揺さぶり文次郎を起こそうとするその姿を屋根裏から見ていた伸一郎は、思わず遠い目をしてしまった。 (文ちゃんや、思いっ切り休日のお父さんになってるぜ……) 贔屓にしている甘味処で新作が出たらしいので、一緒に食べに行こうと誘いに来たのだが、どうやら会計委員会に先越されてしまっていたらしい。後輩達の目は甘味への期待でキラキラと輝いている。 耳元で騒ぎ立てる後輩達に文次郎の雰囲気が一瞬強張ったが、直ぐに霧散した。息を一つ吐きゆっくりと身体を起こす。 「分かったから騒ぐな、バカタレ」 「先輩早く早く!」 「早く着替えて行きましょう!」 「だから、分かったから服を引っ張るなっ!」 「お着替えお手伝いしまーす!」 「しなくていい! 大人しく待ってろ!」 「はーい!」 元気よくいい子の返事をする後輩達に苦笑をひっそり零す。 文次郎が着替え終わるのを今か今かと待つ彼等にほだされ、今日は譲ることにした。気付かれないようこっそり踵を返す。 〈伸一郎、何か用か?〉 瞬間、矢羽音が飛んできた。六年生の間で使われているものではなく、文次郎と伸一郎の二人だけのそれに、伸一郎は浮かしていた腰を下ろし文次郎に飛ばし返す。 〈甘味食べに誘いに来たんだが、今日は子供達に譲ってやるよ〉 〈お前も一緒に来ないか?〉 〈俺は会計委員じゃないから遠慮しておく〉 〈そうか、なら来週共に行こう〉 〈おう、楽しみにしてる。今日はしっかり子供達の面倒見てこいよ、お父さん〉 〈誰がお父さんだバカタレ!〉 いやお前だよ、と心の中でつっこむ。今矢羽音で返したら、間違いなく文次郎は声に出して怒鳴るだろう。そうすれば後輩達はともかく、仙蔵に気付かれてしまう。 そこまで思いふと、伸一郎は疑問を抱いた。体勢を直し部屋を覗き込む。仏頂面をした文次郎が着替え終わるのを今か今かと待つ後輩達と、それを見ている仙蔵がいた。 (立花が俺の気配に気付かないわけがないよな) 学園一の天才、立花仙蔵が伸一郎の気配に気付かない訳がない。然し彼は不審な目を向けて来ない。伸一郎を害なしと判断したのか、将又気に止める必要がない程格下と見ているのか。 どちらにしろ、仙蔵は伸一郎を見逃すつもりなのだろう。余計な詮索をして後輩達に見つかるのも嫌なので、伸一郎は大人しく部屋に帰ることにする。 〈じゃあな、文ちゃん。また来週〉 〈ああ、じゃあな〉 矢羽音を交わし、伸一郎は静かに文次郎の部屋から立ち去る。 文次郎が大怪我を負ったとの噂を聞いたのは、その日の夜だった。 20121027 prev 栞を挟む next [目次 表紙 main TOP] ![]() |