食満留三郎の松平伸一郎に対する印象は、『不真面目』の一言に尽きた。
 学園一の武闘家と名高い留三郎と対等に渡り合える忍たまは数少ない。同学年で言えば、文次郎、小平太、長次、仙蔵位だろう。残念なことに伊作は含まれないが、彼の得意分野はそもそも医学なのだから仕方ない。
 最上級生にもなれば、忍数の関係もあり合同演習が殆どだ。それでも組だけの授業もあり、その際留三郎の組手相手に選ばれるのが、松平伸一郎だった。

 彼が最も得意とするのは、素早さと平衡感覚。特に逃げ足だけは見事と褒め称えてもいいが、それ以外はどうしても見劣りしてしまう。
 そのため、伸一郎が選ばれても留三郎は納得のいく組手が出来ない。真正面から立ち向かってくるのを嫌い、怪我するのを恐れている彼は、決して好めるものではなかった。
 授業態度だけではない。彼の女好きは昔から有名だった。よく一緒に居る忍たまたちも似たり寄ったりだが、彼は一際噂が絶えなかった。曰く、くノたまに手を出して返り討ちにあった。曰く、町娘に二股をかけこっぴどく振られていた。
 その真偽は分からない。だが否定しない態度は、本当に彼が女遊びをしているということを窺わせ――見ていて気持ちのいいものではなかった。
 不真面目。文次郎が度の過ぎた真面目ならば、彼は度の過ぎた不真面目。
 犬猿の相手と対照的な彼を嫌っている訳ではないが、好いている訳でもない。そもそもそこまで親しくもない。
 ただ、もし文次郎がいれば、彼の事を忌み嫌っていただろう……そう考える時はあった。


「――お話の最中、失礼します」

 ――だと言うのに、これは一体どういうことなのだろうか。
 潮江文次郎が連れ攫われたという現場になぜかいた伸一郎が、文次郎の誘拐された瞬間を唯一目撃した彼が、医務室に連行されたはずの彼が、なぜか庵に来ている。
 どういう縁かは分からないが、彼は文次郎と協力して動き回ってくれたらしい。そこからまず信じられないのだが、不思議なことに仙蔵たちは納得しているのでそうなのだろう。

「――なんじゃ?」
「……お渡しするものが出来ましたので」

 室内に一瞥をくれ、三年生を見て目を細めた後、伸一郎は真っ直ぐに学園長を見据えた。周囲の目など意に介せず堂々と中に入ってくるその姿に、その眼差しに、既視感を覚える。

「俺は、俺の大切なものを守る為に、この学園に入った。俺の大切なものがここを大切にしていたから、ずっとここにいた」

 彼は、こんな風に怒りを表していただろうか。
 抑えようとしても抑えきれない、憤怒の炎を身に纏わせ。冷気のような殺気を滲ませ。
 一体、何故。どうして。何のために。
 ――誰の為に。

 そこにいたのは、留三郎の知るクラスメイトでなかった。
 少なくとも、こんなにも誰かを一途に想うような男でなかったはずだった。

「――でもあんた達が切り捨てると言うのなら、もうここに留まる理由は無い」

 伸一郎が、学園長に紙を叩きつける。
 辛うじて見えたそこに書かれていた文字は――退学届、の三文字。

「本日付けをもって、俺松平伸一郎は――退学させてもらう」

 その衝撃は、言い表せられるものではない。
 三年生から悲鳴にも似た声が上がった。仙蔵と伊作が驚愕の表情を浮かべ、小平太が目を丸くし、長次が腰を浮かしている。留三郎もまた、理解するのが遅れてポカンとした表情を浮かべていた。
 忍術学園に通う生徒にとって、『卒業』は非常に意味のあるものである。
 入学は簡単でも、卒業するのは難しい。ここを出ることで晴れて一人前の忍者と名乗ることが出来るため、その道を目指す者ならば簡単に退学は選べない。つまり、六年生になるまでここに残っていた彼もまた、忍者を目指しているということ。
 なのに、彼はそれをあっさりと手放した。大切な者のために、今まで積み重ねてきた物を簡単に崩して見せた。

 ぶるりと、遅れて震えが走る。
 一体誰だと言うのか。こんなにも軽いと言われていた男に、今までの人生を棒に振るってもいいと思わせるような者は。

 ――それは、考えなくても分かる答えだった。
 今学園が助けるか見捨てるかで悩んでいる生徒は、たった一人なのだから。

「潮江文次郎は、俺が迎えに行く」

 それでもその名前に辿り着かなかったのは、無意識に除外していたから。
 あの犬猿の仲の男が、この男と親しいとは思えなかったから。

 言い捨てる様にして踵を返した伸一郎は、誰にも声をかけることもなくそのまま庵を出て行った。その後を弾ける様にして三年生が立ち上がり、追いかける。
 何時の間に三年生とも仲良くなったのだろうか、あのクラスメイトは。もしかすると己は、彼に対する評価を改めた方がいいのだろうか。
 ――いや、それよりも。

「――先を越されてしまったみたいだな」
「……流石は、文次郎の幼馴染だけある……」

 仙蔵と長次の言葉で我に返る。余りの衝撃に長次の言葉はだいぶ聞き漏らしてしまったが、今聞き返す必要はないだろう。
 五人の目が合う。今ここに集まる六年生がすべきことを、予想に模していなかった所から取られてしまった。だが、遅すぎるわけではない。今からならまだ十分間に合う。

「学園長」
「――ウム、好きにしなさい」
「学園の事は、私達にお任せを」

 柔和な笑みを浮かべた学園長が頷き、五年生が揃って頭を下げる。本来なら彼等も同じことをしたいはずだろうが、五年生という立場がそれを引き止めたのなら、見上げたものだ。
 一部の教師も動いているらしく、気配が同じ方に向かっている。
 出遅れたら堪ったものではない、と五人同時に畳を蹴った。

2017/03/02
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