※文次郎の我が儘を聞く会計 それは他意のない、無邪気な問い掛けだった。 「文次郎の所はどこか遊びに行ったりとかしねえのか?」 「えっ?」 だからこそ、鋭い刃となり心を切り裂き。 「馬鹿だな留三郎、会計委員会が遊びに行くわけないだろー」 「……地獄の会計委員会には、休みはないと聞く……」 「でもそれって何か寂しいよね。先輩達に連れていってもらえないなんて」 「文次郎、今度言ってみたらどうだ? 遊びに行きたいと」 深く深く食い込んで行き。 「えっ、あれ、文次郎どうし……」 「あっ、泣いた」 「留三郎がまた泣かした」 「俺じゃねえ!」 泣き虫で有名な子供の涙腺を、あっという間に崩壊させたのだった。 末っ子の我が儘 今日も今日とて会計委員会が活動に励む会計室。何時もなら玉を弾く音が響くそこに、今日は別の音も合わさり鳴り響いていた。 グスグスと鼻を啜る音が妙に耳に残り、四年生の御園林蔵はコソリと五年生に耳打ちする。 「あれ、どうしたんすかね?」 「さあ……? また食満君に泣かされたのでしょうかね?」 五年生の小田徳ヱ門ははて、と首を傾げ長い前髪に隠れて見えない目を瞬かた。その顔には何時ものように柔和な笑みが浮かんでいる。 「然しそれでしたら、私に言うでしょうし……」 実際は言わせているに近いのだが、それを指摘する程林蔵は愚かではない。そっすよねと相槌を打ち、涙を堪えている一年生――潮江文次郎を窺う。 この後輩は泣き虫で有名だが、委員会活動で泣くことは滅多にない。また、委員会に来た時から既に泣いていたので恐らくはその前に何かあったのだろう。 その理由を、林蔵達は知らない。普段なら問い掛ければ素直に答える文次郎が、今日に限って口を開こうとしなかった為だ。 そのお陰で殊更文次郎を可愛がっている偏食悪食で有名な三年生の蓬川甲太・乙太の双子はソワソワと落ち着き無く文次郎の様子を窺っており、中々帳簿が進んでいない。徳ヱ門は普段通りのペースだが、意識は文次郎に向いている。かく言う林蔵もまた、後輩が気になって仕方ない。 そんな浮ついた雰囲気に、お叱りの声が飛ばない訳が無く。 「――文次郎」 「ひゃっ、ひゃいっ!」 地獄の会計委員会創立者である六年生、浜仁ノ助が重たい口を開いた。 「どうして泣いている」 昨年度結成されたこの委員会を構成する面子は、全員が以前は他の何かしらの委員会に所属していた。それがこうして一つの委員会に集まり固い絆で結ばれているのは、一重に仁ノ助の存在の為と言っても過言ではないだろう。 仁ノ助の狂信者である徳ヱ門は元より、初めは嘲りしか持っていなかった林蔵も、人嫌いで他者を受け入れようとはしなかった双子も、今では仁ノ助を誰よりも敬愛している。文次郎もまた仁ノ助の在り方に憧憬の念を抱き、崇拝にも似た感情を向けている。 その仁ノ助の問い掛けに、文次郎はひくりとしゃくり上げた。泣いたせいで腫れぼったくなっている目を伏せ、口を真一文字に結ぶ。 「なん、でも、ありま、せ……」 「文次郎、お前は理由も無しに泣いていると言うのか」 「……違い、ます」 「ならば何故泣いている」 一見するときつい問い掛けだが、仁ノ助だから仕方ないと言えよう。会計唯一の常識人である林蔵は「委員長それだと文次郎余計言えなくなると思うんすけど……」とボソリと呟いたが、ニッコリと笑う徳ヱ門によって黙殺された。 敬愛する仁ノ助の追及に、ポタリと文次郎の目から再び涙が溢れ出す。 「おっ、俺が、わるくて……」 ボロボロと溢れ出す涙を袖で拭いしゃくり上げながら、それでも文次郎は固く閉ざしていた口を開いた。仁ノ助はそれを見つめながら続きを促す。 「今日、とめさぶろーが委員会のせんぱい達と遊びに行ったって、じまんしてきて……」 「……」 「そしたら、他のやつらも遊びに行ったって話しだして……」 「……」 「おれだけ、何もいえなくて、そしたらとめさぶろーが……」 ここで文次郎の涙腺が本格的に切れ、本格的に泣き出してしまった。こうなっては話処ではなくなり、仁ノ助は黙って文次郎を膝の上に抱えその背中を撫でて宥める。 仁ノ助にしがみつき泣きじゃくる文次郎を眺めながら、つまりと徳ヱ門がまとめる。 「食満君に委員会を馬鹿にされた、ということでしょうか」 「でも僕達、なっちゃんと遊びに行ったことあるよ?」 「僕とこーた、なっちゃんの三人でねー」 「それは委員会で、という訳ではありませんからねえ。私も文次郎と町に出掛けたことはありますが、委員会ではありませんし……」 「そういや委員会でってのは今まで無かったっすね」 実は個人的に文次郎を連れて遊びに行っていた各々。彼等としては仁ノ助が全員で仲良くお出かけ等するはずがないと思っての行動だったのだが、やはり委員会全員での方が文次郎は嬉しいのかと悩む。 そんな中、委員会は言わずもがな、個人的にも文次郎を遊びに連れていかなかった仁ノ助は一人沈黙を貫いていた。それに呆れているのかと林蔵が不安に思った時、文次郎が小さな声で「ちがいます」と否定した。 「そうじゃ、ないんです……」 「食満君に馬鹿にされたから、ではないのですか?」 「とめ、留三郎は馬鹿にしてません。俺が、悪いんです……」 仁ノ助から顔を離し、ズビズビと鼻を啜りながら文次郎が首を横に振る。 「俺は、泣き虫で弱いから、遊びに行く暇があるんだったら、鍛練しようって思ってるのに、ちょっとだけ……あいつらが羨ましくなって、そんなこと思った自分が、情けなくて……」 そしたら、涙が止まらなくなって、余計情けなくなって。 そう続けた文次郎は、目に見えて落ち込み「ごめんなさい」と謝罪した。 どうやらこの後輩は自己嫌悪に苛まされていたらしい。自己嫌悪に嵌まり泣くのは常のことではあるが、その理由が理由なだけに林蔵と徳ヱ門は呆れと微笑ましさが入り混じった表情を浮かべた。双子はどうして文次郎が謝ったのか理解出来ず、顔を見合わせ首を傾げている。 やはり一人だけ表情を変えることはなかった仁ノ助は、ポンと文次郎の頭に手を乗せた。そのままぎこちなく数回撫で、文次郎を膝の上から降ろす。 「徳ヱ門」 「そうですね、ここ数日天気も良いですし、ピクニックは如何でしょうか? 林蔵達はどうです?」 「えっ、何の話っすか?」 「勿論、今度の休日の話ですよ」 目の前で行われるやり取りに、撫でられたことに目をパチクリとさせていた文次郎はえっと声を上げた。林蔵もキョトンとし、双子はいち早く察し顔を輝かせる。 「皆でお出かけですかー?」 「鉄粉お握り持っていっていいですかー?」 「甲太と乙太の分だけならいいですよ。全部に振り掛けてはいけませんからね?」 「はーい」 「なっちゃんの分も作るからねー」 「さっちゃん先輩もいりますかー?」 「いらねえ、てかさっちゃん呼ぶな悪食双子!」 「……あ、あの、先輩方、俺は別に……っ!」 何時もの双子と林蔵の一方的な口論に我に返り、文次郎は慌てて気を遣わなくていいと言おうとする。全員でお出かけしたいという気持ちは少なからずともあるが、己の我が儘に付き合って貰おうとは微塵にも考えていなかった。 だが、徳ヱ門に人差し指を口に当てられ噤む。 「毎日鍛練していては、身体に悪影響を及ぼします。たまには休息も必要なんですよ、文次郎」 「徳先輩……」 「いーじゃねえか文次郎、お前はまだ一年生なんだし、先輩の好意に甘えとけって」 「林先輩……」 「なっちゃん、何して遊ぶ?」 「たくさん遊ぼうねー」 「こーた先輩、おーた先輩……」 我が儘を言ったことに対して怒るのではなく受け入れてくれた先輩達に、文次郎の目が再び潤む。 「有り難う、ございます……!」 ふにゃっと溢れんばかりの笑顔を浮かべた文次郎に、同じように微笑み返し。 可愛い後輩の笑顔に仁ノ助もまた、一瞬だけ口角を上げた。 20130320 prev 栞を挟む next [目次 表紙 main TOP] |