目が覚めると、研究所だった。 【第八章】 雪国でもなく、異世界でもない。否、恋歌からすれば異世界には違いないのだが、どこから見ても研究所にしか見えないのだ。 室町時代にあるはずのない、存在しないはずのコンクリートで出来た壁。カンカンと歩く度に響き渡る廊下。一定の間隔で作られている、なんに使われているのか分からない研究器具が窓から覗える部屋。 手を後ろで掴まれ縛られた状態のまま歩かされる恋歌はそれらを横目で見ながら、前を歩く男の後を黙って着いていく――反抗するという馬鹿な真似をすれば殺されると、本能的に直感したから。 男は一見すると好感の持てる優男だ。柔らかな目元からは人懐こさも窺え、警戒心を与えさせない。彼が肩に担いでいる、少年の姿が無ければ、の話だが。 こっそりと後ろを窺えば、世話係としてよくしてくれた女がニコニコと機嫌良さそうにしている。こちらも穏やかな空気を発しており、いい人にしか見えない――恋歌を拘束していなければ。 (一体何なのよ……これ、どんな夢だって言うのよ……) どこからどう見ても、これは夢の世界だ。大好きな漫画、アニメの世界で気を失ったかと思えば、気付けば得体の知れない研究所。まるで罪人のように拘束連行される様子は、自分の想像とはいえ気分は悪い。悪夢そのものだ。なにより、男が担いでいる少年が―― (しかもなんで、文次郎なのよ……) ――大好きな世界の中でも大嫌いな、キャラクターなのだから。 どうせなら一等お気に入りな仙蔵、もしくは三木ヱ門が良かったと心から思う。そうすれば、女の子なら誰でも夢見る王子様との救出・脱走劇の始まりだ。彼等ならきっと格好よく守ってくれるに違いない。 だが、相手は潮江文次郎というキャラクター。王子様には程遠く、そればかりか恋歌の夢を滅茶苦茶にしてくれた。救出ではなく、断罪を行うべきだろう。キャラアンチ夢など腐るほどある。 (……夢、だよね……) 全ての原因をキャラクターに押し付けることで溢れ出る怒りの炎に、一滴、不安と言う名の滴が零れ落ちた。直ぐに炎によって蒸発してしまったが、一滴、一滴と少しずつ降り注ぐ。 手を縛る感触や鈍い痛み、鼻を刺す嫌な臭い、息苦しい空気。どれもが、夢と言うには生々しすぎた。その違和感が、滴となって炎に降り注いでいる。 ――もしも、これが現実だったなら。 不意に浮かんだ疑問に、恋歌は身震いをして振り払った。あまりにも恐ろしすぎるそれを、本当の自分は病院にいると何度も言い聞かせて追い払おうとする。 「それでは、私は彼を連れて行きます」 「ふふっ、結局一緒に帰って来たわねぇ」 廊下の突き当り、左右への分かれ道でぴたりと男が足を止めた。女もそれに合わせて止まったため、拘束されている恋歌はたたらを踏みながらなんとか立ち止まる。 「興味深くて思わず。君のお気に入りでなければ、彼も連れてきたかった」 「それはダァメ。きっと、これからもっと面白いものを見せてくれるわ」 「貴方の執着心には恐れ入りますよ」 それでは、と男がキャラクターを抱えたまま右の廊下に進む。恋歌もそれに続こうとし、女に手を引っ張られてまたたたらを踏んだ。 「貴方はこちらですよ、天女様。支部長がお待ちですわ」 支部長。これまた現代で聞く単語だ。少なくとも室町時代に似たような役目はあっても、名称が違ったはず。 一体なんなのか、と声を張り上げようとし、だがパクパクと口が動くだけだった。声が出てこない。そんなにも、恐怖を抱いているというのか。それとも――……。 苛正しげに睨みつけてくる恋歌に、女は可笑しそうに笑った。見た目にそぐわない力強さで恋歌を押し、無理やり歩かせる。 「さあ、行きましょう?」 手が、足が痛い。それでも身体は勝手に動き出す。 ギュッと唇を噛み締める。廊下の先にあるものが、恋歌を助けるものとは思えなかった。 2017/02/21 prev 栞を挟む next [目次 表紙 main TOP] |