SS
ニアミス


「文次郎君、帝丹高校に行ってくれないかな?」
 きっかけは、一本の電話だった。


 文次郎の仕事は家政夫である。しかし新一と直接関わりを持っている唯一の存在であることから、何かと保護者代理として工藤夫妻から頼まれ事を受けてもいる。彼等や隣人家から文次郎の存在は広まっているらしく、是非とも文次郎と直接話がしたいと工藤夫妻たちに頼み込んでくる企業や団体、個人客もいる。
 今回は後者で、新一が通っていた高校の校長からの頼みらしい。
 コナンになって休学届を出して以来通っていない高校に新一は未練はあれども勇気はなく、何より出席日数が絶望的に足りない。留年する位なら途中退学か、出来るならば転校を考えている。だが、学校側としては何としてでも引き止めたいらしい。世界的名探偵として名を轟かせた工藤新一のネームバリューにあやかりたいのか、はたまた世間からのバッシングを恐れてか。どちらにしろ、新一を退学にするつもりは無いらしく文次郎に説得してほしいとのこと。そのために直接話がしたいらしいから、と優作に説明された。
 非常に大人の身勝手な事情であるが、上手くいけば特例として進級できる可能性も出てきたため文次郎はそれを引き受けたのだ。
 新一は不満げであったが、学校の様子は気になるらしく文次郎に盗聴器を付けて何時でも連絡が取れるようにするのならいいと条件付きで許可を出した。発想が既に一般人ではないが、新一は一般人ではないので突っ込んではいけない。
 博士作の盗聴器カフスと他機能腕時計を身に着け、新一の通う高校である帝丹高校に向かえば直ぐに校長室にへと案内された。そこで待っていたのは校長の他に副校長、新一の籍があるクラスの担任、学年主任等で、重鎮と関係のある教職員が勢ぞろいしていた。
 それを見て文次郎は思った。
 ――複数対一の話し合いって、卑怯である。


 予想に反し、話し合いはスムーズに終わった。
 帝丹高校は『工藤新一』というブランド品が目的ではなく、彼に普通の高校生活を送らせることが目的だった。最初は留年させることを考えていたが、多方面から反対の声が盛大に上がったらしい。
 その中心にいたのが、新一のクラスメイトであった者達。彼らはこう言ったらしい――クラスメイト全員で卒業したい、と。
 名探偵だからではなく、大切なクラスメイトだから。身近な超有名人だからではなく、大事な友人だから。
 その声を聞きいれた学校は、残りの約半年の間はレポートの提出を出席日数の代わりとして文次郎に提案した。膨大な量ではあるが、全てきちんと提出したならば来年はそのまま進学させると。
 文次郎はそれを受け入れた。聞いているはずの新一から何も連絡もないという事は、恐らく異論はないだろうと判断して。
「愛されてるじゃねぇか、新一。良かったな」
 話し合いも終わり校長室から廊下に出て、ポツリと呟く。今頃新一はソファーに顔を埋めているだろう、困惑半分、嬉しさ半分の複雑な表情を隠す様に。家の中に引きこもっていては聞こえなかった彼らの声は、文次郎を通してしっかりと届けられた。


「お待たせしました」
「いえ、お願いします」
 遅れて出て来た担任に案内されて、校舎内を回る。これは文次郎が頼んだことで、建前は新一に土産話を持って行きたいからと言ったが、本音は生の声を聞かせてあげようと思ったからだ。これも反対の連絡はないので異論無しと判断した。
 主に工藤新一に関するエピソードがある場所を案内されたが、事件率の多さには苦笑しか浮かばなかった。小さなものから大きなものまで様々だが、彼らしいと言えよう。
「ここが、工藤の籍があるクラスだ。今は授業中なんだが、奴らと話をしてみるか?」
「……あー、ちょっと考えさせて下さい」
 とうとう新一のクラスに案内され、思わぬ提案に文次郎は内心冷や汗を流した。学校側には伝えていないが、新一は盗聴器から話を聞いている。もしこのクラスメイト達の中に彼の地雷が潜んでいたらと考えると、是非にとは言えない。
 ポケットに入れてある携帯を触る。メール受信の際バイブモードにしてあるそれは学校に来てから一度も振動していない。因みに電話は着信音が響くように設定してあり、非常時はメールではなく電話をするよう約束している。
(大丈夫、なのか……?)
 少し待っても何も受信しないので、文次郎は肯定とみなした。
 担任に是と伝えれば、少し待つように言ってから一人中に入って行く。授業が行われていたそのクラスは一瞬静まり返ったのち、廊下に響くほど騒がしくなった。次いで担任の「静かにしろ!」との声で小さくはなったが、ざわめきはまだ聞こえてくる。
 まずかったかと思う文次郎を、ドアから顔を出した担任が手招きした。今更断ることも出来ないので中に入れば、思春期真っ最中の少年少女たちの目が一斉に向けられる。
「工藤の家政夫さんの潮江君だ。お前ら、工藤に渡したいものや伝えたいことがあったら今の内だぞ、聞きたいこともジャンジャン聞け」
 ――どうやらこの担任は文次郎を新一とクラスメイトの懸け橋にしたいらしい。
 内心聞いてねぇぞと文句を言いつつも、担任の言葉に速攻で幾つもの手が挙げられたので諦めることにした。生徒達が勝手に「オレが先だ!」「いいえ私!」「サッカー部のこのオレが!」「それなら探偵仲間のボクだ」「じゃんけんで決めようぜ」などと質問の順番をきめ出したので終わるのを待つ。この間も新一からの連絡はない。
 熾烈な戦いを勝ち抜けたのは、やけにボーイッシュな女生徒だった。制服で女であると判断できたが、私服でボーイッシュな格好だと男と間違えていただろう。
「じゃあボクが最初に質問するね。工藤君は今どのくらいまで回復しているんだい?」
「……どこの部分を指しているかによって回答は変わる。探偵、引きこもり、食欲、体型、対人関係、その他のどれだ」
「欲張って全部で。その他は普段の彼の生活かな?」
 クラスメイトの全員が頷いた。彼等にも異論はないらしい。初対面だと言うのに中々遠慮がない、流石新一のクラスメイトと言った所だろうか。
 若干の面倒臭さを感じるも、細かくしたのは文次郎本人なので一つ一つに答えていく。
「現場復帰はまだだが、安楽椅子探偵として警察やFBIに協力している。引きこもりに関しては、門の外は無理だが庭まで出られるようになった。食欲に関しては何でも食べるようになったが食が細い、うさぎの餌並だ。体型は骨と皮じゃなくなったがまだ薄いから、今の目標は。対人関係は最近電話が出来る様になったな。普段あいつがしていることは主に読書、昼寝、謎解き、家事の手伝い、探偵仕事」
「へぇ、随分詳しいね」
「四六時中ベタベタ引っ付かれていれば嫌でも分かる」
「……引っ付かれているんだ?」
 質問をした女生徒の目が点になった。他の生徒も同様である。
 すっかり刷り込み完了した雛鳥新一に慣れ切っていた、寧ろそれが普通になっていた文次郎はその反応に首を傾げる。そして彼女たちの反応を、恋人間で行われるような引っ付き具合を連想したから、と勘違いした。
「引っ付くと言っても、インプリンティングみたいなもんだけどな。後をついて回る雛鳥って感じだ」
「……工藤君が、雛鳥……」
 勘違いからの訂正に、彼女たちは益々顔を引きつらせた。担任も信じられないものを見る目を向けている。以前の新一を知らない為、それがどれだけ異常事態であるかに気付くことが出来ない文次郎は訳が分からず「俺、何か変なこと言いました……?」と不思議がるばかり。
 微妙な雰囲気に包まれた教室内の空気を一変させたのは、じゃんけんで二番目に勝った者ではなく、参加していなかった女生徒だった。
「あの……!」
 恐る恐るという感じで手をあげつつも、勢いよく立つという正反対の事を同時にやってのけた女生徒の方を見、文次郎はおやと眉を上げた。
 新一と同じく美人と形容できる整った顔立ちの少女である。年齢の割に発育も良く凹凸がしっかりしている。腐れ縁かつ相棒的な存在がここにいたならば何かしらのアクションを起こしていただろう、年齢を踏まえると犯罪だが。
 しかし、文次郎は引っ掛かりを覚えた。何故か彼女の顔に見覚えがあるのだ。
 他の生徒達も順番を守らない彼女に対して何も反応を示さず、そればかりか息をのんで見守っている。
「その、新一は……!」
 引きこもり探偵のことを名前で呼んだ少女が意を決して口を開いたその瞬間。

 文次郎の携帯が、音を奏でだした。

 それはバイブの振動によるものではなく、れっきとした曲。新一が自ら設定した、ベートーヴェンピアノソナタ第十四番「月光」。
 その音を拾った文次郎は目を見張る素早さで携帯をポケットから出し耳に押し当てた。質問しようとした女生徒どころか今授業中にお邪魔している事さえ頭から飛び消え、「新一!?」と鋭く名前を呼ぶ。
「どうした、何があった!」
 文次郎の口から出た名前に、一拍後教室内がざわめきに包まれた。それすら気づかない文次郎の耳に届くのは、機械を通した新一の声。
『もう……無理……っ!』
「……――っ!」
 間違った、と文次郎は己の選択を後悔した。連絡しなかったのではない、出来なかったのだと。多くの出来事が起こった為彼にも余裕がなかったのだと。
「今から直ぐ帰る。お前はそのまま部屋に戻っていろ、歩けなさそうだったらせめてリビングで体を休め……いいな?」
『……ん……』
「いい子だ」
 返事が弱々しい。これは想像以上に大変なことになっているかもしれない。
 直ぐに通話を切り文次郎は踵を返した。後ろから担任に呼び止められたので身体ひねり振り返るも、足は廊下を向いている。
「すみません、新一の容態が急変したので帰ります! 何かあいつに渡す物がありましたら、レポートと一緒に送ってください!」
 言うやいなや教室を飛び出し廊下を走る。学校のお約束である廊下を走ってはいけないは非常事態ということで目を瞑ってもらうことにする。
 新一の事で頭がいっぱいになっていた文次郎は気付かなかった。最初に質問してきた女生徒が文次郎の袖につけられたカフスを見て目を細めていたことに。結局質問することが出来なかった女生徒が新一の名前に大きく目を見開き、泣きそうな表情を浮かべたことに。その少女の隣の席にいた女生徒が、軽く文次郎を睨んでいたことを。

2015/03/06
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