「カミュ、頼む!」

 文次郎の声に応えるかのように、カミュが双子の前に踊り出た。甲太の足を掴む手に噛み付き、無理矢理引きはがす。途端響き渡る甲高い絶叫に、仁ノ助もまた動く。

「甲太!」

 突然の事態に動けなくなっていた甲太の腕を掴み、無理矢理己の後ろに追いやる。それで我に返ったのだろう、組頭委員長と弱々しい声で呼ばれた。
 「こーた!」「おーた……」と乙太が甲太を支えるようにして寄り添ったのを横目で見届けてから、改めて目の前の光景に目を移す。
 目の前では、女と狼が対峙していた。
 小屋の中で這い蹲っている女の着物は、土に汚れボロボロになっていた。忌ま忌ましそうに狼を睨みつける目の上には青痣が、そこ以外にも殴られたのか所々にあり一部は瘤のように膨れあがり、顔は歪み崩れている。
 そしてその身体は透け通り、地面の色が見えていた。
 これが、と無意識に呟く。
 
「霊、なのか」

 背筋が凍るような悍ましい空気。これが、人ならざる者の気配なのだろうか。
 仁ノ助の言葉が聞こえたのか、女の霊が狼から仁ノ助に視線を移す。

『か……え……せ……』

 その目には、深い憎しみの色が浮かんでいた。憎しみしかない、まるで今までの人生全てを憎しみで費やしてきたかのような、深い深い――何かに対する憎悪。

「先輩、見てはいけません。目を反らしてください」

 不意に、手を温かい何かが包んだ。女から視線を外し斜め下を見れば、文次郎が女の霊に視線を向けながら両手で仁ノ助の手を握っている。
 その温もりに、仁ノ助は無意識に止めていた息を吐いた。文次郎は視線を外すことなく「大丈夫ですか?」と問い掛ける。

「目を合わせると憑かれやすいので、合わせないようにしてください」

 いやに詳しい文次郎に、仁ノ助の中である仮定が生まれた。だが今それを表に出すことなく、言われた通り目を合わせないよう、然し意識は女の霊に集中する。
 文次郎は仁ノ助から手を離し、一歩前に出た。それに林蔵と徳ヱ門が止めようとしたが、小さな呟きに言葉を奪われる。

「俺がもっと早く気付けていれば、この人はここまで囚われなかった……」

 後悔、自責の念に溢れる声は一年生には似つかわしく。仁ノ助の眉間の皺が増える。
 文次郎はいつの間にか甲太が手放していた簪を拾い上げた。途端女の表情が醜く歪み、言葉にならない唸り声を上げる。

「なっちゃん!」
「大丈夫です!」

 双子の心配する声に気丈に返し、文次郎はカミュの隣に並んだ。
 親の仇のように睨みつけて来る女の霊に向けて、ポンと軽く簪を放り投げる。

「お前に返す。これは永久に、お前のものだ」

 簪は緩やかな弧を描き、カランと音を立てて小屋の中に――女の前に転がった。

「逃げてすまなかった」

 文次郎を睨んでいた女は簪を見、血走った目を大きく見開いた。身体を起こし、音にならない声をあげながら簪を手にとる。そこにあるのを確かめるように月光に照らし、我が子にするかのように抱きしめた。その頬を、固く閉じられた目から溢れ出た涙が伝う。

『やっと……かえってきた……』

 そのまま女の霊は文次郎達の前で、簪と共にスウと姿を消していった。


 暫くの間、誰もその場を動こうとはしなかった。
 最初に動いたのは仁ノ助で、無言の間々小屋の中に入っていく。それに漸く他の者達もぎこちなくだが足を動かし、後に続いた。
 小屋の中は酷く荒れていた。外観にしては狭く感じる部屋の一部の壁は壊れており、そこには多くの装飾品が入った箱が散乱していた。
 最後に小屋の中に入って来たカミュが、部屋の隅に行き床を前足で叩いた。それの意図に気付いた仁ノ助が苦無を取り出し、徳ヱ門達もそれにならう。
 徳ヱ門と双子が床の板を剥ぎ取り、全員で剥き出しになった地面を掘った。その間に交わされた会話は無い。
 無心で掘っていると、漸く仁ノ助が「待て」と言葉を発した。無心で掘っていた者達はその言葉に手を止め、土の中を見る。
 うっと林蔵が口を抑え、徳ヱ門は目を反らした。双子は互いの手を握り締め、仁ノ助は目を閉じる。文次郎は、涙を浮かべた。

「ここに、いたんだな」

 そこには、白骨化した死体が埋まっていた。大切に大切に、簪を握り締めたまま。


*-*-*-*


「体育委員長代理に聞きました所、入って直ぐ『狭い』と感じたそうです。そして壁に何かあるのかと思い壊した所装飾品が出て来てきたので、学園に知らせようと目についた簪を手に取ると、女の霊が出て来たと。直ぐに小屋を飛び出して、持っていた簪は投げ捨てたとも言っていました」

 白骨化した死体を見付けてから、早一週間が経とうとしていた。
 あの後学園に戻ると学園長が待っており、直ぐに教師達の手で死体と装飾品の数々は回収された。生徒達には「会計委員会が解決した」とだけ伝えられた為、生徒達は林蔵や文次郎にこぞって詳細を聞きに行った。
 だが二人は決して話そうとしなかった。双子や徳ヱ門、仁ノ助も口を開こうとはせず、事実を知らない忍たま達の間では様々な憶測が飛び交っている。

「女の霊を見た生徒に聞いて回ったんすけど、全員小屋の外であの簪を見付けて手に取ったそうです。そしたら小屋の入口に幽霊が佇んでいたって」

 徳ヱ門に続き話し終えた林蔵は、息を吐き会計室の天井を見上げた。
 ここ最近一人でいると誰かしらに絡まれる為、用がない時でも会計室に来るようにしている。それは他の者達も同じらしく、全員が委員会でもないのに会計室に集まっていた。

「あの女の幽霊、誰だったんすかね?」
「山賊に捕まっていた女性だそうです。装飾品は別経路で売る為に、押し入れの中に隠して壁を造り塞いでいたらしいですよ」
「なんでそんな面倒なことを……」
「仲間内で仲間割れが起きていたので売ればいいお金になる装飾品を一人占めしようとしたと、捕まえていた山賊が白状したと先生方は仰っていました。全員始末せず何人か捕まえていたのが、こうを奏しましたね。
 それと、彼女だけでなく他の方の死体も見付かったそうです」
「……こういっちゃあれっすけど、胸糞わりいすね、何か」

 このご時世仕方ないことであるとは分かっているが、込み上げる不快感を消し去ることは出来ない。
 ハアとまた息を吐く。再び静寂に包まれたそこを破ったのは、文次郎だった。

「先輩方、申し訳ありませんでした。俺のせいで先輩方を、この学園を巻き込んでしまいました」

 あの日のように、文次郎の目に下には隈は無かった。顔色も悪くなく、体調は元に戻っていると窺える。
 だが、そこに何時もの笑顔は無い。強張った表情が最近の彼に張り付き離れようとしない。

「体育委員長代理があの女の人とあった日、俺の夢にあの人が出て来るようになったんです。あの人はずっと、探してほしいと俺に頼んできました。でも俺は怖くて、怖くて仕方なくて、夢を見たくなくて逃げてました。
 そのせいであの人は簪を、宝物を見付けられなくて、こんなにも、大事になってしまって――」

 床に減り込むのではないかと思うほど額を床に押し付け、文次郎は謝罪する。その身体が震えているのは、涙を堪えているからだろうか。

「俺、昔からずっと妖怪とか幽霊とか『視え』るんです、だから、あの女の人も俺に頼ってきたのに、気付けたはずの俺が、逃げたから……っ!」

 その告白に、やはりと仁ノ助の中で仮定が成立した。
 予想通り、文次郎は見鬼の才を持っていた。然しそのせいで巻き込まれたとは、全く思っていない。
 寧ろ、仁ノ助達は文次郎に助けられたと言ってもいいだろう。甲太が霊に捕まった時に実際助けたのはカミュだが、そのカミュを動かしたのは文次郎の言葉だ。女の霊に呑まれかけた仁ノ助を引き戻したのも、女の霊に簪を差し出したのも文次郎である。
 文次郎がもしあの場にいなければ。そう考えるだけで背筋が凍る思いがする。
 然しそれをこの後輩に言っても、頑なに受け取ろうとはしないだろう。何せ文次郎が『逃げた』ことは事実なのだから。
 それが他の者達にも分かっているのか、全員が仁ノ助に目を向けている。
 仁ノ助は深く土下座をする文次郎に視線を向け「近い内に」と言葉を紡ぐ。

「花の種を、蒔きに行こう」
「……えっ?」

 唐突な言葉に、文次郎はパッと顔を上げる。その目は充血し腫れぼったくなっていた。

「あの小屋は今取り壊されている。その跡地に、彼女達への弔いとして、花の種を」

 何時もと変わらない表情で宣う仁ノ助に、文次郎は目を丸くする。だがその意味を悟り「はい」と漸くその顔に笑みを浮かべた。


*-*-*-*


「委員長、ここには何の花の種蒔きますか?」
「……好きなのを蒔けばいい」
「ヒマワリがいいでーす!」
「あっ、こら双子! 勝手に蒔くんじゃねえ! そこは冬に咲く花の種埋めてんだぞ!」

 殺された人々の怨念が残るそこに花の種を蒔く人間の子供達を、カミュは遠くから眺めていた。
 その中でも人一倍張り切って、心を込めて種を蒔く子供――文次郎を見、愛しそうに目を細める。
 文次郎はあの日、女の霊が夢に出て来ると相談しに来た。縄張り内で人の魂が留まり一部が悪霊化しているのを手下達から報告されていたので、直ぐに文次郎を悩ませている霊がそれであると気付いた。
 カミュは直ぐにでも、魂ごと喰らうつもりだった。悪霊化していても所詮は人間。ほんの一瞬で始末することが出来る。
 それを止めたのが、当の本人である文次郎だった。成仏させたいのだと、寝不足と体調不良で疲れきった顔で女の霊を案じて。

「そういや文次郎、あのカミュって狼、なんで幽霊に噛み付けたんだ?」
「えっと、カミュは狼じゃないからなんです」
「……ん?」

 そして文次郎は女の霊を救った。悪霊化している幽霊を、成仏へと導いた。
 また、今子供達が蒔いている種も今だ残る死者の魂を慰め癒し、花を咲かせる頃には成仏へと導くことだろう。そうしてその土地に残った恨みの感情は消えていく。

「カミュ、この山全域の主である妖狼なんです」

 人が生み出した怨みを、人が消していく。
 これだから人というのは計れないと、子供達の驚く声を聞きながらカミュは笑った。

20130520
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