「お帰り、文次郎」
「仙蔵?」

 学園に着くと、珍しい人物に出迎えられた。小松田の横にいる同室の立花仙蔵を見、伸一郎はゲッと呻いたが、文次郎は軽く目を見開いた。
 差し出される入門表を伸一郎に押し付け、仙蔵の前に立つ。

「顔色が悪い、何かあったのか?」

 一年ろ組の生徒程ではないが白い頬に手を伸ばす。
 一見すると普段と変わらないようだが、文次郎には仙蔵がひどく疲れているのが見て取れた。その証拠に、何時もなら叩き落とされる手が一瞬目を細められただけで受け入れられる。
 思わず出迎えという名の逃走をしてしまう程、嫌なことがあったのだろうか。文次郎は気遣う表情を浮かべ仙蔵の頭を撫でる。
 仙蔵はこれまた文次郎の手を受け入れ、ほうと息を吐いた。強張っていた雰囲気を解し「すまない」と小さく呟く。

「まさかお前を見て安心する日が来るとはな……」
「せっ、仙蔵……っ!」

 文次郎は顔を青ざめた。仙蔵が今までにない程追い詰められていることへの驚きと、果たしてそれを自分が解決出来るかどうかという焦りが沸き上がる。
 いいやそれでも出来る限りのことはしなければ、と必死に跳ね退けていると、ツンツンと背中を突かれた。
 振り向けば、伸一郎が不満げな表情でこちらを見ていた。入門表に二人分書いてくれたのか、小松田は何も言わない。

「文ちゃん、先ずは報告。このまま立花の話聞いていたら減点喰らうぜ」
「っ、然し」
「報告までが忍務だろ?」

 じとりとした目を向けられ、思わず怯む。伸一郎の言う通りな為言い返すことも出来ない。

「……分かった。仙蔵、部屋で話を聞いてやるから待ってろ」

 八つ当たりが怖いが仕方ない。文次郎は頭を撫でるのを止め、その細身の背中を押し部屋へ戻るよう促す。
 だが仙蔵は首を横に振り動こうとしなかった。そればかりかギロッと伸一郎を睨みつけ、低い声を出す。

「貴様のせいで私がこのような目に合っているのだ……っ!」
「はあ?」
「私が忍務に出ていれば、あれに纏わり付かれることもなかったと言うのに……っ!」

 おどろおどろしい声に、文次郎は後ずさる。心なしか美しい髪がウネウネと揺れ動いているような。
 対する伸一郎は訳が分からないと言った風に眉をひそめ、仙蔵を睨み返す。バチバチと飛ぶ火花は幻覚であってほしい。

「何だよその責任転嫁。俺身に覚えないんだけど」
「本来なら忍務は私と文次郎が行うはずだった。それを横取りしたのはお前だろう?」
「横取りも何も、俺を指名したのは文ちゃんだから」
「赤の他人の振りをしてきたんだ、指名されても断ればよかろうに」
「残念ながら俺と文ちゃんは学園でも幼馴染みなんでー。断るなんてそんな勿体ない真似したくないんでー」
「散々文次郎を泣かせ傷付けてきた分際で今更幼馴染みとほざくのか。はっ、片腹痛い!」
「文ちゃんを家来のように扱うお前にだけは言われたくねえ!」
「家来じゃない、奴隷だ!」
「なお悪いわ!」
「――……二人共、少し落ち着け、なっ?」

 奴隷呼ばわりされた文次郎は、然し今までのことを思い出し否定出来ないことに泣きそうになりながらも、二人の間に割って入る。
 二人は口をつぐみ、フンとそっぽを向いた。
 文次郎は先ず仙蔵を宥めることにした。伸一郎も後で機嫌取りをするつもりである。

「仙蔵、歩きながらでも良かったら話してくれ。それが無理なら他の場所で聞こう」
「……いや、歩きながらでいい。お前があれに遭遇するかもしれないからな」
「……『あれ』とは一体なんだ?」

 先程も出て来たそれに、文次郎は眉をひそめる。不機嫌そうにしている伸一郎も興味があるのか、耳を傾けている。
 仙蔵は綺麗な顔を歪め、忌ま忌ましそうに吐き捨てる。

「――『天女』だ」

 聞き慣れないその単語に二拍後、文次郎と伸一郎は「はあ?」と揃って同じ反応を示した。

20121102
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