「松平先ぱーい、いらっしゃいますかー?」
「おー、ちょっと待ってな」

 再び文字を追い出してから数時間後、こんこんと小屋の戸がノックされ伸一郎の意識が浮上した。床に散らかる書物を踏まないよう気をつけながら外に出ると、用具委員会三年生の富松作兵衛が握り飯が幾つか乗った皿を持ってそこにいた。
 出て来た松平に、作兵衛は頭を下げてからぐいと皿を差し出す。

「差し入れです。良ければ食ってください」
「おっ、悪いなー。折角だし一緒に食わね?」
「いいんすか?」
「一人じゃ味気無いってものよー」
「それじゃあ、遠慮無く」

 ここ最近で大分伸一郎という存在に慣れたらしい作兵衛が、嬉しそうに笑いながら戸の前に座る。伸一郎もその横に座り、手を合わせてから握り飯に手を伸ばした。それに作兵衛が不思議そうな表情を浮かべる。

「松平先輩は潮江先輩みたいに、長い言葉言わないんっすね」
「あー、文ちゃんはああ見えて信仰深いから。でも俺は全く信じてねえの」
「……潮江先輩って、神様とか信じない方だと思ってました」
「文ちゃん誤解されやすいからなー」

 からからと笑い次の握り飯に手を伸ばす。幼馴染みを思い浮かべているのか、伸一郎の表情は柔らかい。

「文ちゃんってさ、ああ見えてすっげー感受性豊かなの。人の感情、特に負の感情に敏感で……そのせいで好意に不慣れなんだけど」
「ええー……」
「本当だって。ああ見えて実は涙脆いし」
「潮江先輩が泣く……」
「おお、泣くぞー。つい最近も泣いたばっかだし」
「えぇええ!?」

 驚愕の表情を浮かべる作兵衛に、伸一郎は苦笑を浮かべた。幼馴染みを誤解している下級生は彼以外にも大勢いる、下手すると会計委員会以外の全員かもしれない。

「文ちゃんは泣き虫なんだぜー。もし俺に何かあれば、文ちゃん大泣きするだろうなー」
「潮江先輩が、大泣き……」
「ほら、文ちゃん俺のこと大好きだから」
「松平先輩が潮江先輩を、の間違いでしょう」
「違う違う、俺達相思相愛なのよー」

 キャッと照れてみると、気持ち悪い物を見る目を向けられた。口には出さずとも、目で正直に訴える下級生は多い。
 尤も作兵衛の場合、最初は伸一郎の戯言に妄想癖を働かせ青くなったり赤くなったりと忙しかった。それが今では他の下級生と似たような反応を取るまで慣れてしまっている。

「作ちゃん大分俺の扱い慣れてきたなー」
「潮江先輩から、松平先輩の言うことを一々真に受けるなと助言頂きましたので」
「文ちゃん酷い! 俺の楽しい時間を奪うなんて!」
「やっぱりからかってたんすか!」

 ヨヨヨとわざとらしく泣き崩れる伸一郎に作兵衛は憤慨した。顔を真っ赤にさせ怒る後輩に「半分だけね」と悪びれもなく言い、伸一郎は「御馳走様」と手を合わせた。

「俺はもういいから、後はお前が食べなー」
「えっ、でも先輩少ししか……」
「お腹一杯になんと眠くなんのよ。ご飯後の読書なんて俺にとっちゃ睡眠薬だね」
「……よくそれで図書委員長代理を引き受けましたね……」
「ここに学園長秘蔵の春画本があると聞いて!」
「嘘ぉお!?」
「うっそー」

 得意の妄想を瞬時に働かせ信号機のようになっていた作兵衛に、伸一郎はテヘッと舌を出しお茶目さ全開の笑みを向けた。
 伸一郎の言葉を理解するのに数拍かかった作兵衛は「あっ、嘘なんすか」と呆然と呟いた後我に返り、怒りで顔を赤くする。

「松平先輩っ!」
「怒っちゃやーよん」
「怒りますよ! 流石の俺でも怒りますよ!」
「俺富松君には毎日怒られてる気がすんだけど」
「先輩が悪いんでしょう!」

 ガルルルと唸るかのように怒る作兵衛に、然し伸一郎は懲りた様子を見せず軽く笑った。数回頭を撫でてから立ち上がり、引き戸に手をかける。

「明日から気をつけっからさ」
「今から気をつけてください!」
「俺三歩歩いたら忘れる子なのー」
「それって明日からも気をつけるつもりじゃないってことですよね!?」
「よく分かったな富松君よ。これは俺と富松君の心が通い合ったという証拠だね!」
「嬉しくなーい!」
「喜ぼうぜ後輩よ」
「もういいです! 潮江先輩に言い付けてやるー!」

 その台詞を言われたのは果たして何度目だろうか。
 その性格故か律儀にも「調べるの頑張ってくだせえ!」と走り去りながらも言う後輩の背が見えなくなるまで見送った伸一郎は、誰もいないことを確認してから息を吐いた。引き戸を閉め外と遮断する。

「この状況で春画本探しとか、流石の俺でも無理なんだけどなー……」

 先程の冗談が本気に受け止められていたのを思い出し、軽く凹む。確かに女好きではあるが、この状況の中では性欲も失せてしまうものだ。言い換えると、普段であれば飛び付いているということなので、本気に受け止められるのも仕方ないのだが。

「どんだけ色狂いなのよ俺……え?」

 何となしに呟いた言葉が、伸一郎の何かに触れた。嫌に耳に残る、否、何処かで聞いたことがある気がして、記憶を掘り下げていく。

(どこ、どこで、聞いたっけ……)
『この子達の名前、知ってるかしら?』
(……あ、そうだ、花壇だ。花壇の世話してる女の人が、確か、)
『この子達、――って言うのよ』
「この子達、色狂い花って言うのよ……」

 パンッと、伸一郎の脳で何かが弾け飛んだ。途端思い出す、あの不思議な夜の日のこと。
 どうして今まで思い出さなかったのか、その疑問と後悔の前に疑惑が生じた。まさか、と今まで読んでいた書物ではなく、本棚に向かい植物についてかかれた書物を探す。

(ヤバい、ヤバい、ヤバい……っ! 文ちゃん、俺達とんでもない勘違いしてたかもしんない……っ!)

 焦り故か手が震える。今考えていることが裏付けされないで欲しいと、探す手とは裏腹に見つからないことを、無意識に祈っていた。

20131109
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