※文次郎とカミュ(妖狼)の出会い


 ピィーッと空に鋭い音が響き渡る。それに合わせるかのようにして、一匹の鷹が姿を現した。優雅な翼を広げ空を数回旋回した後、緩やかに下へと舞い降りて来る。
 口笛を吹いていた男が腕を差し出すと、その鋭い爪が刺さらないようにして鷹はそこに留まった。羽を折り畳み、小さく喉を鳴らす。

「凄いっ! 凄いです先輩っ! 格好良いですっ!」

 その圧巻とも言うべき光景を間近で見ていた一年生の潮江文次郎は、興奮に頬を紅潮させキラキラとした目で男を見上げた。男はそれに照れ臭そうに笑い「サンキュ」と礼を言う。

「コイツが俺の……まあ、相棒だな。鷹の『サクラ』だ」
「女の子ですか?」
「ああ。今日はサクラと一緒に教えるぞ」
「はいっ! 宜しくお願いしますっ!」


鬼の子と妖狼


 生き物の世話だのしたくないというクラスメイトにより生物委員にされた文次郎は、だが生物委員であることに誇りを持ち毎日のように積極的に委員会活動に参加していた。
 一年生は己しかおらず、二・三年生の先輩達からは虐められている為、大抵委員会活動中は上級生の五・六年生について回り、生き物に関する知識を教わっている。今日もまた、五年生の梶ヶ島友成から鷹について丁寧な説明を受けていた。
 友成の相棒である鷹――サクラは、文次郎が触れさえしなければ至って大人しかった。なので文次郎は一定の距離を保ちながら、友成の説明に頷きながらサクラを観察する。学園の授業では教わらない内容に、文次郎は知識が増えることに喜びを感じた。収まらない興奮のまま、友成に質問をする。

「梶ヶ島先輩は何時サクラと出会ったのですか?」
「三年生の時だ。こいつが桜の木に留まっていたのを見て直感したんだ。『コイツが俺の相棒だ』って」
「相棒……」
「生物委員は大抵動物使いになるからな」

 相棒が見付かるまでに、知識溜め込んでおけよ。
 そう言って頭を撫でる友成に、文次郎は曖昧な笑みを返した。以前二年生の先輩に己にそんな存在など出来やしないと言われたのだが、友成はそのことを知らない。だが言う必要性もないので、別の言葉を出す。

「先輩のようになれるよう、頑張りますっ!」
「……本当、素直でいい子だな文次郎は」

 率直な言葉に友成はしみじみと呟いた。サクラもクルルと喉を鳴らす。
 だが文次郎はいい子という単語に首を傾げた。今の己の発言がどうしてそれと結び付くのかが分からない。
 理由を聞く前に、友成がサクラを空へと放った。サクラは再び空中へと戻り優雅に飛び回る。

「そろそろ委員長が会計室から戻って来る頃だ、飼育小屋に戻るぞ」
「はい」
「……今日もウザったいんだろうなあ、委員長は」

 文次郎を抱き抱え飼育小屋へと戻る友成が、何かを思い浮かべたのかげんなりとした表情を浮かべる。それにつられて文次郎も苦笑を浮かべてしまった。


「文次郎ぅうう!」
「うわぁっ!」
「ちっ、もういやがった」

 飼育小屋に戻った途端、文次郎は深緑の制服に身を包む男に抱きしめられた。

「可愛い可愛い今日も文次郎は可愛いなあ!」

 まるで文次郎が小動物であるかのように頬擦りしだすのは、生物委員会委員長の六年生、櫻坂誠八郎である。デレデレとした笑顔で愛でる誠八郎の背中に、友成は一つ息を吐いた後踵落としをした。衝撃に誠八郎は抱きしめる腕の力を緩め、その隙を見逃さず友成が文次郎を救出する。

「文次郎が可愛いのは分かったからとっとと手を離せやショタが」
「蹴った後に言うんじゃねぇ! 俺の癒しを返せ!」
「い・や・で・す。文次郎、片付けてきてくれ」
「分かりました」
「行くな文次郎カムバーック!」

 誠八郎から救出された文次郎は、これ以上委員長の好き勝手にさせておくと身に危険が及ぶ気がした為、友成の言葉に素直に頷き指差された方――小道具が仕舞われている小屋へと向かう。誠八郎の悲痛な声には最早苦笑しか浮かばない。
 他の小屋に比べてこじんまりとしているそこには、飼育の為の小道具のみならず簡易な医療品もある。怪我をした動物達を直ぐに治療出来るようにと、誠八郎の方針により生物委員は動物の治療の仕方も習う為だ。
 然しながら他の小屋ばかりに目をかけているため、小屋の中は綺麗とは言い難い。そこで手の空いている時に掃除するようにしていたら、いつの間にかここの掃除担当になってしまっていた。

「あー、またこれで遊びやがって」

 小屋の中に入ると、昨日はきちんと棚の中に仕舞っていた救急箱が床の上にあった。中身があちこちに散らばっており、ハアと息を吐く。
 近くに転がっていた包帯を手に取った時、不意に服の裾を引っ張られた。下から引っ張られる感覚に、文次郎は目だけをそちらに向ける。

「屋鳴、医療具で遊ぶなって何時も言ってるだろうが」

 全く、と目を細め見つめる先には、一匹の小さな鬼がいた。屋鳴と呼ばれる妖怪である。
 平安時代よりはその存在が認知されなくなったが、今の時代にも妖怪は存在する。文次郎は生まれながらにして鬼見の才があり、その存在を認知することが出来た。
 キーキー鳴く屋鳴を掴み、少し離れた場所に置く。

「手伝う気がないなら天井裏に行ってろ、猫又に喰われてもしらないからな」

 猫又との言葉に屋鳴は震え上がった。キョロキョロと周囲を窺う姿に呆れの表情を浮かべる。
 あらゆる動物を飼育する生物委員会は、本人達も知らない間に妖怪もまた飼育している。普通の動物のフリをして餌を食べていたり、小道具を遊び道具にして遊んでいたりなど、飼育小屋は文次郎からすれば妖怪達の住家でもあった。餌の減りが早いと歎く先輩達を見る度に、文次郎は申し訳ない気持ちになる。決して文次郎のせいではないのだが、視えている分責任を感じてしまうのだ。
 パッと天井裏に逃げていく屋鳴を見届けてから、文次郎は再び手を動かし始めた。だが直ぐにそれも「ニャー」という声に止められる。

「うわっ、猫又っ!?」

 文次郎が持っていた消毒液を、先程屋鳴を脅す要因として上げていた猫又が叩き落とした。爪は出していなかった為引っ掻き傷は無かったが、文次郎は顔を真っ赤にして「こらっ!」と怒鳴る。

「掃除の最中は邪魔するなって何時も言ってるだろ!?」

 プンプン怒る文次郎を、だが猫又は気にせず服の裾を銜え引っ張った。その様子に何かあったと感づき、文次郎は怒りを抑える。

「何かあったのか?」

 学園に妖怪を視ることが出来る者は少ない。生物委員会に限っては文次郎だけである。それゆえに彼等が頼ってくると知っているので、文次郎はなるべく妖怪達の望みを叶えるようにしていた。
 猫又は文次郎が助けてくれると悟り、裾を離した。サッと小屋から出ていったので慌てて追い掛ける。

「猫又、どこに行くんだ?」

 小屋から離れ裏山へと向かう猫又は、黙ってついて来いと言わんばかりに一声鳴いた。仕方なく文次郎は黙って後を追い掛ける。
 猫又は黙々と裏山を登って行った。歩き慣れない獣道に四苦八苦しながらも着いていくと、不意に鼻を血の匂いが擽う。
 一瞬にして身体に緊張が走り、追い掛ける速度を上げる。猫又が止まり示した場所には、一匹の妖狼が倒れていた。
 通常の狼よりも大きい姿は本来の姿ではないのだろう、猫又のように動物の姿をとっている妖怪は多い。その足や背中からは大量の血が流れており、息も絶え絶えだった。慌てて文次郎は駆け寄り、妖狼の傷の深さを確認する。

「深い……っ! 猫又、櫻坂委員長を呼んで来てくれ! 櫻坂委員長の方が狼に詳しい、俺なんかよりもよっぽど頼りになるっ!」

 今まで見たことが無い程深い傷に、文次郎は自分では無理だと判断し猫又に応援を呼ぶ。猫又は頷き、素早い身のこなしで元来た道を戻って行った。
 ただ待っているだけでは妖狼の命が危ないので、文次郎は周囲の草から知っている薬草を探す。同級生の善法寺伊作ならばその知識によりもっと効果のある薬草を探し出せるだろうと思うと、己の未熟さに泣きたくなった。
 何とか知っている薬草を探し当て教わった通りの応急処置を行い、文次郎は妖狼の顔を覗き込んだ。苦しそうな姿に思わず「ごめん」という謝罪の言葉が出る。

「俺が頼りないばかりに、直ぐに助けてやれなくて……」

 本来ならばとても美しい毛並みなのだろう、だが今は血と泥で汚れている頭を撫でる。
 ポタリとこぼれ落ちる涙を拭い、文次郎は妖狼の両前足を掴んだ。背負うようにして肩に乗せ、少しでも早く誠八郎と合流する為引っ張り歩き出す。
 ズシリと重たい身体に潰されそうになるのを懸命に堪えながら、獣道を降る。本当ならば抱き抱えたい所なのだが、己の腕力ではそれは叶わない。
 ああと唇を噛み締める。ボロボロと溢れ出る涙を拭おうにも、両手で狼の足を掴んでいる為敵わない。

「畜生……っ!」

 何もしてやることが出来ない己の非力さに文次郎は憤った。泣くことしか出来ないこともまた悔しい。
 それでも文次郎は決して足を止めようとせず、出来る限り妖狼に負担をかけないよう気を付けながら、一歩一歩と足を進める。
 それは誠八郎達が猫又に連れて来られるまで、止まることは無かった。


*-*-*-*


 その後猫又に連れて来られた誠八郎により妖狼は傷の手当てを受け、治るまでの間生物委員会で面倒を見ることになった。
 第一発見者である文次郎は無鉄砲な行動を友成に咎められたが、後でこっそりと誠八郎に褒められたので幾分か悔しさは薄らいだ。何も出来なかった分、せめて飼育小屋にいる間は精一杯力になろうと決意もした。

「文次郎、カミュに餌やってくれ」
「はい、分かりました」

 そしてその決意は妖狼にも伝わったらしく、ここ最近の文次郎の委員会活動は妖狼の世話になっている。

「カミュ、ご飯持ってきたぞ」

 餌である肉を持った文次郎は、狼が住む小屋の中に足を踏み入れた。今までは上級生がいなければ威嚇してきた狼達は、文次郎を見ても威嚇することなくスッと身を引き道を開ける。圧巻とも言えるそれに、文次郎は複雑そうな表情を浮かべた。
 狼達のこの行動は、妖狼が飼育小屋に来て以来ずっと行われている。どうやら妖狼は狼、否、飼育小屋に住む生き物全員の頂点に君臨したらしく、その王たる存在の気に入りである文次郎にも敬意を払っていた。
 然しそれは妖狼の力であり、文次郎の力でない。その為文次郎はどうしてもそれを受け入れられないでいる。
 ハアと息を吐くと、今まで寝そべっていた妖狼がムクリと身体を起こした。どうやら飼育小屋にいる間は『動物』の姿でいるらしく、規格外な大きさである以外は普通の狼と変わらない。妖狼は文次郎を見据え「どうした」と声をかける。

「何かあったのか?」
「……何でもない。それよりも喋っていいのか? 外に先輩達いるんだぞ?」
「構わぬ。人間の聴覚など対したことではない」

 それよりも早う飯を。
 そう言って尻尾を振る妖狼に、文次郎は苦笑を浮かべた。
 この妖狼は単なる妖怪ではなく、学園の所有する裏山全域の主である大妖怪である。あの日は烏天狗と縄張り争いになり、勝ったものの深手を負って身動きが取れなくなっていたらしい。
 誰もいないのを見計らい話し掛けてきた妖狼は先ずは助けてくれた礼を言い、そしてそのことを打ち明けた。
 大妖怪ともなれば人語を話せると知っていたので対して驚きはしなかったのだが、山の主であることは想像していなかった為そのことには驚いた。まだ本来の姿は見ていないが、大層美しいのだろうと文次郎は思っている。
 肉を差し出せば、妖狼は優雅に食べ出した。がっつくことなく威厳ある佇まいで肉を頬張る姿は、確かに山の主に相応しい。
 前にしゃがみ込みそれを眺めていた文次郎は、何となしに「なあ」と話し掛ける。

「しつこいようで悪いが、本当に『カミュ』でいいのか? もっと格好良い名前の方がいいんじゃないか?」
「我はこの名を気に入っている」
「……俺が恥ずかしいんだが」

 ペロリと肉を平らげ満足そうにする妖狼――カミュに、文次郎は唇を尖らせ遠回しに抗議する。
 カミュを保護したあの日、嗚咽で舌が回らず「狼」のことを「オオカミュ」と噛んで呼んだのを先輩に聞かれてしまったのがそもそもの原因である。ふざけて「カミュ」と先輩が呼んだところ、何を思ったのかこの妖狼はいたく気に入ってしまい、いつの間にか「カミュ」で定着してしまったのだ。
 むすくれる文次郎をカミュは愛しげに見つめ、スルリと頭を頬に擦り寄せた。文次郎はそれを受け止め、頭を抱え込むようにして抱きしめ返す。

「飽きたら言えよ。俺がもっと言い名を付けてやる」
「この名も主がつけたようなもの。我の至宝の宝だ」
「……そんなものが宝になるのか」
「無論。名は『呪』であり『個』であるのだから」

 難しい言葉に文次郎は首を傾げた。だがカミュはそれ以上話す気はないらしく「ところで」と話題を変える。

「そこにいる者達から『生物委員会』について聞いた。文次郎、主にも『相棒』はいるのか?」
「いねえよ。俺まだ一年生だし、先輩達みたいに心通わすこと出来ねえから」

 ふるふると首を横に振ると、カミュは満足そうに「そうか」と頷いた。一体どのような説明を受けたのか気になる所だが、狼達の言葉は分からないので知ることは出来ない。

「文次郎、主は『相棒』が欲しいか?」
「そりゃあ、先輩達みたいになりたいとは思うけど、俺にはそんな才能ないし……」

 あのように動物と心を通わせられるのは、一種の才能である。文次郎は自身にその才能がないことを、委員会活動を通して嫌という程味わっていた。
 故に言葉を濁すと、カミュが尻尾を一降りする。

「では質問を変えよう。相棒は何時になったら欲しいか?」
「何時って……」
「人間の感覚でよい、答えよ」
「随分と強引な……まあ、六年生になる頃には、いてほしいかもな」
「六年生とは?」
「うーんと、後五年後……俺が深緑色の制服を着るようになる頃だ」
「そうか、良かろう」

 何が良いのか分からないが、カミュは機嫌よさ気に尻尾を揺らす。それに文次郎は首を傾げつつも、まあいっかとカミュの触り心地の毛並みに顔を埋める。

「カミュは何時までここにいてくれるんだ?」
「主がいなくなる時までここにいよう、文次郎」
「……そっか、有り難うな」

 嬉しい言葉に、へにゃりと文次郎は頬を緩める。ギュッと抱きしめると、カミュはペロリと文次郎の頬を一舐めした。

20130310
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