【第二章】


 褒めろと煩い後輩を黙らせ、留三郎とお決まりの喧嘩をした後、文次郎は食堂へと向かった。理由は夕食をとるのともうひとつ、天女と呼ばれる少女を見るためである。
 相変わらず警鐘が鳴り響いていたがそれを振り切った文次郎を引き止めたのは、意外にも三木ヱ門だけだった。その他の者達は複雑そうな表情を浮かべていたが、文次郎と同じく一度会わないことには何も始まらないと思ったらしく「気をつけろ」とだけ忠告した。
 それでも文次郎一人で行かせるのは気が進まず、立候補した三木ヱ門と推薦された仙蔵も共に行くことになった。その他の面子は長屋で留守番をしている。
 因みに何故三年の長屋に集まっていたのかというと、少女が上級生の所にしか来ないかららしい。それに思わず文次郎が「留三郎と違って健全だな」と呟いてしまい、また喧嘩が勃発したのは言うまでもない。

「先輩、頑張りましょうね!」
「文次郎、しかと盾の役目に励むのだぞ」

 食堂につき、鼻息荒く気合いを込める三木ヱ門と若干背中に隠れている仙蔵に、文次郎は呆れの表情を浮かべた。ただ会うだけなのに大袈裟な、と息を吐く。
 一歩食堂に入り、文次郎はさりげなく周囲を伺った。

(上級生が多いが、これも天女とか言う女のせいなのか……?)

 何時もよりも人が多く集まっているが、制服の色は上級生のばかりである。下級生も疎らに見かけるが、その表情は優れない。
 空いている席を探すふりをしながらカウンターへと歩き出す。途端、文次郎達に気付いた上級生達が視線を向けた。
 そこに含まれているのは、嫉妬、憎悪、嘲り等といった負の感情。
 隠しもしないそれに、文次郎は眉をひそめる。

〈おい仙蔵、これはなんだ?〉
〈取り巻き達の嫉妬さ。あれが来た時からずっとこうだ〉
〈……上級生だというのに色に溺れやがって、軟弱者共が〉

 矢羽音でのやり取りに、文次郎は舌打ちを打った。三木ヱ門がビクリと身体を震わす。

「潮江先輩?」

 恐る恐るいった感じに様子を伺ってくる後輩に、文次郎は何でもないと返そうとし――

「せんぞー、三木ちゃーん」

 ――ひどく甘ったるい声に、ぞわりと背筋に悪寒が走った。ヒュッと息を飲み固まる。
 上級生の群れが二つに割れ、間から少女が現れる。
 以前長次に見せてもらった本の中に載っていた『わんぴーす』という服に良く似た物を、少女は身に纏っていた。愛くるしい顔立ちに笑みを浮かべ、豊富な胸を揺れ動かし三木ヱ門と仙蔵に駆け寄る。

「私の席空いているから、一緒に食べない?」

 話しかけられた瞬間、二人の目が靄がかかったように曇った。だが光は完全に消えておらず、二人は精一杯の抵抗を見せる。

「すみません、僕達は潮江先輩と食べますので」
「今日は他の者と食べるがいい」

 断られ、少女はえっと目を丸くした。どうやら二人しか視界に入っていなかったらしく、文次郎を見て驚いている。

「なんだ、ギンギンもいたんだ」

 ポソリと呟かれた声に、三木ヱ門の眉がピクリと跳ねた。それに気付かず少女がピョンと文次郎の前に踊り出て、はいと手を差し出す。

「本当はしたくないけど、一応礼儀を守ってしてあげる。私は天川恋歌、仙蔵達に会うためにここに来たの。宜しくしなくてもいいからね」

 礼儀を守ってと言う割に礼儀が全くなっていないそれに、仙蔵と三木ヱ門が口を開けようとする。だが術にかかっているのか、パクパクと音無く開閉するばかり。
 文次郎は、黙ったまま少女――天川恋歌の差し出した手を見ていた。その顔はどこと無く青ざめている。だがやはり気付かず、短気なのか恋歌は顔をしかめ、無理矢理握手しようと文次郎の手に伸ばした。
 ザッと文次郎の顔が恐怖に引き攣った。見て分かる程狼狽し、一歩後ずさる。

「さわ、るな……」

 こぼれ落ちた声は余りにも小さく、恋歌には届かない。

「何? 怪しい奴とは握手すらしたくないって? あんた何様のつもりなの」

 文句をいいつつ恋歌の手が文次郎に触れようとした時、横から伸びてきた手がそれを阻止した。

20121112
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