【第九話】


 忍務を無事終わらせた伸一郎は、報告を終わらせた足で文次郎の部屋に向かっていた。
 これから先生方が報告を元に策を練り、それを忍務として卵達が執行するだろう。その卵は文次郎であってほしい。そうすればこの戦は、伸一郎と文次郎の二人でやり遂げたことになる。未来への第一歩だ。
 その為にも、やらなくてはならないことがある。
 文次郎の部屋に着いた伸一郎は、一呼吸置いてから障子を開けた。

「潮江文次郎ー!」
「何だ?」
「……バカタレって返してくれないと、勢い削がれるんだが……」
「ばかたれ」
「何と言う棒読み」

 部屋の中には文次郎一人だけがいた。同室の仙蔵はいない。覚悟を決めてきたので居ても良かったのだが、やはり居ないほうが安心する。
 障子を閉め中に入る。文机に向かう文次郎の後ろに座ると、筆を動かしていた手を止め振り向こうとした。それを止めやせ、背中に額を当てる。まだ包帯が巻かれているのか、凸凹した感触があった。
 後輩を庇った際背中を傷付けられたと聞いている。深かった為、一生消えない跡になるだろうとも。
 それがどうしようもなく悔しくて、だが同時に嬉しさも感じた。それが何故なのか、分かっている。
 伸一郎は目を閉じ、心を落ち着かせた。醜い心を吐露するのは恥ずかしいが、今まで文次郎にしてきたことを考えると自然に言葉が出て来る。

「忍務中、ずっと考えてた。どうして俺、お前と他人の振りしだしたんだろう、とか、これからのこととか」
「……忍務中とはいただけないが、興味ある内容だな」
「長くなるけど、いいか?」
「聞かせてくれ」

 面と向かって言えないことに気付いてくれたのか、そのままの体勢で文次郎は促した。
 額から伝わる体温に早くも涙目になりながらも、あのなと伸一郎は語る。

「悔しかったんだ。お前に置いていかれるのが、悔しくて仕方なくて、それで」
「おう」
「悲しかった」

 唇を噛み締め、思い出す。
 天才達が文次郎の周りにいて気が引けるからではない。それは単なる都合の言い訳にしか過ぎない。
 本当は、己を置いていく文次郎に嫉妬していたのだ。

「食満は武術の天才、善法寺は医学の天才、七松は超人的身体能力の持ち主、中在家は七松を抑えられる身体能力と聡明な頭脳の持ち主、立花は天才中の天才だ」
「ああ、そうだな」
「だけど、お前は違う。お前は俺達と同じ『凡人』だった」
「そうだ、だから俺は鍛練をしているんだ」

 凡人と称されたことを怒ることなく、文次郎は肯定する。
 文次郎は入学して直ぐに分かった、己に忍の才能がないことを。周りの友人達のように一芸に秀でている訳でもなく、これといって優秀でもない。当然ながら先生達にも注目されることはなかった。
 だが文次郎は諦めなかった。人の何十倍もの努力を重ね『凡人』から『秀才』へとのし上がり、ついには『学園一』にまで上り詰めた。それでも鍛練を止めないのは、鍛練をしていなければ直ぐに友人達に追い越されると分かっているからである。
 毎日のように鍛練に励んでいても、自分よりも鍛練量が少ない留三郎とは互角。小平太の超人的身体能力には追い付けない。長次は座学で勝っても知識の豊富さでは負けている。仙蔵には勝てるものがない。伊作には元より勝とうと思っていない。
 一日でも怠ければ、今以上に差が出てしまう。天才だろうが何だろうが負けたくない。その一心で文次郎は鍛練を止めない。

「それが、嫌だったんだ」

 だがそれを、伸一郎は否定した。

「お前は、努力すれば天才にも負けないことを身を呈して証明した。そして俺達は、努力することを余儀なくされた」

 知っているか、と伸一郎は自虐的な笑みを浮かべる。一瞬震えた文次郎の背中が、小さく見えた。

「立花達を見習えって言われても、あいつらは天才だからって言い訳が聞く。だけどお前を見習えって言われたら、俺達は何も言い返せなかった。お前が俺達と同じ『凡人』だったから」
「……それ、は」
「分かってる。これは完全に八つ当たりだ。でもな、俺達がどれだけ努力してもお前に劣るこの虚しさ、分かるか?」

 努力しても、文次郎に勝てない。同じ『凡人』であるはずなのに、同じ『努力』をしているはずなのに、何時も負けてしまう。
 その度に感じる、出来上がった文次郎との差。それが悔しくて悲しくて、恨めしかった。

「俺はお前に嫉妬した。怒った。悲しんだ。どうして俺を置いていくんだって。だから――他人の振りをすることにした」

 他人なら気にしなくていい。他人なら置いていかれても構わない。何より、他人になれば文次郎が戻って来てくれるのではないか。そんな期待を抱いて。
 結局、文次郎は戻ってくるどころか追い付けない場所にまで行ってしまったが。

「くだらねえだろ? こんな身勝手な理由で、俺はお前を傷付けていたんだ」

 だから思う存分俺を嫌ってくれ。
 自虐的な笑みを浮かべながら、伸一郎は浴びせられるであろう罵声に耳を澄ませる。
 だが文次郎の口から、予想していた言葉は出て来なかった。

「俺が鍛練をしだした最初の理由、知ってるか?」
「……はっ?」
「俺があいつらに負けなければ、お前もやる気を出すんじゃないかって思ったんだ」

 言われた言葉に脳の機能が停止する。体を起こすと、文次郎がくるりと振り返り己を見た。
 その目は涙を堪えるかのように、揺れ動いている。

「悔しかった、留三郎がお前を馬鹿にするのが。お前がそれを甘んじるのが。俺は、お前のその諦めが嫌だった」
「……文、」
「だから強くなって、ここまで出来るんだって示して、お前にやる気を出してほしかった。けどお前は他人の振りをするようになって……」

 ポロリと、大きな雫が文次郎の頬を横切る。一つ、一つ、また一つと増えていき、一筋の流れになった。
 ああ、と伸一郎は胸を痛めた。文次郎を抱き寄せ「ごめん」と謝罪する。

(俺、本当大馬鹿者)

 文次郎は伸一郎のことをずっと思っていたのだ。それなのに気付かず嫉妬し傷付けた。
 昔のように涙を押し殺し身体を震わせる文次郎を撫でながら、伸一郎はそっと目を伏せる。
 幼馴染みの気持ちを知った今、気持ちはより一層固まった。もう六年なので遅いだろうが、それでも頑張ろうと思う。

「俺、諦めないから。鍛練も沢山して、座学も頑張るから」
「……」
「だから何時か、俺と双忍になってください」
「……双、忍?」

 パチクリと赤く充血した目を文次郎は丸くした。伸一郎は頷き、ずっと考えていたことを吐露する。

「俺とお前は幼馴染みで、ずっと一緒にいるって思ってた。けど忍者になればそうはいかない。だから俺なりに考えてみてさ、文ちゃんの双子先輩達みたいに双忍になればいいんじゃないかって……」
「……」
「いっ、嫌なら別にいい! 俺はお前より全然弱いし足引っ張るって分かってる! でも必ず追いついて見せるからさ!」

 文次郎が顔を俯かせたので、嫌がっていると思い伸一郎はあわてふためく。忍務中に閃いたそれはとてもいい案のように思えたのだが、文次郎にとってはそうでもなかったのだろうか。
 残念に思ったが仕方ないかと諦めた時、ぱっと文次郎が顔をあげた。

「いいな、それ」
「……へっ?」
「『双忍』になろうじゃねえか」

 ニッと笑う文次郎の目からは、いつの間にか涙はひいている。
 言われたことを頭の中で反復していると、伸君と愛称で呼ばれる。

「お帰り、明日甘味な」

 ふわりと無邪気に笑う文次郎に、伸一郎は数回瞬きをした。次いで同じように笑い、おうと応える。

「ただいま、文ちゃん」

 文次郎の頭をくしゃくしゃと掻き混ぜ、顔を覗き込む。二人視線を交わせ、子供の頃のように笑いあった。

20121030
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