家政夫になるまで
家政夫と引きこもり


「じゃぁな、新一」
「おう」
 来た時とは違い、見送られる帰り。玄関先まで来た新一に手を振って玄関の戸を閉め、鍵をかける。カチャント響くそれは何時もよりも重く聞こえ、文次郎は耳に焼き付けようと目を閉じた。
 溜まっていたものを全て吐き出した新一は、それ以上何も聞くことなくただ文次郎に引っ付いていた。文次郎も話を掘り返すことなくそれを受け入れ、今までと同じように家事をして、その役目を終えた。
 目を開けて息を吐く。手の中にある鍵を握り締め踵を返し、最後の仕事である工藤邸の門を閉める。
(あとは鍵を返して、アルバイト終了か)
 長く感じた一週間の家政夫のバイト。今までやって来たどの仕事よりもやりがいを感じていたことは否定できないが、文次郎に延長する気はない。
 ゆっくりとした足取りで隣人宅に向かう。最後となるだろうチャイムを鳴らせば、中から哀が出てきた。
「今晩は、文次郎さん。一週間お疲れ様」
「ああ、哀。世話になったな」
「私じゃなくて工藤君がね」
 クスリと笑った哀が中に入るよう促す。スリッパを借り案内されるまま入ると、そこには博士だけでなく、聞いていた通り工藤夫妻、そして何故かゼミ教員の大岳もいた。
「大岳教授!?」
「やぁ、文次郎君。久しぶりだね」
 驚き声をかければ、何時も通り爽やかな笑みを向けられる。他人の家とは思えない程ソファーに寛いでいる姿に、文次郎は何となく嫌な予感を覚えた。彼の向かいに座っている優作が非常に恐ろしい笑みを浮かべているのも気になる。
 目に見えて警戒しだした文次郎に優作の隣に座る有希子が苦笑を浮かべ「ごめんねぇ」と軽く手を振る。
「この二人は気にしないでいいから、こっちにいらっしゃい」
「はぁ……」
「大丈夫よ、さっき少し子どもの喧嘩をしていただけだから」
 警戒を解かない文次郎に哀がフォローを入れるが、残念なことにフォローになっていなかった。それでもいつも通りの哀のきつい言葉に文次郎は悩んだ後、そろそろと大岳の隣に移動する。腰掛ければ優作も気付いたのか一変して柔らかな笑みを浮かべた。
 博士がコーヒーを入れてくれたので、礼を言って飲む。基本的に甘味を好む文次郎だが、我慢すればブラックでも飲めないことは無い。顔に出さないよう気をつけながら一気に飲み干し、カップをテーブルに置く。
 落ち着いたところで文次郎は鍵をテーブルの上に置いた。直接手渡しても良かったのだが、微妙な距離があるので不自然の無い方を選んだ。
「優作さん、有希子さん、一週間有り難うございました。鍵お返しします。博士も、お世話になりました」
 深く頭を下げ、文次郎と新一を繋いだ関係に終止符を打つ。
 確かに文次郎はこのまま家政夫になってもいいと思っている。しかし契約期間は一週間、新一に悪影響を与えないとも限らない。
(これで、いいんだ)
 新一に文次郎は必要ない。今彼に必要なのは休息と心から信頼できる存在。彼の隣に立てる様な、力がある者が相応しい。
(俺は、弱いから)
 文次郎では彼の隣に立つことは出来ない。同じ世界を見ることも出来ない。役に立つどころか足を引っ張ることは明白だ。
 優作は文次郎を見て微笑んだ。テーブルに置かれた鍵を取り、手で弄りだす。
「礼を言うのはこちらの方だ。期待以上のことを君はしてくれたのだからね」
 その言葉に文次郎は既視感を覚えた。確かに毎日その日の出来事を報告してきたが、今の言葉にはそれ以上の含みがある様に感じられた。気のせいかもと思ったが、優作の含みのある笑みに警報が鳴りやまない。
「まさか……」
 昼間の新一を彷彿されるそれに顔を引きつらせると、優作の笑みが深まる。
「可愛い一人息子が餓死しないよう、あの家は常に監視しているんだ」
「やっぱりか!」
 思わず頭を抱える。あの名探偵の親なのだからそれくらい当然だろうと思う反面、そのことに全く思い至らなかった己が恨めしいし恥ずかしい。つまり赤裸々な告白を彼らにも聞かれているということなのだから。
「っ、まさか哀達も!?」
「この一週間は見ていないわ、そう約束したから……ただ今日の午後からは、優作さん達と見ていたけど」
 そっと視線を外す哀に崩れ落ちる。新一だからいいかと思ってしたカミングアウトが予想外に知れ渡ってしまっていたことに穴に入りたくなる、今すぐにでも穴掘りが趣味な後輩を呼んできたい。
「最悪だ……」
「気にすること無い、ここにいる全員偏見など持っていないからね。それよりも君の一途さには感心したよ、なぁ有希子」
「ええ、本当に! 是非とも新ちゃんのお婿さんになってもらいたいくらい!」
「なれませんし、なりません!」
 手で顔を覆ってざめざめ泣く。留三郎に心の中で謝るのは忘れない――隠していたのにとんでもない人達にばれてしまってすまない、と。
 文次郎の心を知ってか知らずか、だからと優作が話を続ける。
「君が話したことも、新一が君に打ち明けたことも見ていたよ。だからこそ、聞かせてほしいことがある」
「……なんですか……?」
「君から見た新一は、どんな子だったのかを」
 その質問に文次郎は顔から手を外し、工藤夫妻を見た。
 一週間面倒見た子どもの両親である二人に笑みは浮かんでいるものの、目だけは真剣そのもの。視線をずらせば博士が心配そうに、哀が至極冷静に見つめていた。隣にいる大岳に向ければ、大丈夫だと頷かれる。
「俺から見た新一は……」
 目を伏せ思い出す、この一週間の出来事。宝物になるであろう、彼と過ごした日々。
「負けず嫌いで」
 ――文字でのやり取りで、こちらが挑発すれば倍にして返して来た。
「我儘で」
 ――朝起こしに来い、掃除機をかけるなやっぱりかけろ、沢山の事を要求して来た。
「意地っ張りで」
 ――意地を張るのは大抵、彼の大切な人達の話をする時。
「あざといくらい甘え上手なのに」
 ――ひな鳥の様に後をついて回り、ゴロゴロと懐いてきた。
「肝心な時に甘えるのが下手」
 ――寂しいのを我慢して、部屋で一人耐えていた。
「素直で」
 ――文次郎、とこちらを見る目は真っ直ぐで。
「率直で」
 ――決してその口から嘘を吐かない。
「泣くのが下手くそで」
 ――声を上げて泣くことが出来なかった子ども。
「臆病で」
 ――裏切られる恐怖に身体を震わし。
「強いけど」
 ――蒼の慧眼から光が消えることは無く。
「脆い」
 ――触れば壊れてしまいそうな程、儚い。
 そして、なによりも。
「俺に『幸せ』をくれた、名探偵です」
 ――幸せだった。久しく感じていなかった感情を与えてくれた。
 緩やかに笑みを浮かべる文次郎に、にっこりと工藤夫妻も笑う。博士は安堵したように息を吐き、哀も口角を上げ小さく笑う。大岳は一人苦笑を浮かべ、仕方ないなと文次郎の頭を撫でた。
「そこまで言われたら、引き下がるしかないね」
「えっ?」
「私の負けだ、優作。反対は取り下げるよ」
「大岳教授?」
 頭に乗る手を払いのけながら首を傾げると、教授は少し寂しそうにした。
「私はね、文次郎君を独り占めしたかったんだ」
「はぁ……」
「だが、両想いなら諦めるしかない。私以上に新一君の方が、君を必要としているみたいだしね」
 片目を瞑り大岳は白旗を上げる。言葉を整理すると文次郎と新一が両想いという事だが、一体どうしてその結論に至ったのか不明である。
 一体この教授は何を言いたいのだろうか。そう眉をひそめる文次郎に応えたのは、優作だった。
「彼は君が工藤家に来ることをずっと反対していたんだよ」
「工藤家に……って、家政夫になることを? ですが紹介してきたのは大岳教授でしたよね?」
「私が無理を言ってお願いしたんだ」
「……どうして、俺を?」
 一体己の何が優作を突き動かしたのか、分からない。一介の大学生にしか過ぎない己にそんな価値があるとは思えない。訝しがる文次郎に、優作は当然のように言う。
「君の慧眼が必要だったからだ」
 言われた言葉に文次郎は数回瞬きをし、しかし理解することが出来ず気の抜けた声を出した。新一の目を慧眼と称するなら分かるが、己のそれを称されるとは思わなかった。
「文次郎君は、未来を見据えて考えることが出来る。例え『今』が悪くても焦ることなく、『未来』を見据えてそれを叶える為に動く。例えば新一だが、君は食べることも家の外に出ることも強制せず、自発的に動くのを待っていた。その間黙って見ているのではなく、出来る事を見つけてやって」
「それは当たり前のことを……」
「私たちはその当たり前を、することが出来なかったんだ」
 新一の強さを知っているからこそ、否、彼の強さにばかり目が行き弱さを忘れてしまっていた為に、食べるように、出てくるように、彼を無理やり動かそうとした。彼が弱っている現実を受け止めることが出来なかったのだ。
 それに気付いた時には、新一は外の世界を遮断していた。
「確かに三日目で新一が動くとは私達も思っていなかったが、それだけ君の待つ態度が心地よかったんだろう。私たちはどうにも、新一に関する事になるとせっかちになりがちでね」
「……それは、新一の事をよく知っているからでしょう。俺は良く知らなかったから、待つことが出来ただけで、新一を初めて見た時は『まずいな』って俺も思いましたから」
「それでも君は、新一の気持ちを優先してくれた」
「……壊れる気がしたからで」
「どこが、壊れると思ったんだい?」
「……心が。身体はよくなっても心の傷は増えるように、思えたんです」
 心理を学んでいる為か、まずはそこに目が行きがちになる。しかしあくまで文次郎の主観であり、実際問題どうなのかは分からない。それでもその返答に満足したらしく、優作はその通りだと頷いた。
「文次郎君、そこが君を選んだもう一つの理由だ。人の心の傷に非常に敏感な君だからこそ、新一を任せられると思ったんだ」
「それなら、大岳教授の方が……」
「確かに信之はとても優秀なカウンセラーだ。しかし、カウンセラーであるがゆえに新一の日常に入り込むことは出来ない」
「……新一には日常を支える人が必要だった。だから大岳教授のゼミ生である俺に、家政夫を頼んだ」
 全国を探せば条件に当てはまる者は多数いるだろうが、知り合いの大岳を通して探すとなると、ゼミ生である文次郎に辿り着いたのも納得できる。他にもいるゼミ生に条件が当てはまらず文次郎だけだったとしたら、頼んでくるのも仕方ない。
 そう考え納得した文次郎に、それでと優作が言葉を続ける。
「君が来る少し前に、新一からメールが届いたんだ」
「メールが?」
「ああ、君の携帯に転送しておいたから、是非読んでみてほしい」
 ――息子のメールを勝手に他人に転送していいのか、というツッコミはしないほうがいいだろう。
 口から出そうになったのを寸での所で飲み込み、ポケットに入れていた携帯を取り出す。見れば確かに新着メールが一件あり、送り名は優作だった。
 開いて読み、文次郎は左右形の異なる目を大きく見開かせる。
「さて、本題に入ろうか、文次郎君」
 悪戯が成功した子どものように笑う優作に、だがこれなら仕方ないと納得する。ついでにどうして大岳と優作の間に流れる空気が可笑しかった理由も判明した。
 とんでもないサプライズがあったものだと口角を上げる。
「我が家の家政夫に、なってもらえないだろうか」
 再び机の上に置かれる隣の家の鍵。
 文次郎は一つ息を吐いた後、ゆっくりと手を伸ばした。


2015/02/06 pixiv
2015/02/24 加筆修正
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