【第七話】


 伸一郎と呼ばれるようになったのは、何時からだっただろうか。何時から幼馴染みは、伸君と呼ばなくなったのだろう。


「だから! 今日まで鍛練は休めって言ってるだろ文次郎!」
「知るか! いい加減鍛練に行かせろいいや俺は行く行ってみせる!」
「……まだ、完治していない……だから、ダメ……」
「長次の言う通りだ文次郎。わたしも早く一緒に鍛練したいが、我慢する! だから文次郎も我慢だ!」
「完治してる! してるから鍛練行こうぜ!」
「完治し・て・ま・せ・ん! 仙蔵、文次郎を縛っておいて!」
「いいだろう、縄抜け出来ないようきつく縛ってやる」
「ギャーッ! 止めろ仙蔵止めてくれー!」
「それは駄目だよ仙蔵! 傷が悪化するから!」
「私による怪我なら問題ない」
「問題ありまくりだから!」

 自室にまで届いて来る騒ぐ声に、伸一郎は何故か苛立った。コツコツと指で文机を叩き、気分を紛らわそうと本に意識を戻す。
 だが同級生の声――特に幼馴染みの声は嫌でも伸一郎の耳に届き、クソッと舌打ちをした。

「何がかすり傷だ……」

 本を文机に置き、その場に寝そべる。文次郎と久しぶりに喧嘩をした日から三日経ったが、未だ仲直り出来ていない。
 最初は訳が分からずただ文次郎に怒っていたが、時間が経つにつれ冷静になり、文次郎の言葉の意味を理解することが出来た。

 文次郎は、他人の振りをされて傷付いていたのだ。伸一郎のことを思い合わせていたが、本当は仲良くしたかったのだ。
 彼はずっと、伸一郎に傷付けられていたのだ。

 学園に入学するまでは伸君と己のことを呼んでいた。だがいつの間にか彼は、伸一郎と呼ぶようになっていた。
 何時からか。記憶を掘り起こし思い出す。
 それは初めて伸一郎が文次郎を拒んだ日。文次郎が伸ばした手を振り払った時。
 あの時は顔を逸らしていた為見ていなかったが、彼は泣きそうな表情を浮かべていたに違いない。もしかするとあの日だけではないのかもしれない。他人の振りをされる度に彼は、泣きたい気持ちを抑えていたのではないだろうか。

(大馬鹿者は、どっちだよ……)

 自分のことしか考えていなかったことに気付かされ、伸一郎は後悔に襲われた。文次郎が他人のことしか考えない大馬鹿者なら、己は自分のことしか考えない大馬鹿者である。どちらがマシか言われなくても分かる。

(畜生、俺全然文ちゃんのこと分かってねえ)

 近付いて来る騒ぎ声に、ジワリと視界が滲む。
 何でも知っていると思っていた。だがそうではなく、己は幼馴染みのことを何も分かっていなかった。呑気に観察してみようと言っていた過去の己が恨めしい。

「文次郎、学園長が呼んでい……って、何してんだお前?」
「留三郎助け……いやお前に助けられるのも癪だから助けんでいい!」
「んだとこら!」
「もー! 留三郎に文次郎喧嘩しない!」

 賑やか過ぎて騒音レベルな騒ぎに、一人追加された。その一人が文次郎と犬猿の仲なものだから、より一層騒がしくなる。
 うがぁ、と伸一郎は手足をばたつかせる。仙蔵達がかなり羨ましい。

(俺は幼馴染みなんだから話し掛けても問題ないけどさー、今まで他人の振りしていたのに今更仲良くしましょーなんて都合良すぎだよな、でも文ちゃんを止める方法を全く分かっていないあいつらに文ちゃん任せられねえし、けど今更……)

 ウダウダグダグダ。
 かすり傷どころか大怪我を負っていたのも関わらず脱走したことにキレた五人が、文次郎を交代制で見張っている。そのせいで文次郎に会いに行けない、否、会おうと思えば会えるのだがその決心がつかない。
 五年間他人の振りをしていたのだ、早々変えられるものではない。
 だがこれ以上長引かせたら、元に戻れない気がするのだ。

(もー、俺どうすりゃいいの!?)

 顔を覆い畳の上をゴロゴロする。その時、スパンと自室の障子が開けられた。

「松平、学園長が呼んでい……って、何してんだお前?」

 開けた本人である留三郎は、伸一郎を見て先程文次郎に言った言葉を繰り返した。
 見られた伸一郎は直ぐさま起き、何でもないと制服を整える。
 見れば、六人揃って部屋の前にいた。だが己を見ているのは留三郎だけであり、残りは文次郎を必死に止めている。
 文次郎に目を向けても、返されることはない。完全に他人の振りである。これを何時も己がしていたのかと思うと、再び後悔が沸き上がる。

「ありがとう、学園長だな行ってくる」
「おっ、おう……」

 落ち込みを諭されないよう、部屋を出て六人に背を向ける。留三郎は不思議そうにしていたが、直ぐに興味を無くし五人に混じっていく。
 羨ましさを感じつつ歩きだそうとした時、ふと思い出した。
 留三郎は確か、文次郎にも同じ言葉を言っていなかったか。

「なっ、なあ潮江」

 仲直りのチャンスかもしれないと、思わず振り返り声をかける。
 文次郎だけでなく他の五人も伸一郎を見た。話し掛けられた文次郎はキョトンと目を丸くしている。

「さっき食満が言っていたの聞こえたんだけどさ、お前も呼びだされたんだよな? 一緒に行かないか?」
「……いや、俺は後で行く。別々の用件だったら困るからな」
「うっ、そうか」

 尤もな理由と共に断られ、伸一郎はすごすごと引き下がった。
 再び踵を返し歩き出す。背後では六人がまた騒ぎ出す。

「さあ文次郎、大人しく部屋で休んでもらうからね!」
「分かった」
「鍛練には絶対いかせ……えっ?」
「だから分かったって。仕方ねえから今日は休んでやるよ」
「どうした文次郎、いきなり素直になって」
「別に」
「んー、なんだか文次郎、ご機嫌に見えるぞ!」

 だが騒ぎ声の内容は変わっており、伸一郎は顔だけ動かし文次郎を見る。
 幼馴染みはどこか嬉しそうに、顔を緩めていた。

20121029
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