【第四話】 「保健委員会の子の台詞を借りると、今の状況『すごいスリル〜』だな」 文次郎と共に風呂に来た伸一郎は楽しそうに笑った。だが普段他人の振りをしている幼馴染みの奇行に、文次郎の顔は引き攣るばかり。 「お前本当どうしたんだよ、ホームシックか?」 「あー、ホームシックならぬ文ちゃんシック?」 「うっざ」 「冗談冗談、文ちゃん観察の為だからそんな冷たい目で俺を見ないで」 お茶目な冗談のつもりだったが、文次郎は絶対零度の目を向けてきた。顔に『気持ち悪い』の文字がデカデカとあり、流石の伸一郎も落ち込む。 だが文次郎は気にすることなくさっさと浴場に入って行った。何時もよりも冷たい態度にめげつつも後を追う。 「文ちゃん、背中流しっこしよーぜー」 「ああ、いいぞ」 「さっきまでの冷たい文ちゃんどこいった」 「冷たくされたかったか?」 「私松平伸一郎は甘やかされると育つ人間でございます、だから優しくしてー甘やかしてー」 「あーはいはい、いい子いい子よーしよしよし」 遊んでと強請る子供とそれをあしらうお父さんのような会話をしながら、二人は髪を洗う。先に流し終えた伸一郎が桶にお湯を汲み、文次郎の頭にぶっかけた。 「うおっ!」 「お父さんのシャンプー流してあげるー」 「バカタレッ! 先に一言言わんか先に!」 「はいもう一発いっちゃうぞー」 「人の話を聞け!」 「聞いてる聞いてる」 バシャッともう一発浴びせ、ケラケラと笑う。文次郎は目をつりあげたが、この馬鹿みたいなふざけが久しぶりなのを思い出したのか仕方なさそうに笑った。 今度はシャンプーを流すためにゆっくりとお湯をかける。文次郎は目を閉じそれを甘んじる。 「懐かしいな、こういうの。ちっせえ頃はよくしてたよな」 「途中からお湯の掛け合いに発展していたがな」 「そーそ。それで母上に怒られてさ」 「罰として二人で掃除」 顔を見合わせ二人同時に吹き出す。穏やかな気持ちになっていた伸一郎は、だが文次郎の背中を見て現実に戻された。 ボディソープを手ぬぐいにつけ、文次郎の背中を擦る。その手は僅かに震えている。 「変わったよな、文ちゃん。すっげえ大きくなった」 「お前の方がでかいじゃねえか」 「身長はな。けど俺はお前の背中を見ることしか出来ねえ」 文次郎の背中には前に比べて傷が少ない。否、痕として残るような大きな傷を負っていない。それは彼が敵に背を向けていないことを示している。一方伸一郎の背中には沢山の傷痕がある。怖くなり逃げたことが多数あるからだ。 文次郎は忍務を果たす為になら逃げるという選択肢を迷わずに選ぶが、逃げている最中でも敵から気を反らさず背中という弱点を見せることはしない。 然し伸一郎は文次郎のように恐怖心を拭い去ることが出来ない。敵前逃亡だってするだろう。今こうして学園にいるのは、一重に文次郎が頑張っているからだ。文次郎がいなければ、伸一郎は忍者を目指すことをやめていた。 「お前、遠すぎなんだよ」 ボディソープがつくのも構わず、伸一郎は額を背中に押し当てる。 意外と弾力と柔らかさがあるそれは、彼が忍者に相応しい身体作りをしているからである。忍者は闇に潜む生き物。一目見て『異質』とばれないよう、そして柔軟に対応出来るよう筋肉質であってはいけない。文次郎はそれを忠実に守り、ぱっと見は中肉中背の体つきである。 がむしゃらに鍛えた為筋肉質になった伸一郎とは違い、文次郎は『忍び』を意識しひたすら鍛練している。だからこそ彼は学園一の評価を受けている。 それがどうしようもなく寂しい。最初は隣にいた彼がいつの間にか手の届かない高みにいて、やる瀬ない気持ちになる。 (置いて行くなよ、俺を。頼むからさ……) 口に出せない心の叫びに、この幼馴染みは気付くのだろうか。 段々とマイナス思考になっていく伸一郎に、文次郎は呆れたように息を吐く。 「俺は立ち止まらない、お前の頼みでもだ」 「……冷てえ」 「だからお前が来い、俺の隣に」 「……無理だっつうの」 「無理じゃねえよ、バカタレ」 何を根拠に彼はそう言うのだろうか。いやにハッキリと言う文次郎に、伸一郎は背中から額を離し顔を上げる。 「俺の隣は、お前のものだ」 穏やかな声に、伸一郎は顔は見えないが何となく、文次郎が薄く笑っている気がした。 20121026 prev 栞を挟む next [目次 表紙 main TOP] ![]() |