水を被ったことにより、文次郎の症状は治る筈もなく余計に悪化した。
 原因である伊作がその看病に名乗り挙げたが、伸一郎はそれを丁重に断り、幼馴染みを自室へと連れて帰り甲斐甲斐しく看病をした。然し熱は下がることなく寧ろ上がり、真夜中を過ぎても文次郎の容態は元に戻らないでいる。

「伸く、伸くん……っ」
「おう、ここにいるぜ文ちゃん」
「あつ、い……」
「こら、布団蹴るなって」

 顔を赤くし苦しそうに呻きながら文次郎が布団を蹴ったので、再びかけ直す。火照る身体に重みと熱さが戻って来、熱に浮されている文次郎は目を潤ませながら嫌々と首を横に振った。伸君、と掠れた声で強請る。
 然し幼い頃から文次郎と共に育ち自称父親である伸一郎にそれが通じる訳もなく、「さっさと寝ましょうねー」と瞼を閉じさせられた。
 むうと文次郎は唸ったが、伸一郎の冷たい手が心地好く素直に目を閉じる。そのままゆっくりと眠りにつき、暫くすると少し辛そうだが寝息が聞こえてきた。
 漸く寝付いてくれた幼馴染みに、伸一郎は安堵の息を吐く。

(文ちゃんがこんなになるのは久しぶりだなー……)

 熱で温くなった手拭いを取り、桶の中で洗う。再び冷たさを帯びたそれを額に置くと少しだけ文次郎の表情が和らいだ気がした。
 髪を手で梳き、その手で頬を撫でる。熱を帯びたそこの熱さが伸一郎の手にも移り指先が熱くなった。この熱が今幼馴染みを苦しめていると思うと、遣る瀬無い気持ちになる。

「頑張りすぎなんだよ、文次郎」

 ポツリと呟き、目を伏せる。
 その時ふと鼻を擽る甘い匂いが漂っていることに気付いた。以前嗅いだことのある、香に近い甘い匂いである。
 無意識に伸一郎は立ち上がり、部屋を出た。そのままフラフラと匂いの方へ足を進める。

「……ん?」

 気付くと、以前一度だけ来たことがある綺麗に整えられた花壇が美しい庭らしき所にいた。それにあれと首を傾げる。

「……あっ」

 辺りを見渡し、伸一郎は蕾だらけの中一輪だけ花びらを咲かしている花を見付けた。近寄ってしゃがみ覗き込うとし、不意に後ろから腕を捕まれた。驚き振り返れば、あの夜に会った女がにこやかな笑みを浮かべている。

「今晩は」
「……どうも」
「今夜も香りに誘われて来たのかしら?」
「……まあ、そんなことっす」
「ふふ、相変わらず面白い子ね」

 可笑しそうに女は笑い、隣に来るとしゃがみ込んだ。その手には小さな瓶を持っている。

「この子、綺麗でしょう?」
「ええ、そうっすね」
「これから他の子も咲いてくるわ、甘い蜜と一緒に」

 女は花の茎を持ち、ゆっくりと垂らした。すると花びらを伝い、トロリとした蜜が流れ落ちて来る。
 その甘ったるい匂いに、伸一郎は顔をしかめた。女は気にせず瓶の中に蜜を入れていく。

「この蜜を使ってお菓子を作ろうと思っているの。何がいいかしら?」
「さー、どうでしょうね。饅頭とか団子とかが無難じゃないっすか?」
「御饅頭と御団子ね。それじゃあ、実技授業の後に食べたくなるのはどっち?」
「水が一番だけど敢えて言うなら饅頭っすね」
「そう、なら御饅頭にするわ」

 ピチャン、と最後の一滴が瓶の中に滴れ落ちる。一杯になったそれに蓋をし、女は立ち上がった。大切にそれを持ち伸一郎に笑いかける。

「有り難う」
「いえいえ、どう致しまして。じゃあ俺幼馴染みの看病しないといけないんで」

 何と無く居た堪れなくなり、伸一郎は踵を返した。急いでその場を離れる背中に女の声がかけられる。

「これから頑張ってね」

 何を、と聞き返すことはせず足をひたすらに動かす。その場を離れることしか考えていなかったせいか、気付くと部屋の前に立っていた。

20121210
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