家政夫になるまで
最後の日曜日


「はい、もしもし――仙蔵? 明日遊びに行くって? 悪い、俺バイトの最終日だから無理。――だから家政夫だよ、一週間限定の。明日で最後だから、一日中そっちにいる予定だ」


 あっという間にやっていた一週間最後の日の朝。文次郎は一週間鳴らし続けた玄関のチャイムを鳴らした。
「おはよう、文次郎君」
「おはようございます、博士」
 工藤邸の鍵の管理をしている博士と挨拶を交わし、鍵を受け取る。鍵を頑なに持とうとしなかった為に行われることとなったこのやり取りも、今日で最後となる。
「今日で最後か、寂しいのう」
「そういった約束でしたから」
「それとな、夜に優作君たちが来るそうじゃから、帰る前に寄ってくれ」
「分かりました」
 手の中にある鍵の感触を握り締めることで感じ、文次郎は頭を下げて踵を返す。
 少し歩いただけで着く工藤邸の門。初めてこの門をくぐった時の戸惑いが嘘の様に感じる位、いつの間にか日常の一部になっていたことに苦笑が浮かぶ。
(濃い一週間だったからなぁ……)
 鍵を開けて中に入り、真っ直ぐに二階に行く。四日目の朝から文次郎の朝の仕事の一つとなった、工藤邸に来て最初に行う仕事。
「新一、朝だぞ」
 コンコン、と部屋のノックをし、工藤邸唯一の主の目覚めを促す。
「朝飯作るけどいいのか?」
 もう一度ノックをして呼びかければ、ドンと扉に何かがぶつけられる音がした。中に入れという合図である。文次郎は息を吐き、扉を開けて床を見る。そこには目覚まし時計が転がっていた。
「こら新一、時計を投げるなって昨日も言っただろ」
「うー……」
「さっさと起きる!」
 ベッドに向かい、ベリッと布団をはぎ取る。九月でまだまだ暑いが体温調節がうまく効かないらしく、クシュンとくしゃみをした新一を起こし、椅子に掛けてある上着をひっかける。
「ほら、これ着るんだ」
「んー……」
「……二度寝するか?」
「やー……」
 目をコシコシと擦り――彼は時々こうしてやけに幼っぽい仕草をする。最初は戸惑ったがもう慣れた――服の裾を掴んでくる新一を無理やり立たせ、文次郎は部屋の外に連れ出す。
 文次郎の朝の仕事は、新一を起こして一階に連れて行くことから始まるのだった。


「……んー……ん?」
「おはよう新一」
「……はよーござます」
 朝食のスープを作り無理やり口の中に押し込んでいると――最初は食べるのを待っていたのだが、食べさせろと怒られた――ようやく覚醒したらしい。寝ぼけ眼がしっかりしてきたので、持っていたスプーンを渡し自分の分を飲む。ご飯は二人で食べる、と新一に約束させられ妥協してスープだけは飲むことにしたので、後でまた何か食べる物を買いに行く予定だ。
 数回瞬きをして新一はモゴモゴと口の中を動かす。口の中に広がる味がスープだと気付いたらしく、ふわりと笑みを浮かべた。お気に召したらしい。
「今日も美味いな」
「そりゃよかった。食べ終わったらお前は部屋に戻ってろよ。俺は掃除するから」
「俺も手伝う」
「おっ? なら掃除機でもかけて回るか?」
「やる!」
「じゃあまずはリビングから頼んだぞ」
 掃除を嫌っていたはずなのに、今朝はやってみる気になったのか自分から進んで申し出てきた。その気持ちを尊重して仕事を与えれば、嬉しそうに笑みを深めたので文次郎もつられて笑う。
 食べるようになった三日目の夜から、新一は積極的に文次郎に近づいてきている。時々近づき過ぎて慌てて離れていくこともあるが、刷り込み完了した雛のように後をついて回る姿は中々に愛らしい。懐かれて悪い気はしないので、文次郎も新一の好きにさせている。
 それも今日で最後。ツキンと痛む胸に気付かないふりをして、文次郎は新一の口回りを拭いてやった。


 食事の後も洗濯に掃除やらと忙しい。水回りの掃除やら洗濯やら何やらと朝の仕事をこなしていき、最後に行うのは庭掃除と決めている。因みに掃除機をかけて回った新一は満足したのか大人しく自室で休んでいる。
 努力の甲斐あり綺麗になった前庭を掃いて回っていると、コンコンと門から音が聞こえてきた。見れば哀がビニール袋を片手に門の外に立っており、文次郎は軽く手をあげてそちらに向かう。
「はよ、哀」
「おはよう、今日もご苦労様。工藤君は?」
 この一週間顔を合わせるたびに聞かれる新一についての質問。それに対する文次郎の返事はその度々で変わってくる。
「自分から掃除するって言ったから、掃除機をかけてもらった」
 哀は瞠目し、胸に手を当て「そう」とゆっくり息を吐いた。
「ご飯は?」
「スープを完食。固形物はまだ食べられないだろうが、食べようという意欲はある」
「……良かった……」
 吐息と共に漏れる彼女の本音に、文次郎は眩しそうに目を細める。
「本当に、哀は新一が大事なんだな」
「当然よ」
 予想に反し、哀はハッキリと断言した。照れるか冷たい目を向けてくるかのどちらかだと思っていた文次郎は、思わぬそれに目を丸くする。
「工藤君は私の命の恩人で、大切な相棒なの。大事なんて言葉じゃ足りない位だわ」
 熱烈な言葉に、文次郎は言葉に詰まった。小学生とは思えない表情を浮かべるとは思っていたが、その言葉の重みも違う。彼女の目に特有の熱は無いが、恐ろしい程の複雑な愛情があった。
 一体彼女たちの間で何があったのだろうか。何も知らない文次郎は問いかけようとし、口を閉じて飲み込む。
(今日で終わりなんだ、聞いてどうする。好奇心で突っ込んでいい所じゃない)
 初めて新一がスープを口にしたと報告した時、少女は泣き崩れた。少女だけでない、博士や電話で報告した工藤夫妻も、文次郎が聞いているにも関わらず声を上げて泣いた。そして言うのだ、「有り難う」と。
(俺が、踏み込んでいい領域じゃない)
 あの感謝の言葉は、ただ食べさせたことに対するものではなかった。もっと奥深い所にある何かを文次郎が引き上げたことに対する感謝だった。それが何だったのか、文次郎は推測するしか出来ない。その答え合わせをすることも出来ない――してしまえばきっと、一週間という契約を崩してしまうことになるから。
「相棒か。俺にも一応いるけど、あいつ過保護なんだよな」
 文次郎はわざと一部分しか汲み取らなかった。それに哀が一瞬目を細めたが、すぐに「あら」と含みある笑みを浮かべる。
「初めて聞いたわ、貴方にそんな人がいたなんて」
「幼稚園時代からの腐れ縁の一人だ。因みにあと四人いる」
「仲良し六人組?」
「仲良しじゃないが、気付けば六人一緒にいるんだ。集まれば馬鹿騒ぎになって周囲の迷惑になるが」
「……それを仲良しだと思うけど?」
「仲良しなもんか」
 断固として認めない姿勢を見せれば、哀は呆れた目を向けていた。何も言わず肩を竦め、「これだから男は」と女だからこそ言える台詞を言う。因みに男からすれば「これだから女は」になるのだが、これを言えばあらゆる方面から猛攻撃を食らうことになるので口から出してはいけない禁句だ。
「まあいいわ。また昼過ぎに来るから、彼に何かあれば教えてちょうだい」
「了解」
「それと、これ」
 はい、と持っていたビニール袋を差し出す。受け取り中を見ると、ラップにくるまれたおにぎりが数個入っていた。
「買いに行く暇なんてないでしょうから、これでも食べなさい」
「何時も悪いな、助かる」
 自分の食事は作らず買っていると知られてから、一日一回こうしておすそ分けを貰っている。哀が作っているらしく、料理を学びたい位に美味しいそれを文次郎は気に入っていた。
「じゃあ、また後で」
「ああ」
 踵を返す哀に手を振り、文次郎も片付けてから家の中に戻る。
 その背中を、立ち止まった哀が見ているとは知らずに。



「文次郎、話をしよう」
「また唐突だな」
 新一は文次郎が調理している姿を見なければ食べられないらしく、必ず傍で観察している。この行動の訳を何となく察している文次郎は文句も何も言わず、新一の好きにさせていた。昼食も例外なく監視付きで作り上げ、二人で席に着き食事をとる。文次郎は哀から貰ったおにぎり付きだ。
 美味しいそうに文次郎のスープを飲んでいた新一が、ふと思いついて提案する。唐突なそれに文次郎は呆れた表情を浮かべるが、新一の表情は至って真面目である。
「だって俺、お前の事何も知らねぇし」
「……それはお互い様だろうが」
「灰原には話したのに、俺には話せねぇのかよ」
 ムッと顔をしかめる新一の、その言葉の不可解さに文次郎はストップをかける。
「なんでそれを知っているんだ、窓は閉まっていただろ」
「企業秘密」
 探偵という職業柄、地獄耳だと言いたいのか。それとも文次郎の知りえない方法で聞いていたのか。考えるだけで恐ろしいそれに身震いし、改めて目の前の少年が世界的名探偵であると実感する――服の襟足に盗聴器がつけられていることに、文次郎は気付いていない。
「……何を、話せばいいんだ?」
「腐れ縁だっていう五人のことを聞きたい」
 ニッコリと笑う新一に、文次郎は言葉に詰まり息を吐く。
 どうにも彼のこの笑みに弱く、うっかりほだされてしまう。元より面食いなので美形に弱い、綺麗系の美人には尚更弱い。そういった意味では今まで出会ったどの人よりも綺麗だと思わせる新一に弱いのは当然のこと。
「食べ終わったらな」
 せめての抵抗で言った言葉は、新一を喜ばせるだけだった。


 二人で食器を洗い片付け、リビングに移動する。新一が文次郎と会う様になってから使われるようになった部屋の長椅子に腰を下ろすと、新一も隣に腰を下ろす。寄り掛かるようにして引っ付いて、顔を覗き込んできた。話をせがむ時に必ず時に必ずするそれに、文次郎は一種の末恐ろしさを感じる――男がやっても違和感がないなんて、流石大女優の息子なだけある。
「ああ、と、腐れ縁についてだったか? つまんねぇと思うぞ?」
 軽く目を反らしながら最終確認として聞く。新一はいいからと袖を引っ張り、話を促してきた。お前は小学生かというツッコミをなんとか抑え、脳裏に腐れ縁達の顔を思い浮かべる。
「誰から話せばいいか迷うな」
「文次郎と一番親しい人からがいい」
「……仙蔵か、ある意味留三郎だな」
「どんな人?」
「仙蔵は俺の『相棒』的存在で、留三郎は――」
 思わず出した名前に言葉を紡ぐ。留三郎について話すには、まず彼と恋仲であることから説明しなければならない。
 しかし、留三郎と文次郎は同性の恋人である。新一にもし偏見があればと思うと、カミングアウトする勇気は沸いてこない。
 どうにかして誤魔化せないかと考えていると、新一の目が鋭くなる。
「成程。その『留三郎』が文次郎の恋人か」
「――っ!?」
 言い当てられたことに文次郎は口を魚の様にパクパクと開閉された。新一はニヤリと笑い、蒼の慧眼を煌めかす。
「おっ、その反応を見るに当たっていたみたいだな」
「なん、で……」
「最初に疑問に思ったのは、文次郎の首についていた鬱血の痕で」
 するりと指でなぞられ、文次郎は思わず手で押さえる。工藤家の人々と出会うことになったあの日につけられたそれの存在を見られているとは思っていなかった。今はもう薄くなっていて消えているはずなので、彼が見たのはあの初めて対面した日だと考えられる。
「次に着信音。文次郎の携帯は結構頻繁に鳴っていたけど、何回か違うメロディだった。その時文次郎は必ず目を閉じて息を整えてから電話に出て、話している最中は必ず握り拳を作り、何かに耐えるように震わせていた。切った後は深く息を吐き、額に携帯を当て祈る様に目を閉じる」
 確かに留三郎からの着信音は変えている。これは勝手に留三郎にやられたものだが、文次郎は文句を言いつつも元に戻そうとはしなかった。電話に出る前に緊張して息を整えるのは、彼からの電話が彼女絡みの事務的連絡で出てきそうになる文句を押し留めないといけないから。終わった後は安堵の息を吐き、もうかかってくるなと祈ってしまう。
「それだけだと恋人だとは断言できなかったから、カマをかけてみたって訳だ」
 つまり文次郎は自爆したということになる。乾いた笑みを浮かべ、文次郎は息を吐いた。この少年には嘘は通用しないと分かっていたのに誤魔化そうとした己が悪い。
 それよりも、不愉快にさせたかもしれないことの方が気になった。一週間とは言え家の家事をしていた男が同性と付き合っている等考えたくもなかっただろう。
「悪いな、嫌な思いをさせてしまって」
 心からの謝罪に、しかし新一は訳が分からないという風に顔をしかめる。
「なんだよ、嫌な思いって。……あ、そっか。あのさ、別に偏見とかはねぇぜ。俺の幼馴染の女も彼女作っているし、知り合いにも何人かいるからさ。文次郎なら納得だし」
 文次郎の言いたいことを理解した新一は、あっけらかんと受け入れてみせた。中々なカミングアウトもしてくれたが、最後の言葉に文次郎は敏感に反応する。
「なんだよ、俺なら納得って」
「抱かれるお前を想像してみたら、結構簡単に出来たから」
「んなもん想像するな!」
 エヘッと可愛い子ぶる新一から距離を取り、鳥肌の立った腕を摩る。まさか刷り込み完了した雛の様に後をついて回っていた少年がそんな想像をしていたとは、知りたくもなかった。
「で、その留三郎っていう恋人と何かあったのか?」
 距離を詰めてきた新一は、蒼の慧眼で文次郎を見つめる。何も見透かすその目に、文次郎は真実しか語れなくなった。誤魔化しても無駄だ、という思いが嘘をつくという判断を失わせる。
「――あったじゃない、ずっと続いている」
 それが嫌だと思わないのは、誰かに話したかったからだろうか。それとも彼なら、という思いがあったのだろうか。
 どちらにしろ、文次郎は初めてすすんで話す。留三郎と己の複雑に捻じれ曲がった過去の出来事を。
「留三郎が告白してきた時から、ずっと」


2015/02/06 pixiv
2015/02/22 加筆修正
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