あちこちで逞しい後輩たちの声が聞こえてくる。
 寝込みではなく正々堂々と正面から挑むことにしたのは、一重に奴らに対する挑発だ。恐らくそうとも取られていないだろうが、やることに意味がある。
 下級生達は、それぞれの委員会の先輩を相手に奮闘している。各々のやり方で襲い掛かり、無理やり饅頭を口に詰めるという非道な手段。だが、それくらいは許されるだろう。許されるべきだと思っている――どんな理由があれ、一度は泣かしたのだから。

「――よう、中在家」

 そんな中、伸一郎は長次と対峙していた。
 図書委員会の子達に頭を下げて譲ってもらった役割。彼を元に戻すその役目だけは、譲れなかった。
 長次の目が伸一郎を向く。だがその目に伸一郎は映っていない。ひたすらに、天女だけを探し続けている。
 伸一郎は深く息を吐き、ずいと一枚の紙を長次に突き付けた。

「お前のせいで、俺はとんだ迷惑を被ったよ。本当、委員会活動って面倒だよな。よくもまぁ、学園の為にあそこまで身を費やすことが出来るもんだ」

 その紙は、図書委員会委員長代理を定める物――操られる前の長次が残した、伸一郎を動かす切り札。
 長次の目がゆらりと動く。表情は変わらないが、その目は雄弁に何かを語っている。
 
「お陰で女の子と遊ぶことも出来なかったし、ひたすら本の読みまくりで活字拒否反応が出そうになったし、文ちゃんも変わらず走り回るし――本当、もう懲り懲り。やっぱり俺には向いてないわー」

 だからさ、と伸一郎は紙を破り捨てた。はらりと床に落ちるそれを、長次は目だけで追いかける。

「――図書委員長、中在家に返すわ」

 ――その出来た隙を、伸一郎は見逃さなかった。
 素早く動き、隠し持っていた饅頭を無理やり口の中に押し込む。んぐっと苦しそうに呻く長次を、ハッと伸一郎は笑って一蹴した。

「吐き出すなよ、図書委員長! それはお前の可愛い後輩たちが真心込めて作ったやつなんだからさ!」
「……っ!」
「それに、本当に文句は尽きることなく出てくるんだよ! だから元に戻ったら、団子の一つ奢りやがれ! 文ちゃんの分も忘れずに!」
「……んっ!」
「それと! それと……あったぜ。あそこに、本の中に手掛かりが。お前のしていたこと、無駄じゃなかったみたいだ。すげぇじゃん、中在家」


 押さえつけていた手を離す。顔は下げたまま上げない、上げられない。

「――有り難う、俺を委員長代理にしてくれて。大切な役目を、俺に譲ってくれて」

 精一杯の、感謝の気持ち。
 羞恥やら何やらで顔があげられない伸一郎の肩に、ポンと手が置かれた。

「……こちらこそ、有り難う……松平……」

 ボソボソと話す声は小さい。それでも伸一郎の耳にはとびきり大きなものに聞こえて、そっぽを向いて顔をあげる。

「早く後輩たちの所に行ってやれ。今頃、五年生を襲っているはずだから」
「……文次郎は?」
「文ちゃんはだーめ! しばらく俺が独占するんだからな!」

 べぇっと舌を出せば、中在家はふっと目元を和らげた。優しいそれに、伸一郎はそっぽを向いたまましっしと手で追い払う。

「さっさと行け――もう、泣かせんなよ」
「……勿論だ……」

 すっと、長次が伸一郎の横を通る。伸一郎は振り返ることなく、長次も振り返ることなく後輩の元へと向かう。
 ふうと息を吐き、目を閉じる。風に乗って届く声が、鮮明に聞こえる気がした。

「これでいい……これでもう、俺は必要ない……」

 先輩、と泣きじゃくる声。恐らく三年生のものだろう。泣き虫だとからかう声は、二年生の物だろうか、いや、一年生も混じっているかもしれない。
 それくらいは勘弁してやってほしい。本当に三年生は頑張ったのだから。先輩を戻す為に、彼らはその実力以上の物を発揮して、後輩たちを守って。
 ――そんな彼らと一緒に過ごした時間は、悪くなかった。

「さて、部屋に戻るか」

 背伸びをして目を開ける。
 踵を返した、その瞬間――伸一郎はその場から素早く飛び去った。

2017/02/10
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