「天女様、お湯加減は如何でしょう」
「とってもいいわ」
「それはようございました」

 流石落乱と言うべきか、室町といえども風呂は中々に快適である。貴族のように髪を丁寧に洗ったりマッサージまでしてくれるお付きの人がいるので、尚更恋歌はこの入浴時間がお気に入りだった。
 お付きに自ら名乗り出たらしいくの一教室の先生である女が、恋歌の髪を優しく梳く。湯舟に浸かり一日の疲れを取る恋歌は、ほうと息を吐いた。

「もうそろそろ逆ハー展開に入ってもいいかなー……」

 呟かれた言葉に、女は何も反応を示さない。それがより一層ここが夢の中であると恋歌に思い知らしめた。
 違和感のない逆ハーを目指すため、一週間はほど好い距離を取るようにした。ここ数日は本腰を入れるため、嫌いなキャラを除去し好きなキャラとよく会えるようにストーリーを組み立てた。
 そこまでしたので、もういいだろう。キャラ達も十分恋歌に好意的になってきたのだし逆ハー展開になっても可笑しくはない。

「明日から逆ハー生活にしようっと」

 幸せな薔薇色の毎日。ふふっと恋歌は輝かしい明日を夢見て笑う。
 女もそれにニコリと笑い、唇だけで「畏まりました」と呟いた。


*-*-*-*


『助けて』

 誰かの助けを求める声に、文次郎は目を覚ました。ここ数日寝たきりの生活だった為、目の下の隈は薄くなっている。
 身体を起こし自室を見渡す。仙蔵は既に起きているらしく、布団は仕舞われていた。気配を探っても近くに怪しいものはない。気のせいか、と一人呟き起き上がった。

『助けて』

 着替え終え布団を仕舞った時、また助けを呼ぶ声が聞こえた。直に脳内に響くようなそれに、何だと文次郎は顔をしかめる。

『助けて』

 伸一郎かと思い、いや違うと否定する。確かに昨日は部屋を破壊されたり仙蔵に悪戯されて怒っていたが、機嫌を取りに行った時は既に復活していた。今頃クラスメイトの部屋でぐーすか寝ているであろう。

『助けて』

 何より、声が違う。様々な声色で助けを求める幾つもの声が、文次郎の頭の中で反響する。

『助けて』

 寝過ぎて幻聴でも聞こえるようになったのか、と文次郎は耳の上部分を軽く叩いた。伊作に診てもらおうかと部屋を出る。

「もう、からかわないでよ!」
『助けて』
「ふふ、愛い奴め」
『助けて』

 そして、聞こえてきた声に足を止めた。えっと我が耳を疑い、隣の部屋を見る。
 その部屋は、天女に割り当てられた場所だった。前を通る度に嫌そうな顔をしていた仙蔵の顔が脳裏に浮かび上がる。

『助けて』

 この声は、誰の声か。
 この声は、何の声か。

『助けて』

 ガラリと、隣の部屋の障子が開いた。咄嗟に文次郎は梁へと飛び乗った。
 部屋の中から、何時もの南蛮の衣装に身を包んだ恋歌が出て来た。その後ろに続いて出て来た者に、文次郎は息を飲む。

(仙、蔵……!?)

 恋歌と寄り添うようにしているのは、同室の仙蔵だった。どうしてという疑問が沸き上がる前に、また『助けて』と声が響く。

「あっ、恋歌ちゃーん!」
『助けて』
「恋歌、一緒に飯食いに行こうぜ!」
『助けて』
「伊作、留三郎! うん、一緒に行こっか!」
『助けて』

 聞こえてくる声、上級生らしからぬ足音に丸出しの気配。
 パタパタと駆け寄る伊作と留三郎の姿に、文次郎の目が凍り付く。

『助けて』

 まさか、と声無き声で呟く。
 恋歌はとうとう、彼等の意志まで操れるようになってしまったのか。今まで危惧していた術を、彼等にかけてしまったのだろうか。
 ならば、何時。何時恋歌は彼等にかけたというのか。

(俺が、倒れている間に……)

 考えられるのは、文次郎が熱で倒れてしまい、恋歌を邪魔することが出来なかったここ数日間。
 この間に、恋歌は動いたのか。盾を失った彼等に、術をかけたというのか。
 文次郎が倒れたばかりに、彼等は恋歌の手に堕ちてしまったのか。

『助けて』

 騒がしく食堂へ向かう恋歌達が遠ざかるのを待ってから、再び廊下に降り立つ。
 込み上げてくるものを押さえ込むように拳を握り、唇を噛み締める。目を固く閉じていないと、何かが溢れ出しそうだった。

『助けて』

 脳裏に響く、助けを求める様々な声。これが誰の声なのか、漸く文次郎は気付いた。

『助けて』

 これは、四年の声である。
 これは、五年の声である。
 これは、六年の声である。
 これは、恋歌から逃れようと必死に足掻く者達の声である。

『助けて』

 大切な後輩達が、大切な友人達が、文次郎に助けを求める声であった。

20120125
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