【第一章】


「文ちゃん」

 静寂を破る声に、文次郎は顔を上げた。暗闇を照らす月は隠れており、夜に馴染んでいなければその姿は捉えることは出来ないだろう。
 その点文次郎は夜でも目が利くよう鍛練を重ねている。何より、この声の主を見付けられないはずがない。

「伸一郎」

 万一敵がいても聞かれないよう、掠れた声で呼ぶ。
 幼馴染みの松平伸一郎が闇夜の中から姿を現した。手には彼が得意とする鎖鎌があり、鎖を腕に巻いている。
 伸一郎は文次郎に身を寄せ、口を耳に近付ける。何かあったのかと思い、意識を集中させる。
 そして、フウと、生温かい息をかけられた。

「――……っ!?」
「ははっ、いい反応」
「ばっ、バカタレ!」

 ゾワリと毛を総立ちさせ、耳を押さえ後ろに飛び下がる。ケラケラと笑う伸一郎に怒鳴ると、人差し指を口に当てられた。
 静かに、と口パクで言われる。誰のせいだと叫びたくなったが、然し言われた通りなので渋々口を結ぶ。

〈忍務中に遊ぶなバカタレ!〉

 代わりに矢羽音を飛ばすと、ニヤリとあくどい笑みを返された。全く反省していないそれに、きつく睨み返す。

〈そう怒るなって。忍務も終わったんだからな〉

 返ってきた返事に、文次郎は呆れの視線を向ける。これが留三郎だったら喧嘩に発展していただろうが、相手は幼馴染みである。
 本当に忍者の卵なのかと疑いたくなるそれに、今更怒る気もしない。思えば幼馴染みは昔からこうだった。
 息を吐き、背中を向ける。不思議そうに名前を呼ばれたので、矢羽音で返す。

〈学園に戻るまで気を抜くな。もしかすると、あいつらの仲間がまだ潜んでいるかもしれん〉

 文次郎の傷が治ったのを見計らい与えられた忍務。それは、会計委員会を襲った男の仲間の始末だった。
 本当なら仙蔵と組む予定だったのだが、文次郎が「出来れば六年は組の松平伸一郎と組みたいのですが」と控え目に申し出たのが通り、伸一郎と組むことが出来た。双忍みたいだと喜んだのは幼馴染みには秘密である。
 そして二人で基地に向かい忍務遂行したのだが、文次郎は何か引っ掛かりを覚えていた。

(おかしい、簡単過ぎる……)

 始末が簡単過ぎたのだ。それといって抵抗されることなく、まるで分かっていたかのように敵は文次郎の刃を受け入れた。

(なんだ、この嫌な予感は……)

 心臓の鼓動が速い。何か見落としている気がしてならない。
 慎重に辺りを見渡す。今いる所は、基地である屋敷の最奥にある部屋だ。人がいないか確認しに来ただけなので綺麗なままである。普段は使われていないのか、部屋の中はガランとしていた。唯一部屋の隅に猫の置物があるだけで、家具という家具がない。
 だがそれは他の部屋にも言えることで、文次郎は不思議に思えた。屋敷は仮拠地にするには勿体ない程立派だったからだ。余程物欲が無かったのか、将又他にも基地があるのか。
 少ない情報で考えていると、ポンと肩に手を置かれた。顔だけ向ければ、伸一郎がニッと無邪気な笑みを浮かべる。

〈襲われても、俺達二人なら大丈夫さ。そうだろ?〉

 場に相応しくないそれに、文次郎から毒気が抜かれた。フッと苦笑が浮かべ、肩を下ろす。

〈ったく、バカタレが〉
〈あれ、何か俺可笑しいこと言ったか?〉
〈さあな、自分で考えろ〉
〈文ちゃーん?〉

 なんでと焦る伸一郎の横を通り過ぎ、部屋を出る。月が出たのか、廊下に月明かりがこぼれ落ちていた。

20121101
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