天女はこの学園内で、決まった場所にしか行かなかった。食堂、お風呂、校庭。そして、自室。 今のこの、操られていた者達が開放されている状況。逃げ回っているだろう天女が安全だと無意識に思い浮かべる場所は、ただ一つ。 「――やっぱり、ここにいたか」 「ひっ!?」 文次郎と仙蔵の部屋の隣。天女に宛がわれた部屋。 特に濃い匂いが漂うその部屋を開ければ、中に天女がいた。何もない、ガランとしたその部屋の隅で蹲り、涙を流している。 その姿に、文次郎の体は震えた。久しぶりに感じる恐怖からのそれ。近付いてはいけないと鳴り響く警報。身体の中でどよめく何かが、吐き気と痛みをもたらしている。 それでも。文次郎は何もかもを無視して中に一歩足を踏み入れた。 天女は恐怖に目を見開き、しかし直ぐにキッと睨みつける。 「アンタ、ね……アンタの仕業なんでしょう!? どうして!? どうして邪魔ばかりするの!?」 怒りの方が勝っているその姿に、浮かぶのは哀憐の情。 本当に天女は、彼女は、彼らの人形として扱われていたらしい。 「いきなり、下級生の子達が現れたと思ったら、留三郎や伊作たちが……! 今まで私の事を愛していてくれたのに! なんで奪うの!? アンタには関係ないでしょう!?」 愛を乞う人形。そう男に揶揄された少女は、涙目になりながら文次郎に叫ぶ。 当然愛を失った彼女もまた、傷付いているのだろうか。文次郎たちからすれば自業自得としか言いようがないそれは、彼女から見れば青天の霹靂だったのだろうか。 ――そんなこと、考える余裕なんてないけれど。 「お前は、どうしてあいつらの愛を欲したんだ」 「どういうことよ!?」 「奴らに利用されてでも、欲しかったのか。偽りと分かっていながらも、何時か終わりが来ると分かっていながらも――あいつらからの愛が、欲しかったのか?」 文次郎の言葉に、怯えの色が一瞬少女の目の中を走った。 一歩近づけば、逃げるようにして壁に身を寄せる。頭を抱えて小さくなろうと震える少女の姿の、なんと惨めなことか。夢を終わらせられた少女の行く末は、こんなことでは済まされないというのに。 少女の目の前で足を止め、膝を着ける。身体から異物が込み上げてきたが何とか押し留め、少女と顔を合わせる。 「共に来い。奴らに捕まるよりかは、マシなはずだ」 「奴らって、奴らって誰よ!」 「お前をここに連れてきた者達の事だ。お前は……利用されていたに過ぎない」 「嘘よ!」 「嘘じゃねえ」 「嘘! 嘘に決まってる!」 いやいやと首を横に振る少女に、だからと文次郎は言い募ろうとして、ヒュッと息を飲んだ。 「だって、これは『夢』なんだもん! 私の見ている、私だけの『夢』! 現実なんかじゃない……冷たいだけで誰も愛してくれない、現実じゃないもん……」 ――何を、言っているのだろうか。この少女は。 ヒヤリとした物が文次郎の背筋を走った。 今までこの少女は、奴ら協力しているつもりで、利用されているだけだと思っていた。しかし、それすらも違ったのだろうか。彼女は、本当に何も知らないのか。 「やだよ……こんな夢、見たくない……はやく別の夢に変わってよ……目覚めてよ……」 ブツブツと呟く少女の声は、涙に震えていた。しかしその目からは零れ落ちていない。声だけで、声だけが、泣いていると示している。 異質なそれは、真実少女が人形であることを証明しているかのようで。 ――奴らが本当に、少女を利用しているだけなのだということを、思わせて。 「お前……」 思わず天女に手を伸ばす。 しかしその手が、天女に触れることは無かった。 2017/02/15 prev 栞を挟む next [目次 表紙 main TOP] ![]() |