家政夫になるまで アルバイトの紹介 留三郎の帰宅と言う予想外の出来事の為予定より早く家を出た文次郎は、約束の時間の三十分前に着いてしまった。動揺が歩く速度に出たのかと思うほどに過去新記録の速さである。三十分とは微妙な時間帯で、どこかの店に入るのもこのまま立って待つのも憚れる時間である。仕方ないので先に中に入りロビーで待たしてもらおうと決めた時、目の前に一台のタクシーが止まった。 「文次郎君、早かったね」 「大岳教授」 大岳も早めに来たらしく、それよりも前に来られたことに文次郎は自分で自分を褒めた。留三郎が帰って来たのもこの為だったのかもしれないと、何時もなら思わないようなことも思う。 タクシーから降りてきた大岳教と共に中に入り、エレベーターで最上階まで昇る。米花センタービル展望レストランは所謂高級レストラン、庶民には中々手の届かない場所であり、文次郎も足を踏み入れるのが数える程しかない。その数える程度のすべてが大岳の誘いだから、一部の大学生に妬まれるのも仕方ないだろう。文次郎も自分が誰よりも贔屓されていると感じている。 (そういや大岳教授って、何気に金持ちだよなー……。人脈も幅広いみてぇだし) 前を歩く大岳をこっそりのぞき見る。柔和な笑みが浮かぶ顔はウェイトレスも見とれる程格好いい。一部の女子が「ダンディなオジサマ素敵」と騒いでいるのを見かけたことがあったが、確かにと文次郎も同意した。 その素敵なオジ様が、やれ熊みたいだやれ怖いなどと女に嫌煙される己を誰から見ても分かるほどに贔屓し可愛がっている。 「……そりゃムカつくよなー……」 「何がだい?」 「あっ、いえ。独り言です」 思わず口から出た言葉が聞こえたらしく、大岳が振り返ったので慌てて両手を振る。少し不思議そうにした後、そうかと言って大岳は笑った。ああ、悩殺スマイル。案内に来たウェイトレスは魂が抜けたように見惚れている。 「行こうか、文次郎君。景色が一番いい所を予約しているんだ。君も気に入ると思うよ」 「……教授、お願いですから誤解を招く発言は止めてください……」 はたから聞くと関係を疑いたくなる怪しい台詞である。ウェイトレスの視線が痛い、否、店中の女性の視線が痛い。彼女たちの目が語っている、お前は一体なんなんだと。 (これならまだ留三郎の方がマシだ……) 同じく女性にモテる留三郎だが、まだ彼の方が平常心を保てる。恋人という関係にあるため、誤解も何もなく事実なのだからと視線も受け止められるからだ。しかし、大岳とは噂されるような関係では一切ない。教授がまだ独身だということもありその手の噂が広まってしまったのだろうが、信じている人が多いのが悩みの種である。 トボトボとしながら後をついていくと、言葉通り一等席に案内された。今までの席からの眺めも素晴らしかったが、ここは確かに一番だと言える。 「まだ彼達は来てないようだから、先に何か飲ませてもらおうか。文次郎君は何がいい? 今日は歩きできたんだろう?」 「はい、教授と同じものでお願いします」 「なら赤ワインにしよう。文次郎君には赤が似合うからね」 「……だから止めてくださいって……」 もうヤダこの人。文次郎は顔を覆いたくなった。一層ひどくなった視線が背中にグサグサと突き刺さっている。 大岳はそれらを一切気にせず、ウェイトレスに店一番の赤ワインを持ってくるよう注文した。こういった時ばかりはこの柔和な笑みが恨めしい。 しばらくして持って来られたワインをグラスに注ぎ、乾杯を取る。口をつけると流石店一番のワイン、今まで飲んだどれよりも美味しい。 「うん、やっぱり文次郎君に赤は綺麗に映えるね。実に扇情的だ。私があともう少し若ければ、君を奪い取っていたんだがなぁ」 「頼むからもう黙ってください……!」 だが、大岳の言葉で味も分からなくなる程撃沈した。痛くなる頭を押さえて懇願しても、大岳は涼しい顔でワインを飲んでいる。 「本当の事なんだから仕方ないじゃないか」 「それだから何時まで経っても噂が消えないんですよ。俺があなたのファンに殺されたら、化けて出てきますからね」 「ああ、素敵なことだ。是非とも私の前に現れてくれ」 「前言撤回します。アンタの前には意地でも出ません」 「それは残念」 クスクスと笑う大岳に、文次郎はそっぽを向く。からかっているだけだと分かっているが、遊ばれている気がして嬉しくない。 その時ふと、窓から見える他ビルの屋上で白い何かがあるのが見えた。揺れ動いているようなそれは細長く、何だろうとそちらに意識を向ける。 「文次郎君、友人たちが来たようだ」 しかし、大岳の言葉で意識がレストラン内に戻った。元よりちょっとした好奇心、わざわざこのような場所に連れてこさせるほどの教授の知り合いの方が気になる、のだが。 その知り合いを見て、文次郎の意識は一瞬飛んでいってしまった。 レストラン内のすべての人間が注目しているだろうそこには、四人の老若男女がいた。 一人はぽっちゃりとした老人男性。和んだ目元が人の好さを表しており、子どもに好かれそうなタイプに見える。 一人は将来有望間違いなしな美少女。まだ小学一年生位に見えるが、その表情は非常に大人びている。 一見するとお祖父さんと孫の様な二人。この二人が注目を浴びているのではなく、もう二人。世間に疎いと言われがちの文次郎でも知っている、現在最も有名であろう家族。 (工藤優作と、工藤有希子……!?) 世界的推理小説家工藤優作と、世界的元女優工藤有希子の夫婦が、悠然と席に案内されていた――大岳教授と文次郎がいる席に。 「えっ、えっ?」 読書好きで推理小説も好んで読んでいる文次郎は、工藤優作の作品も全て網羅しており実家の本棚にも今住んでいる家の本棚にも並んでいる。工藤有希子は両親が大ファンなため、彼女の出演している作品の映画やドラマは幼いころからよく見て来た。 二人が今現在最も注目を浴びているのは、彼らの一人息子の存在が原因なのだが、今息子はいないようだ。それでも文次郎にとっては、一生の内で会えたら奇跡だと思わずにはいられない雲の上的存在の人達。 「きょっ、教授、まさかあの人達が……」 そんな彼らがこの席に向かって歩いてきているということは、考えられることはただ一つ。 「そう、友人の工藤優作だよ」 「ですよね!」 本日会う予定の教授の友人。つまり家政夫のアルバイターを探している人。 一瞬にしてそこまでイコールで繋がった文次郎は思った。無理だ、と。 工藤家で家政夫をするなんてどう考えても無理な話である。その理由に身分やら何やらと挙げられるが、文次郎が思うことはただ一つ。 (俺なんかに出来るはずがない!) ただでさえ世界的注目を浴びている家族。そこに家政夫だと言って近づく自分を想像するだけで、どうなるか分かる――バッシングを受けること間違いなしだ。 思考がどうやって穏便に断ろうかと考えだした時には、工藤夫妻とその後ろにいた老人と少女は到着しており、大岳教授と優作が親しげに握手を交わす。 「久しぶりだね、優作。有希子さんも相変わらず美しい」 「君も相変わらずのせっかちみたいだな。少しは待とうとは思わないのか?」 「遅れてくる方が悪い」 「約束の時間丁度だ」 「私たちは三十分前に着いていた」 ニコニコと握手を交わしたまま話をする二人。しかしその間にはブリザードの様なものが吹雪いており、慌てて文次郎が「教授」と間に入る。 「立ったままではご家族の方も辛いでしょう。積もる話もあるでしょうが……」 「ああ、そうだね。話は座ってからにしよう」 パッと二人は手をほどき、険悪な空気を一瞬で消し去った。もしか一種のジョークかコミュニケーションだったのかと思ったが、これ以上空気を変なものにしたくないので黙って座り直す。奥に座っていた文次郎の隣に少女が座り、その隣に老人が座った。向かい側の大岳の隣に優作と有希子が座り、合計六人での食事会が始まった。それぞれ飲み物を注文してから、さてと優作がその場を仕切る。 「まずは自己紹介からしようか。この私の隣にいる男は、高校時代からの友人、大岳信之。東都大学の教授で、カウンセラーもしている」 「初めまして、話には聞いているよ」 「そしてその向かいにいるのが――」 優作の目が文次郎を向く。つられるようにして他の人の目もむけられたので、文次郎は全員に向けて軽く会釈をする。 「大岳教授のゼミ生、潮江文次郎です」 「私の自慢の生徒なんだ」 「はは、それは聞き飽きたよ信之」 どこか誇らしげな大岳教授の言葉に優作が苦笑を浮かべる。聞き飽きたという言葉に文次郎はぎょっとしたが、そうそうと有希子が同意したので聞くことが出来ない。 「大岳さんったら、いっつも文次郎君の事ばかりなのよ? だから実際会えて嬉しいわ」 「いっ、何時も、とは一体……?」 ひくりと口元が引き攣る。この教授は何を話したのだろうか、と嫌な予感に襲われる。 「『とても素晴らしい子を見つけた』とか『片付け上手で料理上手な子だ』とか」 「『ボランティアで行った先の子に凄く懐かれる優しい子』で『とっても不器用で貧乏くじばかりひいているけど、責任感が強くてどんなことにも一生懸命に取り組む』とか」 「最近はもっぱら、『研究室に毎日呼び出せるいい案は無いか』かな? 私は部屋の掃除をさせに来させればどうかと提案したんだが、上手くいったのか?」 「おかげさまで夏休みでも毎日楽しめているよ」 ぐらりと眩暈がし、文次郎は項垂れた。やけに毎日の様に呼び出されているとは思っていたが、それに優作が一枚噛んでいるとは思いもよらなかった。留三郎が難色を示したから同居をきっかけにアルバイトを減らしたのも事実だが、もう一つ教授に「今後は一層忙しくなるから」と減らすことを勧められたからのもある。事実、彼のゼミ生になってからというもののボランティアや何やらで頻繁に大岳に呼び出されていた。部屋の掃除で呼ばれても文句ひとつ言わなかった過去の己を叱責したい。 「……もう教授の部屋の片づけはしません。ご自分で頑張るか、他のゼミ生にやってもらってください。ああ、教授のファンを名乗る子達を紹介しましょうか、彼女たちなら喜んで研究室だけでなくご自宅の片づけもすると思いますよ」 その前にいう言葉はこれしかないだろう。 恨めしそうな文次郎の声に大岳は慌てるが、ジト目を送り取り合わない。 二人のやり取りに工藤夫妻と老人が可笑しそうに笑いだす。隣の少女もクスリと小さく笑った。 「余計なことを言ってしまったみたいだな、信之。文次郎君もすまなかったね」 「いえ、お気になさらず」 「遅くなったが、こちらは私の隣人宅の阿笠博士、その養女の灰原哀ちゃんだ」 「博士(はかせ)と呼ばれておるよ」 「……よろしく、好きなように呼んでもらって構わないわ」 ほがらかに笑う老人――阿笠博士と、クールな態度を崩さない少女――灰原哀に、文次郎はペコリと頭を下げた。この間も大岳の事は無視している。 「さて、まずは乾杯といこうかじゃないか」 運ばれてきた飲み物に、優作が笑顔でグラスを取る。文次郎も二度目の乾杯をするためにグラスを掲げた。 「――でね、優作ったら一人で逃げちゃったの。しかもフランスよ、フランス。私を置いていくなんて酷いと思わない?」 「……そうですね。一人は寂しいですし」 フルコースを食べているはずなのだが、味が分からない。それほどに緊張している文次郎は、それを表に出さないよう努めるという二重の苦労を強いられていた。 何故かこの工藤夫妻は文次郎と話したがり、代わる代わる話題を振ってきた。内容が一貫していればまだマシだったのだが、それぞれ話題が毎回変わり、博士や哀も時々話を振って来るのでその対応に大忙し。大岳もニコニコと見守っているだけだったので、文次郎一人で四人の話を聞かなければならない。 有希子の優作において行かれたエピソードが終わり、今度は誰だろうと思っていると静かにデザートを頬張っていた哀が「文次郎さんは」と話題を振ってくる。 「工藤夫妻のことを知っていたみたいだけど、息子はどうなの?」 「えっ? ああ、工藤新一君、ですよね?」 今まで彼ら自身についての話題はあったものの、一度も名前が挙がることがなかった工藤夫妻の息子――工藤新一の名を口に出し、文次郎は彼らの反応を窺う。話題に出なかったのでタブーなのかと思っていたのだが、彼らは笑みを浮かべるだけだった。 (うーん、俺は一体どうすればいいんだろうか……) 何と答えれば正解なのだろうか。判断に迷うそれに文次郎は内心冷や汗を流した。 工藤優作と工藤有希子の愛息子、工藤新一。世界的推理小説家と世界的元大女優を親に持つサラブレッドは、七光りではなく自身の力でその名を世界に轟かした。 平成のシャーロック・ホームズ。日本警察の救世主。仰々しい二つ名を持つ彼は高校生にして日本を代表する名探偵である。 多くの難事件を解決し迷宮なしの名探偵とメディアに持ち上げられていた彼は、しかし今年の一月に突然の失踪。今まで新聞に顔写真を載せたりと目立つ行為を繰り返していたのに、死亡説も流れる程パタリと表に出てこなくなった。その彼が再び姿を現したのは、疾走してから半年と少し。 世界的裏組織壊滅という名誉と共に、再び表に出てきたのだ。 日本警察のみならず、FBIやCAI、ICPOなどの他国の機関をまとめあげ、彼らのブレーンとして探偵以上の働きを見せた彼は、今は生きる国宝。世界中で名探偵として知られるようになり、日本では空前の探偵ブーム。道行く子どもに将来の夢はと聞けば、そのほとんどが探偵と答える程。 だが、表に出た彼は今までの様にメディアに露出することを是としなかった。名前を出すのを伏せ、インタビューに答えることもなくなった。だからと言って探偵業を止めた訳では無く、今もなお警察に協力をしているらしい。世間を騒がす大きな事件の殆どが、名前が出ていないだけで彼が解決していることが関わった人物たちから漏れて広まっている。今や日本で知らない者はいない彼は確かに、日本の誇る名探偵の座を不動のものとしていた。 (……素直に言った方が、いいよな、この場合……) しばらく悩んだ後、文次郎は意を決した。「失礼ながら」と前置きし、重たい口を開く。 「テレビで彼を見たことがありましたが、休んだ方がいいように思いました」 その言葉に、四人は一瞬瞠目した。しかし自分の事で精一杯な文次郎は気付かず、必死に言葉を紡ぐ。 「あれだけ大きな組織を倒したんですから仕方ないでしょうが、頑張り過ぎて無理している様に見えました。正直、名前を伏せるのも分かる気がするんです。疲れている時にメディアに追っかけまわされると余計に辛いでしょうから……まだ高校生なんですし、頑張った後はゆっくり休まないと」 一度テレビで見た、アメリカから日本に帰ってきた名探偵の姿。多くの警官に守られるようにした現れた彼は、姿を消す前よりも一層美しくなっており、儚さを身に纏っていた。それに周囲はアイドルの様に持ち上げていたが、文次郎は一瞬だけ映った彼の目に戸惑いを感じた――蒼の慧眼と謳われる彼の目に、光が無かったために。 大きな事件を乗り越えたことで、彼は一回りも二回りも成長したのだろう。それが内から発するオーラと言う形で他を圧倒し、神々しく見せている。だが、あの目は違う。彼の負った傷の深さを象徴するように、心の闇を表している。 「疲れて倒れてからでは、遅いですし……って、すみません! ご両親の前でこんなことを言って」 話せたことに安堵した文次郎は、ようやく目の前にいる工藤夫妻が新一の両親であることを思いだした。慌てて頭を下げれば、優作に「有り難う」と何故か感謝された。 「やっぱり君を紹介してもらって、正解だった――できればもっと早く、君と息子を会わせたかったよ」 「えっ?」 「私は彼に任せたいと思う。他の皆はどうだい?」 「優作と同じよ。私も母として彼に賭けてみたい」 「ワシもよいと思うぞ」 「……そうね。期待はしないでおくわ」 「全員の意見が一致した所で、今日の本題に入るとしようか」 何が起きているのかさっぱり分からない文次郎に、優作が笑みを浮かべたまま爆弾を投下する。 「潮江文次郎君、君に我が息子の家政夫に――いや、奇跡を起こしてほしいんだ」 「――は、い……?」 2015/02/06 pixiv 2015/02/19 加筆修正 prev 栞を挟む next [目次 back mix TOP] ![]() |