※本編IFで文次郎だけ天女補正にかかったら(天女≠天川恋歌)


 最近、名物になりつつある人物が学園に居候している。
 その人物を三木ヱ門は快く思っていない。ライバルである滝夜叉丸はそれを嫉妬だと笑ったが、そうではない。その人が三木ヱ門の尊敬する先輩を苦しめているからである。

「文次郎っ、私にも手伝わせて! あのね、これでも算盤得意なんだよ! 文次郎の為に教室に通ったんだから!」

 ああ、今日もまた先輩は苦しまないといけないのか。三木ヱ門は見付からないよう拳を握り締めた。


壊れた心


「前言ったでしょ? 手伝いたければ仕事終わらせて来いって。だからお仕事終わらせてきたの。ねえ、いいでしょ?」

 ニコニコとしながら文次郎に纏わり付く少女に、三木ヱ門は反射的に手に持っている筆を投げ付けたくなった。然しそうすれば間違いなく文次郎に迷惑がかかるので我慢する。
 その代わりに力を込めすぎた為、帳簿に黒く大きな染みが出来てしまった。三木ヱ門だけでなく、左門の帳簿にも同じように出来ている。一年生コンビは算盤を弾いていた為無かったが、もし筆を持っていたら彼等の帳簿もまた汚れていただろう。
 現在進行形で後輩達の機嫌を急降下させている少女は、それらに気付くことなく言葉を発さない文次郎の腕を掴み「ねえ」と揺さ振っている。

「文次郎、私貴方の役に立ちたいの。いいでしょう?」

 文次郎がギリッと歯を食いしばったことに、三木ヱ門は目敏く気付いた。見えないが、少女に掴まれていない反対側の腕が震えているので握り拳を作り耐えていることが分かる。
 ズキリと三木ヱ門の胸が痛んだ。今すぐにでも飛び出し、少女を文次郎から引きはがしたい気持ちに駆られる。
 だがそれは叶わなかった。文次郎が止めろと、三木ヱ門達を目で制した為に。

「悪いが、今日の委員会活動は鍛練をする。女のお前を連れていく訳にはいかない」

 やんわりと文次郎が少女の手を解く。その口調と声色は常より優しく聞こえる。
 然しそれは決して文次郎が少女を好いているからではない、文次郎が少女を心底嫌悪しているからである。
 だが残念ながら文次郎が無理して出していると気付いているのは、彼に近い者達だけだった。彼をよく知らない者は二人が想い合っていると勘違いし、彼が色に堕ちたと囁き合う。

「そっか、残念。じゃあ明日! 明日は絶対手伝わさせてね!」
「手が足りなかったらな」

 文次郎の言葉に渋々ながらも引き下がった少女が会計室を出て行きその気配が完全の遠退くまで、誰も言葉を発しなかった。
 張り詰めた糸のように緊張感が漂うそこを緩めたのは、文次郎の深い溜息。一気に冷や汗が溢れ出し、顔を手で覆いその場に蹲る先輩に、とうとう三木ヱ門が我慢が限界を突破した。

「潮江先輩、もう見ていられません! 私があの人をユリコでぶっ放してきます!」

 文机に勢いよく両手を叩き付け立ち上がる。釣られて左門と団蔵、左吉も同じように立ち上がる。

「田村先輩の言う通りです! 僕達があの人を何とかしてみせます!」
「やっと傷が治ったのに、あの人のせいでまた先輩が傷付くなんて嫌です!」
「これ以上先輩が弱っていくの、見たくありません!」

 口々に訴えてくる後輩達に、文次郎は困ったように眉を下げた。珍しいその表情に、三木ヱ門は後少しだと手応えを感じる。

 天女だと名乗る少女が空から降ってきて早二週間。少女は学園の敵ではないと大部分に認識されている。なぜなら少女がひたすらに文次郎を追いかけ回しているから。
 それが恋故だとは、下級生でも一目瞭然だった。恋い焦がれた熱い視線を文次郎に注ぎ、同じだけの恋を文次郎から向けられたいと必死になっている姿を大勢が見掛けている。それに、愛らしい容貌も相まって、少女を応援する声が多数上がっている。
 反対の声を上げているのは、会計委員会と六年生だけだった。
 何故か。少女のせいで文次郎の容態が悪くなっているからである。
 少女が近くに来る度に、文次郎の体調に異変が起きた。悪寒や吐き気、熱等信じられない程文次郎は毎日のように体調を崩し医務室に通っている。また、少女に話し掛けられる度に、文次郎は痛みに耐えるかのように歯を食いしばり逃れようとする。
 何故そんなことが起きるのか、三木ヱ門達は知らない。ただ文次郎が「あれに近付いてはいけない」と忠告してきたことで、少女が『危険』であることを悟った。六年生達もまた、少女を警戒する動きをしているので余計にである。


「私達は貴方の後輩なんです。どうかお役に立たせて下さい」

 六年生が警戒する程の『危険人物』である少女に纏わり付かれる文次郎を心配するのは、後輩として当然のこと。
 ただただ文次郎の苦しみを取り除きたい一心で、三木ヱ門達は再び文次郎に頼み込む。文次郎はそれに、小さく笑うだけだった。


*-*-*-*


「今日も収穫はなし、か……」

 六年長屋の一室。仲の良い六人が集まっているそこでは会議が行われていた。
 空から降ってきた天女と云う少女。多くの不可解な点を抱える彼女のことを探り早二週間が経とうとしているが、未だ有力な情報は掴めていない。
 今日もまた収穫はなく、六年生の間には重苦しい空気が流れていた。

「そういえば、文次郎はどうだったんだ?」

 ふと思い出したように小平太が問い掛ける。文次郎は目を伏せ、ゆるりと首を横に振った。見るからに疲れている同胞に、堪らず伊作が声を上げる。

「ねえ、これ以上文次郎を囮にするのは止めようよ。これ以上は文次郎の身体が……っ!」
「いや、いいんだ伊作。俺はまだ大丈夫だ」
「文次郎っ!?」

 それを止めたのは、当の本人であるはずの文次郎だった。
 緩慢な動作で伊作を手で制し、「大丈夫だ」と再び告げる。

「あれは今の所、俺だけを標的としている。だからこそ、俺を囮としてお前達が探ると最初の話し合いで決めただろう」
「そうだけど……っ!」

 グッと言葉に詰まる伊作の背中を、仙蔵が宥めるように撫でる。
 そこにいる全員が伊作の言いたいことを分かっていた。だがそれを口にしないのは、各々仕方ないことだと割り切っているからである。

 天女という少女が不思議な術を使い大勢の者を操っているのに気付いたのは小平太だった。野性の勘が働いた為だったので、少女が何をしているかは最初は分からなかったが、観察していた長次の知識によりそれが『傀儡の術』に近いものであることが分かった。
 然しながらそれ以外については全くと言っていい程掴めず、下手に動いて取り返しのつかない事態になるのを避ける為にも動くことが出来ないでいる。少しでも少女の情報を手に入れ何か発見すれば変わるのではないかと、六年生が影でこっそり動く位だ。
 そんな中見付けた唯一の希望が、文次郎だった。少女は文次郎をいたく気に入っているらしく支配下に置こうとしている。だが文次郎は幸運なことに術にかからない。
 そこで、考えたのだ。少女は文次郎を手に入れる為あらゆる手段を使ってくるだろう。そこで敢えて文次郎を囮とし、その隙に突破口を見付けるのはどうかと。
 一歩間違えれば文次郎を失いかねない作戦。それを実行に移したのは、他でもない文次郎の強い希望があったからだ。
 また、全員心のどこかで文次郎な大丈夫だと思っている節があった。学園一忍者をしている文次郎ならば、決して少女の手に堕ちることはないだろうという信頼が。

「ごめんね、文次郎。辛い役目を負わせて……」

 それでも心苦しいことには変わりなく、伊作の言葉に全員が頷く。文次郎はそれに、小さく笑うだけだった。


*-*-*-*


 会議を終え、文次郎は最近寝泊まりしている幼馴染みの部屋にへと向かっていた。自室にいると少女が夜這いを仕掛けてくるからである。
 送ると言ってくれた長次と小平太の提案を断った為、己以外誰もいない。夜の静けさに文次郎は空を見上げ、ほうと息を吐いた。

『愛して』

 途端頭に響く、愛を求める叫び。
 連続して聞こえるそれに、文次郎は唇を噛み締めた。

(何故、俺なんだ。何故俺に、愛を求める……)

 恐らくはこれが術の正体なのだろう、直接的に精神に呼び掛け捉える未知の術。だがそれを、文次郎は誰にも言っていない。もしかすると自身の叫び声なのかもしれないという不安が、文次郎の口を閉ざしていた。

『愛して』

 会計委員会の後輩達は、文次郎が少女を毛嫌いしていると思っている。
 仲のいい六年生は、文次郎が術にかからないと思っている。

『愛して』

 果たしてそれは本当なのだろうか。
 文次郎は自身に問い掛け、否と答える。

『愛して』

 文次郎は少女を嫌ってなどいない、寧ろどこか気にかかる所があった。
 術にかからないのではない、文次郎が術を拒絶しているだけだ。もしもこの声に負けて全てを委ねれば、あっという間に少女の支配下に置かれるだろう。
 彼等が思っている以上に、文次郎は危ない橋を渡っている。

『愛して』
「文ちゃん」

 ふと、叫び声以外の声が耳に届いた。緩慢な動作で視線を戻し、ああと表情を緩める。

「伸一郎」

 そこには出迎えに来た幼馴染みがいた。伸一郎は文次郎を見、眉をひそめる。

「また無理しやがって」

 苛立たしげに言われた言葉に、文次郎は曖昧な笑みを浮かべた。
 文次郎が囮になることを、伸一郎が快く思っていないのは誰の目から見ても明確だった。事実、少女など放って置けばいいと仙蔵に言ったと聞いている。
 それでも文次郎の意思を汲み直接的な邪魔をしないでくれる幼馴染みに、「なあ」と文次郎は話し掛ける。

「もし俺が、あいつに操られたら、お前はどうする?」
「絶対に助けるに決まってるだろ」
「そうか。ならもし俺が本気であれを好いているとしたら?」
「……文ちゃんを苦しめる奴は、誰であろうと俺は許さない」

 暗に変わらないと言う伸一郎に、そうかと文次郎は安心したように笑う。

『愛して』

 最初囮を買って出た時は、ただ他の者が苦しむ位なら己がした方がいいと思っていただけだった。
 不思議なことに、文次郎の周りには才能に恵まれた者が多い。それを潰される位なら、何の才能もない己が犠牲になるべきだと、そう考えていた。

『愛して』

 だが何時しか、それに別の理由も加わるようになった。
 愛を求める叫びに心が麻痺し、少女が気にかかるようになったのである。何故ここまでして少女は愛を求めるのだろう、それ程までに少女は愛を捧げられたことはないのだろうか。
 麻痺した心に浮かぶ、様々な疑問。それを解き明かしたくて、少女に近付くことが出来る囮役を止めれなくなっていた。

『愛して』

 最早文次郎に、正常な思考回路は残されていない。己を犠牲にしてでも同胞と後輩を守りたいという想いと、少女への疑問。そして己に向ける同胞達の信頼が、術への抵抗力として働いている。

「なあ、伸一郎」
「ん?」

 助けてほしい、そう壊れた心が叫んでいる。その叫びに気付いている者は、果たしてどれくらいいるのだろうか。

「今の言葉、絶対守れよ?」
「当たり前だ、任せとけ」

 愛を求める叫びに抗う文次郎は、唯一の拠り所となっている伸一郎の言葉に、泣きたくなった。

20130223 牡丹様へ
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