【第八話】


「松平伸一郎。この忍務、引き受けてくれるな?」

 学園長の呼び出しの内容は『忍務』についてであった。聞いて直ぐ感じたのが、文次郎と共に来なくて良かったとの安堵の感情。ここにいれば自分も行くと言っていたに違いない。
 なぜならこの忍務の内容は『先日捕らえた男の仲間の基地に潜入して見取り図を書き、敵勢を確認してくる』である。責任感の強い幼馴染みが大人しくしているはずがない。

「喜んでお受けします」

 文次郎の負担を減らせるなら、喜んで嫌いな忍務もしよう。そう考え引き受けた伸一郎を、学園長は優しい眼差しで見つめる。
 それが擽ったくて、伸一郎は直ぐさま庵から出て行った。歩きながら頭の中で忍務の内容を復習する。

「松平」
「……」
「伸一郎」
「……」
「……伸、君」

 没頭していた思考が、懐かしい呼び名で一気に現実世界に浮上した。俯いていた顔をぱっと上げると、いつの間にか文次郎が目の前にいた。他の五人の姿は見えない。

「やっと気付いたか、バカタレ。忍たる者気配に気付けなくてどうする!」

 腕組みをし怒る文次郎をまじまじと見下ろし、ぽつりとこぼす。

「文ちゃん、今俺のこと『伸君』って呼んだ」
「……っ、空耳だ空耳!」
「ほー、ハッキリとした空耳だなーもう一回聞きたいなー」

 昔に戻った気がして嬉しくなった伸一郎は、へらりとだらし無く頬を緩めた。文次郎は羞恥に顔を染めそっぽを向く。

「もう呼んでやらん!」
「そりゃ寂しいよー文ちゃーん」
「自業自得だバカタレ」
「それ言われたら何も言い返せない!」

 痛い所をつかれうっと倒れる振りをすると、えっと文次郎が見開いた。どうやら伸一郎が反省しているとは思っていなかったらしい。
 伸一郎は決まり悪げな顔をし、カリカリと後ろ頭を掻く。
 会って仲直りしたいと思っていた。だが実際会うと、何から話せばいいのか分からない。
 えーやらうーやらと唸った後、取り敢えず先に「ごめん」と小さく謝罪する。

「お前に言われて、気付いた。俺マジで最悪なことしてたって」
「……っ、遅いんだ、バカタレ!」
「うん。後言いたいこと沢山有りすぎて、頭ん中超グルグルしてて訳わかんないんだ。だから真っ先に思ったこと、言うな」

 深呼吸をし、文次郎と向き合う。

「俺の幼馴染みに、なってください」

 己よりも身長が低い幼馴染みの僅かに強張った表情が、一瞬で呆けたものに変わった。パチパチと数回瞬きを繰り返し、クワリと眉と目を吊り上げる。

「俺は元からお前の幼馴染みだろうが!」
「うん、言った後気付いた」
「お前は一体何が言いてえんだよ!」
「だからさっきも言ったけど、頭ん中超グルグルしてて訳わかんないんだって」
「気合いで分かれ!」
「それはむーりー」
「無理じゃねえ!」

 怒る文次郎は後輩から見れば鬼のようだろうが、残念なことに伸一郎には威嚇する猫のようにしか見えない。もしかすると身長さも関係するのかもしれない。
 伸一郎は文次郎の怒りを軽く交わし、でさと話を変える。

「俺、今から忍務なんだ」
「……むう、そうか」
「でも週末までには帰ってくるから、約束通り甘味食べに行こうな」
「バカタレ。俺との約束より忍務を優先させんか」

 呆れた表情を浮かべる文次郎に、分かったと言葉だけの返事をする。
 忍務と聞いて直ぐに怒りを収めた文次郎は、こう見えて冷静沈着である。普段は喜怒哀楽をハッキリと表に出している為気付かれていないが、彼は常に物事を一歩引いた場所から観察しているのだ。
 それを表に出すのは忍務の時。「忍」になった瞬間、幼馴染みは感情を全て消し、冷徹な心で忍務を遂行する。
 その時の文次郎は、正直苦手である。感情表情が豊かだと言われる普段の時の方が好ましい。特に己と一緒にいる時に見せる安堵の表情が好きだ。
 文次郎は安堵の表情を家族にしか見せない。だからそれを向けられる度、家族の一員として見られていると実感できて嬉しくなる。

「気をつけていけよ」
「ああ、行ってくる」

 ポンと肩を叩き、横を通り過ぎ庵に向かう文次郎。その後ろ姿を見送っていた伸一郎はふと思いだし、声を上げる。

「文ちゃん、俺が居ない間もちゃんと休んでおくんだぞー! 鍛練して悪化させたら怒るからなー!」
「おう、肝に命じておく」 
「後その隈消しとけよー!」

 冗談半分本気半分の言葉に、文次郎は手を一振りして答える。それにまいいかと、伸一郎は自室へと向かう。
 いつの間にか出来ていた仲直りに、伸一郎の頬は緩みっぱなしだった。

20121030
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