纏わりつく不快感と、どこか心地よい安心感という両極端な感情がせめぎ合い、文次郎の意識はゆっくりと浮上した。
 重たい瞼をあげれば、つい数時間前に入れられた場所と同じ鉄格子の部屋。体を動かそうとし、手首に感じる冷たい感触と鈍い痛み、足首から感じる重みに拘束されていたことを思い出す。
 同時に意識を失う前まで行われていた行為を思い出し、吐き気と苛立ちが同時にこみ上げてきた。かつてない程に意味のない拷問だった。恐らく文次郎の持つ情報の確認をしたかったのだろうが、どこまで耐えられるかを確認されていたのが殆どだった気がする。今回ばかりは、この頑丈すぎる体と精神が恨めしい。
 息を吐き、冷たい壁に背中を預ける。制服は破かれたため意味をなさなくなっているが、裸よりはましだろうと体を見下げ、ふと気づく。
 気を失うまで施されていなかった布が、特に酷かった部分に巻かれている。包帯かと思ったが、感触からして衣服、それもとびきり上等なものだ。引きちぎったのか細さもバラバラで、巻き方もお世辞にも上手いとは言えない。
 一体誰が、と視線を横にずらし、ヒュッと息を飲んだ。

 文次郎の隣で、天女が背中を向け丸まり寝転がっている。

 咄嗟に構えようとし、手足を拘束している鎖に邪魔をされる。ジャラと耳元で鳴る音が一瞬衝動を抑え、新たな情報を追加した。

(服が、破けているだと……?)

 天女の服は、服として機能していなかった。大事な部分が隠れる程度には残されているが、その殆どが破かれて無くなっている。
 その服が今文次郎の体に巻かれているものと同じであることに気付き、えっと文次郎は目を丸くした。

(こいつが、この手当てをしたのか……?)

 あれほど己を忌み嫌っていた天女が、大事な服を破ってまで手当てをしてくれた。
 そんな馬鹿な、と考えを一蹴するが、状況を考慮見るに天女がしてくれたとしか思えない。

「んん……っ」

 眠りが浅かったのか、はたまた鎖の音が思っていた以上に煩かったのか。ゴロンと天女は寝返りをうち、ゆっくりとその瞼を開けた。寝起き特有のボーっとした様子で数回瞬きをし、徐に文次郎に向ける。
 思わず見つめ合う格好になって数秒。その短い時間で覚醒したらしい天女は上から下まで文次郎をじっくりと見、「よかった」と呟いた。

「死んでなかった」
「……頑丈なのが唯一の取り柄だからな」
「こんな地獄でその取り柄を発揮する必要なんて、意味無かったと思うけど」

 先ほどの言葉と矛盾していることを言いながら、天女は体を起こし文次郎の腹を手で触れた。その感触に、その距離感にざわりと不快感が全身を舐める。振り払いたい衝動を歯を食いしばって耐え、不信感を隠さない目を向ける。

「なぜ、こんなことをした」
「……怪我人を放っておくほど、腐ってないわよ」
「お前は俺を嫌っていただろう?」
「……私は、貴方であり貴方でない人が嫌いだったの。それに、たくさん失礼なことをしてきたから……」

 文次郎から目を反らし、それでも離れようとしない天女は、学園にいた頃と様子が変わっていた。
 少なくとも学園ではまるで赤子のような自分勝手さが目立っていたが、今は一気に大人に成長しているように見える。一緒に連れ去らわれて己がここで拷問を受けている間、彼女に何かあったのだろうか。

「お前は、奴らが何をしているのか、知っているのか?」

 ピクリと、天女の肩が震えた。
 数拍後、「知らない」と吐息と一緒に吐き出される。

「私が知っているのは、あの人たちに今までずっと利用されていたこと。それで、あなた達を巻き込んでしまったことだけ」

 ――嘘だ、と文次郎は直感した。
 少なくとも彼らの正体、そして目的を、この少女は知っている。
 然し。文次郎は天女から目を反らし「そうか」と嘯いた。

「何かわかったら、教えてほしい」

 追及しなかったのは、天女が迷っていると分かったから。
 それは恐らく悪意からではない。寧ろ幼馴染の様な、心配故の迷いが見られた。
 何より、天女と多く関わればこの体がもたない。また何時あの拷問が始まるか分からない今、無駄に言い争い体力を消耗させたくはない。
 また落ち着いた時にでも聞けばいい、と再び目を閉じる。気休め程度だが、こうしていた方が体力の消耗も少ない。視界に天女を入れたくない気持ちもあるが。
 無意識に出てくるため息をつき、ゆっくりと体から力を抜く。
 その時、ふと鼻を甘い香りが擽った。

2017/02/25
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