文次郎の熱が下がったのは、それから三日後のことだった。 今までの疲れを熱として全て発散した文次郎は遅れを取り戻さんとばかりに鍛錬に行こうとしたのだが、案の定というべきか保健委員長を筆頭とする面子に止められ、もう一日布団の中で過ごすことを余儀なくされた。然し暇をもてあそぶのが苦手な性分であるため、大人しく眠っていることなど出来ず。 「なあ伸一郎、いいだろ?」 「だーめ」 「頼む、伸君」 「……くっ、駄目なものは駄目、だ!」 「むう、ケチ」 「ケッ、ケチッ!?」 見張り役である伸一郎に、文次郎は己が持ちうる技を駆使し共犯になることを持ちかけていた。 普段滅多に言わない言葉に動揺してみせた伸一郎に、文次郎は手応えを感じた。恐らくは愛称呼びが効いているのだろう、頭を抱えてみせたので間違いない。もう一度甘えた声で愛称を呼ぶ。 「伸君」 「っ、だぁあああ! また倒れたらどうするんだ!?」 「もう元気になったから倒れん。それに」 「それに!?」 「倒れても、お前が助けてくれるんだろう?」 奥義『幼馴染みへの絶対信頼』に、伸一郎は崩れ落ちた。プルプルと体を震わせながらも白旗を上げる。 「文ちゃんお前くのたまかよ、俺がそれに弱いの知ってる癖に出すなんて有り得ねー」 「俺としては最終奥義を出さないで済んで良かったがな」 「因みに最終奥義とは」 「泣き落とし」 「何その最強技。それされたら俺なんでもする自信しかないわ」 「通用するのも使用するのもお前だけだ、安心しろ」 「どこに安心すればいいか分からない」 軽口を叩き合いながらいそいそと布団から出て、久しぶりの制服に身を包む。学年で色が違う忍装束の感触に、文次郎は漸く動けまわれることを実感し頬を綻ばせる。 「伸一郎、仙蔵達に見つからない内に行くぞ。今日は裏々山で鍛錬だ!」 「その予定に俺が組み込まれていることにはもうツッコまないからな。立花達に見つかったら俺一人で逃げてやる」 「何言っている、お前も共犯者じゃねえか」 「あれだ、双忍の術だ。文ちゃん囮で俺逃げる!」 「逆だろ、伸一郎囮で俺逃げる」 「俺悪くないし」 「俺も悪くない」 「……仕方ない、ここは妥協案で不運委員長の不運に巻き込まれるプチ不運として定評のある食満を囮にしようぜ」 「いい案だと思うが、然しどうやってだ?」 「食満に喧嘩売られたからって言い訳する」 「乗った」 拳を突合せ、意気揚々と部屋を出る。頭の回転が悪は伸一郎はともかく、普段ならすぐに気付いているだろう文次郎も、鍛錬出来ることへの喜びに浮かれていた為、根本的な問題に気付くことが出来なかった。 「で、二人とも言い訳は?」 「食満に喧嘩売られたから」 「留三郎に喧嘩売られたから」 「二人そろって嘘つかない! 第一ここに留三郎はいないだろ!」 「あそこにいるぞ」 「あそこにいるが」 「あれはアヒルボートの顔! なんで松平の部屋にあるのか不明だけどね!」 「留三郎が見舞いの品で持ってきたらしい」 「然も文ちゃんが寝ている時を見計らって。犬猿の仲なりに心配してたぜー」 「……ああ、うん。すごく納得したよ」 長屋を出て直ぐ、不運にも伊作に見つかった二人は再び逆戻りすることとなった。 部屋の隅に鎮座するアヒルの顔に遠い目をする伊作を尻目に、ひそひそと幼馴染みコンビが相談する。 「どうする文ちゃん、不運委員長に見つかるなんて俺たちも不運じゃね?」 「ここは伊作の不運が発揮されるのを待とう、小平太のイケドンアタックが飛んで来てもおかしくない」 「飛んできたら俺、これから七松のこと七松様って呼ぶわ」 「俺は団子奢ってやる」 「――二人とも、流石の僕でもそこまで不運じゃないからね。というか全く反省してないよね!?」 「いや、お前の不運は折り紙つきだ」 「何で二人ともそんなに息ぴったりなのさ……」 先ほどから異口同音で話す二人に、怒りを通り越して呆れた伊作が脱力した。文次郎と伸一郎は顔を見合わせ、いたずらっぽく笑う。 「何でと言われてもな」 「これが普通だし」 「なー」 「ねー」 クスクスと笑いあう二人を、伊作は不思議そうに交互に見る。未だ幼馴染み同士だとは知らない彼にとっては、実に不思議な光景に映っているだろう。もしこれが仙蔵ならば呆れた目を、長次ならば微笑ましい目を向けていたに違いない。 「よくわからないけど……、とにかく文次郎は休む! 松平にはもう任せられないから僕の代わりに授業に出てね」 保健委員長からの命令です、とビシッと言われ、二人は不満の声を上げた。だが伊作はそれをもろともせず、伸一郎の背中をグイグイ押し部屋から追い出す。 「次の授業は合同演習だから! よろしくたのんだよ!」 「それ単に善法寺がサボりたいだけだろ」 「御託はいいからさっさと行く! ほら行った行った!」 「伸一郎ずるいぞ! 俺も出る!」 「文次郎は駄目! じゃあ任せたよ松平!」 「いや、任せたもなにもここ俺の部屋……」 いい終わる前に部屋から出されスパンと障子が閉められた。中から抵抗する文次郎とそれを許さない伊作の攻防の声が聞こえている。 伸一郎は頭をかき、はあと息を吐いた。確かにこのまま見張り役をしてもまた文次郎に突破されることは目に見えているので、大人しく演習場へと向かう。 その道中、小平太と長次とすれ違った。バレーボールを投げながら意気揚々とどこかに向かう小平太は伸一郎に一瞥もくれず、長次だけが「見張りは?」と目で訴えて来た。それに「善法寺」とだけ答える。長次は納得し、伸一郎から視線を外した。 伸一郎も二人から視線を外しそのまま立ち去ろうとした時、あっと小平太が声を上げた。つられてみれば、バレーボールが空高く舞っている。 「うおっ!?」 ひゅるひゅるとそれは伸一郎の方へと落ちてき、咄嗟に打ち返した。それを長次が「……トス」と上に持ち上げる。 あれ、と伸一郎は首を傾げた。この流れどこかで、とデジャヴ感に襲われる。 「いいトスだ。トスされたら……アタックあるのみ!」 暴君が大きく跳躍する。それに「あー」と伸一郎は納得した。 この流れは、一年は組の騒動に文次郎とその友人たちが巻き込まれる、もしくは進んで巻き込まれに行った時に見られる、一種のお約束的なオチの前振り。 「いけいけどんどんアターック!」 物理的法則が無視された最恐技が、目の前で繰り出される。それは真っ直ぐに幼馴染みと不運委員長がいる己の自室へと向かっていった。 20121212 prev 栞を挟む next [目次 表紙 main TOP] |