呼ばれたような、ではない。実際呼ばれていた。

「――松平先輩っ!!」

 三年生の、後輩たちに。
 手を大きく振って駆け寄ってくる、数馬に作兵衛。首に毒蛇を巻きつけて上機嫌な孫兵。それぞれの先輩に引っ張られながらも進んでくる左門と三之助。
 全員が、大好きな先輩を取り戻したはずなのに。もう代わりなんて必要ないはずなのに。
そんなことはお構いなしと言わんばかりに、嬉しそうに伸一郎へと向かっている。

「松平先輩、やりましたよ!」
「皆元に戻りました!」
「俺達の勝利っすね」
「頑張った甲斐ありましたね!」
「これで、元通りですよ!」

 口々に言ってくる三年生に、伸一郎は狼狽える。
 一歩思わず後ずさった身体に突撃してきたのは、藤内だった。

「松平先輩――先輩がいてくれて、本当に良かったです!」

 背中に飛び掛かられ「うわっ」と身体を揺らせば、他の三年生たちも飛び掛かってきた。幾らバランス能力に優れているとはいえ、予期せぬそれは耐え切れず尻もちをつく。
 ギュウギュウと抱きしめてくる温かさに、伸一郎は数回瞬きをした後「あー」と情けない声を上げて天を仰いだ。

「……なんで、俺んとこ来るかなぁ、お前たちは……」
「だって、先輩たくさん助けてくれましたから!」
「潮江先輩がいない間、ちょくちょく各委員会を回っていましたよね?」
「『もう本読みたくない休憩ー!』って言いながら、実は俺達のことを気にしているってバレバレでしたよ」
「何かあれば飛んできて、ふざけながら一緒に考えてくれました!」
「基本ふざけてましたけど、それに結構救われていたんです」
「だから、有難うございました!」

 一体どうしようか、本気で伸一郎は戸惑った。
 嘘のない三年生の言葉に、顔が赤くなるのが感じる。今一事情がつかめていない四年生達はともかく、クスクスと笑っている仙蔵に見られているのも恥ずかしい。
 否、恥ずかしいのではない。非常に――照れ臭い。
 だから耐え切れず、叫んだ。

「――お前ら、そんなこと言ったって俺の秘蔵春画は貸さないからな!」
「いりませんよ!」

 間髪入れずの作兵衛渾身のツッコミに、三年生たちはドッと笑った。
後を追いかけてきた六年生や五年生、四年生、一年生や二年生も集まる中、伸一郎は三年生たちと一緒に笑いあう。

「松平先輩、感動が台無しです」
「いやぁ、てっきり興味が出てきたとばかり。で? 実は興味ある人ー!」
「はい!」
「手を上げるな左門!」

 一年生や二年生からみれば何度か見た光景。上級生からすれば少し異質に映る一人の六年生と三年生の組み合わせ。
 だが、それはもう三年生にとっては『普通』に入ることだったのだ。委員会直属の先輩でなくとも、彼らにとって己はもう『仲のいい先輩』であることを、ようやく伸一郎は受け入れた。
 全員の頭を乱暴に撫でて、喜びを分かち合う。

「――やったな、お前ら!」
「はい!」

 全員とハイタッチを交わし、勝利の余韻を噛み締め――ふと、そこに大事な存在が一つ足りないことに気付いた。
 今頃気づいたことに、伸一郎は愕然とした。

「左門、文ちゃんは?」

 文次郎が、大事な幼馴染がいない。誰よりも大切で、己の命よりも尊い、守ると誓った、弟であり、息子であり、親友である彼が。

「潮江先輩なら、天女様を探しに行きました」
「天女、サマ、を?」

 先程己の名前を呼んだのは、本当に三年生達だったのか。
 己は、彼の声を、聞き逃していないだろうか。

「松平先輩?」

 三年生の、後輩の声が遠い。仙蔵や他の六年生の声も聞こえた気がしたが、伸一郎の利きたい声は彼等のものではない。
 弾ける様にして立ち上がり、駆け出す。

 走って、走って、走って。
 本能のままに、足音を消すという初歩的なことも忘れて。
 ただ、早く行かなければという予感に襲われて。

 そうして辿り着いた先は、文次郎たちの自室がある場所。その部屋の隣から出てきた男と、その男に抱えられた者を見て――伸一郎の視界は赤く弾け飛んだ。

 背中を刺されたのだろうか、べっとりと血が滲んだ忍び服の一部が、丸く破けている。ダランと垂れ下がった手足は、振動のままに揺れ動いて。
 気を失っているその横顔は、伸一郎が誰よりも大切に想う者の。

「――てんめぇらぁああああ!!」

 文次郎だと、悟ったその刹那、伸一郎の怒りが爆発した。

2017/02/15
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