家政夫になるまで
擦れ違いの果て


 文次郎が留三郎と出会ったのは、幼稚園の時だった。
 その頃から頻繁に些細なことで喧嘩をし、小学生に上がってからは目があえば殴り合った。喧嘩は日常茶飯事でコミュニケーションの一部。周囲は二人の事を「犬猿の仲」と呼び、文次郎も留三郎の事をライバルだと思っていた。
 それが崩れたのは中学生に上がって直ぐの事。学ランに身を包んだ彼に言われたのだ――前からずっと好きだった、と。

「――その告白だけだったらまだ良かったんだが、いきなり抱きしめてきて顔を寄せて来たもんだから怖くなって『お前は俺のライバルだろ!』って顔面を殴りつけたんだ」
「……いきなりは怖いな」
「だろ? 犬猿の仲とまで言われた男に好きだって迫られたら、誰だって恐怖を覚えるはずなんだが……俺は奴を甘く見ていた。いや、正確には奴の周囲、だな」
 思い出すだけで頭が痛くなる過去の記憶に文次郎は顔をしかめる。思えば彼らの乱入のせいで文次郎の人生は狂わされた。
「留三郎の奴、腐れ縁達を味方につけていたんだ。お陰で俺は四面楚歌。周りには付き合ってやれとホモになることを強制され、奴の家族からお願いしますと頭を下げられ、唯一の希望だった兄貴や両親からも留三郎でいいじゃないかと言われ……俺の気持ちを考えてくれる奴はどこにもいなかった」
 全くその気が無かったというのに、どう勘違いしたのか「お前もその気だろ」と思い込んでの行動だったと、後々になって教えられた。当時文次郎は隣のクラスの女子に恋していたので余計に裏切られたと感じ悲しかった。
「四面楚歌でも俺は本当に留三郎の事そういう風に見ることは出来なかったから、断固拒否を貫いていた。周りに何を言われようがされようが、絶対に頷かなかった」
 それを頷かせたのは、他の誰でもない、留三郎本人。
「そんな俺に留三郎は脅迫したんだ――付き合わなかったら、今ここで死んでやるって」
 カッターナイフを持って迫る留三郎の目は、どこまで真剣で、狂気に満ちていた。断れば本気で死ぬつもりだと悟った文次郎は、彼を死なせない為に無理やり首を縦に振った。
「そういう経緯あって、俺はあいつと付き合う様になった。もう今年で九年目になるな」
「……好きでもないのに、付き合えたのか?」
「死んで欲しくない程度には、好きだったよ」
 いざ付き合ってみれば、留三郎はそれまでの積極的が嘘の様にヘタレになり文次郎を拍子抜けさせた。人前では恥ずかしいからと今までの様にライバルとして振る舞い、知っている人だけになると途端恋人として接するのだ。人を脅しておいてとも思ったが、そのアホな所を文次郎は何時の間にか好いてしまっていた。
「あいつを本気で好きになれたのは、高校生に上がってからだった――忌々しい事件のお陰で」
「事件?」
「――襲われたんだ、留三郎を好きだった女が仕向けた男たちに」


 それは、高校に上がって間もない頃だった。
 私立学園でエスカレーター式だったが、高校からの入学者が大半を占める。高校に上がり一気に女子にモテ始めた留三郎は、それでも一途に文次郎に愛をささやいた。告白してくる女子を丁寧に断り、どんなに迫られようとも文次郎から目を反らさなかった。
 その目の熱さに、留三郎に恋をした女子たちは彼が文次郎を想っていることに気付いてしまった。好いた男に男が原因で振られるのは、彼女たちからすれば屈辱だったのだろう。中にはかなり自信をもっていた子もいたらしく、文次郎のせいだと目の敵にしてきた。
 文次郎はそれを全て受け止めた。何時かはこうなると覚悟はしていたし、この頃には留三郎の事を無自覚ながらも同じだけ想うようになっていた。
 つまりは両想い。それが耐えられなかったのだろう。
 振られた女子の一人が、知り合いの男たち数人に、文次郎を凌辱するよう命じたのは。

 帰り道、一人だった文次郎は背後から襲撃され気絶、目が覚めたら人通りの少ない路地裏に両手両足を縛られ転がされていた。
 それから暴力を振るわれた。サンドバックのように殴られ蹴られ、骨も折られた。それでも屈しなかった文次郎に男たちはどういう訳か興奮し、服を剥ぎいいように身体を嬲り始めた――ホモなんだから嬉しいだろ、と。留三郎と唇を合わせたことしかなかった文次郎の身体を、彼らは無理やりこじ開けた。

 男たちにいいように嬲られた放置された文次郎を発見したのは、皮肉にも留三郎の父親だった。
 肉体的にも精神的にもボロボロになった文次郎は病院に連れて行かれた。男に襲われたとは知られたくなく医者と留三郎の父親に口止めをし、両親には責任上伝えないといけなかったが、駆けつけてきた留三郎達には暴力だけを振るわれたことだけを説明した。今も彼らは文次郎が輪姦されたことを知らない。知っているのは医者と留三郎の父親、両親、紹介されたカウンセラー。

「そして、たった今お前が追加された」
「……」
「馬鹿なことに、輪姦されたことで俺は留三郎が好きだと自覚した。だからどうしても知られたくなかった。あいつらが留三郎に惚れた女に命令されて俺を襲ったなんて知れば、あいつは絶対に傷付く。それだけは避けたかった」
 暴力を振るわれた原因について、文次郎は決して口を割らなかった。ただ通りすがりの不良に喧嘩を売られただけだと言い張り、何事もなかったかのように振る舞った。然し男たちに慮辱されたという経験が文次郎を苦しませ、不自然に留三郎と距離を置いてしまう。それを疑問に思った腐れ縁達によって暴かれてしまったのだ、留三郎に惚れた女生徒の指示によって文次郎が暴力を振るわれたことを。
「幸い輪姦については知られなかったみたいだが、予想通り留三郎は『俺のせいだ』って責任を感じてしまった。どれだけ俺が違うと言い張っても、聞く耳を持たなかった」
 あの時、留三郎と距離を置かなければ。
 あの時、留三郎に素直になっていれば。
 こんなことにはならなかったのだろうか。
 こんなに苦しまなくてすんだのだろうか。
「自分を責め続けたあいつは、俺を守る方法を考えついた――もっとも俺が恐れていた方法を」
 どちらも悪くて、どちらも悪くない。
 どうしてこんな簡単なことが、分からなかったのだろうか。
 どうしてお互いに責め続けたのだろうか。
 その結果がこれなのだと思えば、嘲笑ばかりが浮かんでくる。
「カモフラージュとして、女と付き合う様になったんだ」


 ――文次郎を傷付けたくないから。
 そう言って告白してきた女子を受け入れた留三郎を、文次郎は許した。その手段こそが文次郎を何よりも深く傷つける事を知らない彼を、責める事は出来なかった。
 ――大丈夫だ、俺はお前だけを愛している。
 女子の目を眩ます為に、文次郎から留三郎に連絡を取ることは禁じられた。今まで過ごしていた時間を、留三郎はカモフラージュに費やした。文次郎は何も言わなかった。言っても無駄だと分かっていたから。
 ――分かってくれて、有り難うな。
 考えを分かってくれていると思った留三郎は、浮気する事への抵抗感を無くした。アピールの為にと自ら女性に近づき遊びを繰り返す様になった。

 浮気は文次郎との交際を隠すカモフラージュ。
 全ては文次郎を守るため。

 それが変わったのは、去年のクリスマスの日だった。


「今まで留三郎は、彼女と一定の距離を置くようにしていたんだ。体の関係は作らない、約束は俺優先。連絡は俺から出来ない分あいつの方から一日一回は必ずしてきた。浮気はされていたが、そのアホみたいに分かりやすい彼女との一線の取り方に、俺は確かに愛されていると実感していた」
 恋人という地位にいても扱いは友人止まり。文次郎以外を恋人扱いしたくないという気持ちが現れているそれに、留三郎には別に本命がいると専らの噂になっていた。その相手が文次郎だと実しやかに囁かれていたことを、彼だけが知らない。
「それが崩れたのが、去年のクリスマス。今まで彼女と俺を会わせないようしていたがあいつが、初めて同居していた家に彼女を連れてきた」
 俺の恋人だと、嬉しそうに文次郎に紹介してきた恋人だった男。
 彼女には昔からの友人だと、己の事を紹介して。
 可愛らしい彼女は己と違い守りたくなるような愛らしさがあって。
 ああ、と文次郎は気付いていてしまった。
 留三郎は彼女を本気で好いているのだと。
「その日以来、留三郎の最優先順位は彼女になった。毎日のように彼女に家に泊まり込み、帰って来る時も彼女を連れてきた。連絡は途絶え、時々寄越してきても彼女に関する話か、約束のキャンセル。何回かあいつからデートの誘いはあったが、全部ドタキャンされた」
 越える一線。遠くなっていく距離。
 希望すら持てない、目を反らすことも出来ない。
「今はもう、あいつから別れを切り出されるのを待っているだけだ」
 たった一言で崩れる関係は、修復不可能な所まで来てしまっていた。


 全てを話し終え、文次郎はゆっくりと息を吐いた。
 今までこのことに関してこんなにも話したことは無かった。相手が全くの無関係者だからというのもあるかもしれないが、新一だからこそ話そうと思えたのかもしれない。犯人が彼に全てを自供する気持ちが分かる気がした。
 新一は何か言いたそうに文次郎を見、だが目を伏せて首を横に振った。何を言いたかったのか分からないが、敢えて聞くことはしない。
「俺さ、女々しいのが嫌いなんだ」 ポツリと、内の内に秘めていた想いを打ち明ける。内緒話の様に小さな声に新一は耳を澄ます。
「嫌いなのに、留三郎を好きになってから馬鹿みたいに女々しくなっちまったんだ。それを信じたくなくて、自分の中にある女々しさを否定したくて、留三郎に何も言えなくなった。その結果がこれだ――本当に、嗤えてくる」
 留三郎の気持ちを理解したふりをして、己の本心から逃げていた。恐らく留三郎はその弱さを見抜き幻滅したのだろう。別れを告げないのは彼なりの優しさなのかもしれない、彼の優しさは何時も文次郎を傷付けるものだから。
 何もかもが己のせいだと文次郎は思っている。そうじゃないと腐れ縁達や両親は否定するだろうが、女々しさを受け入れ彼とも向き合っていればこうはならなかったかもしれないのだ。
 名探偵の目にもそう映っているだろう。言葉を選ぶ年下の彼が最初に何というか、期待を込めて待つ。
 新一は目を左右に泳がせ、一度きつく目を閉じた。開けた時そこにはもう迷いはなく、何もかも見透かす目を文次郎に向ける。
「それでも、好きなのか?」
 ――ヒュッと、文次郎は息をのんだ。
 新一は目を細め、今度は「好きなんだな」と断言する。
「だから、自分から別れを切り出さないのか」
「……まいった、それを見透かされたのは初めてだ。よく分かったな、俺がまだ未練がましくあいつを好きだなんて」
 周りは文次郎の気持ちが留三郎にあることに気付いていない、その為会う度に「まだ別れていないのか」と言われるようになった。留三郎の親友的存在な腐れ縁からは「文次郎からさっさと別れを切り出せばいいんだよ」との本人曰く助言を貰っている。
 確かに文次郎自身も何故未だに留三郎の事が好きなのか不思議で堪らない。それでも目を反らせない程に好きなのだ、例え相手の気持ちがもう己に向いていなくとも。
「そんなに分かりやすかったか?」
「……いや、そうじゃない」
 ふっと新一は寂しそうに笑った。それに既視感を覚えた文次郎は訝しそうにする。
「俺も、似たようなものだったからさ」
「お前も?」
「さっき言ったろ? 幼馴染の女がいるって」
「……ああ、彼女を作ったっていう」
「俺、ずっとそいつのことが好きだったんだ。でも、あいつを苦しめて傷付けて泣かして、嫌われて失恋した」
「……」
「奴らとの闘いが始まる直前にフラれたからさ、気が滅入っていた分ダメージが強すぎてよ、俺が悪いのに『ああ、こいつも俺の事裏切るんだ』って逆恨みしちまって……今も、会うのが怖いんだ」
 【奴ら】とは間違いなく、彼が潰した組織の事だろう。文次郎は忘れかけていた、目の前の名探偵が世界的裏組織をその頭脳で壊滅に導いたことを思いだした。
 姿をくらました半年と少し前。この間で彼は幼馴染の彼女に振られたという。
 更に『こいつも』という発言。『も』ということは彼は他の誰かにも裏切られたのかもしれない。
(……まさか、こいつ……)
 この一週間のアルバイトが始まる前、工藤夫妻と交わした会話を思い出す。彼らは自分たちでは会うことは出来ないが、文次郎なら大丈夫だと言った。
 そして初めてご飯を口にした時。彼は監視と言い文次郎の作る様子をずっと見つめていた。
 それらを合わせると、浮かび上がってくる一つの仮定。
 根拠も証拠もないが、文次郎は確信を持つ。
「お前は、親しい人に裏切られるのが、怖いのか?」
「――大正解。俺の方が分かりやすかったな」
 フフッと、新一は悪戯っぽく笑った。アンバランスなそれに文次郎は彼の心の傷は裏切りだけではないと気付くも、深くは追及しない。
「だから料理しているのを監視していないと、食べられなかったのか」
「潜伏中に何度か毒を盛られたことがあってさ、食べること自体に抵抗が出来ちまったんだ」
「……それは、俺でもそうなるかもしれないな」
 食事に毒を盛られると言う経験をする人が、この世にどれだけいるだろうか。少なくとも文次郎は睡眠薬はあれども毒薬はない。
「あの闘いの最中、信じられるのは自分しかいなかった。何時裏切られてもいい様に多くの策を練った。確実に自分の手で終わらせない限りこの恐怖は止まらないと思って、無理を言って最前線に立たせてもらった」
 新一自ら最前線で死力を尽し、組織のボスを捕えたことは日本警察やFBIなどの会見で言われていた為知っていた。だが、名探偵と言えども高校生。誇張表現だと一部の評論家から批判されている。そもそも探偵は所謂参謀的存在、進んで闘いの場に立つ必要性もない。
「銃を手に持ち、銃弾や爆弾の嵐の中を必死に走った。様々な仕掛けを解いて進んで、気付けば一人でボスと対峙していた。その間だけでもたくさんの裏切りを目にし、体験した。仲間が死んでいくのも止められなかった。俺も何人か殺した――死なせたくなかった人も、この手で引き金を引いて殺した」
 それなのに、彼は選んだのだ。守られることよりも、自らも戦うことを。
 人が人を殺しても罪にならない戦争。殺した数だけ英雄として崇められる特殊な状況の中で、彼も手に武器を持ち多くの血を浴びながら戦いに終結をもたらした。
「例え法で捌かれなくとも、人を殺したことには変わりない。俺は殺人鬼だ」
 探偵である彼は殺人を犯した。然し世界は彼を英雄と崇め、罪を罪と認めない。
 それに彼が苦しめられてきたことは、一目瞭然だった。
「俺の方こそ、ごめん。こんな殺人鬼の世話なんかさせて」
「……謝るな。そんな言葉は望んでいない」
「でも俺は、人殺しだ。この手は血に汚れている」
 そっと両手を文次郎に見せるようにして持ち上げ、新一は泣きそうに顔を歪めた。
 痩せ細ばり骨と皮だけになった手は、確かに綺麗とは言い難い。一瞬その手が赤く染まっている様にも見えた。
 だが。文次郎はその手を覆う様にして自身の手を重ねる。
「この手は確かに誰かの命を奪ったかもしれん。だが、同時に誰かを救ったのも真実だ」
「……っ」
「俺だってそうだ。この一週間、俺はお前の存在に救われてきた。『美味しい』とお前が笑ってくれたあの時、俺は今までで一番の幸せを感じた――留三郎がいないあの家に帰ることがどれだけ辛かったか、どれだけこの家に留まりたいと、このままお前の家政夫としてここにいたいと思ったか、お前は知らないだろう」
 ふるりと、新一の睫毛が揺れ動いた。今にも泣き出しそうな目に大粒の滴が溜まり、しかし零れ落ちないよう必死にしがみついている。
 それが、文次郎にはもどかしく見えた。さっさとその滴を地面に落としたいという衝動に駆られる。
「人を殺したことは事実でも、それが真実とは限らない」
「……あっ」
「そこにある想いを見つけるのが、探偵なんだろう? お前の真実をお前が見失ったら、一生迷子になっちまうぞ」
「……で、も」
「まあ迷子になった主人を見つけるのが家政夫の役目だから、一生ってことはないか」
 握っていた手を離し、頭にそっと乗せる。早く流しちまえと思いながらも壊れ物を扱う様に優しい手付きで撫でる。
「お前の『真実』は、ここにある」
 ポタリと、膝にしずくが落ちる。それは新一の頬を伝って落ちてきた、落ちるものかとしがみ付いていた滴。
 ポロポロと、新一は静かに泣いた。声を押し殺すように唇を強く噛み締め、体の中の衝撃を抑えるように肩を震わして。
 文次郎が黙ってその身体を引き寄せると、新一は勢いよくしがみ付き胸に顔を埋めた。途端じわりと濡れた感触が広がってきたが、気にせずその背中を摩り撫でる。
 ゆるりと目を閉じると、目の奥の方が熱くなった気がした。


2015/02/06 pixiv
2015/02/23 加筆修正
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