※「考察編」04話後


 和代が遊女になった訳は、この時世では珍しくない所謂『家の事情』である。このことに対して不満を抱いていない、抱く方が可笑しいとさえ思っている。有り難いことに、和代は大見世老舗の『花御園』に引き取られた。ここは遊女を『花』と呼び、他の店に比べて圧倒的に扱いが良いことでも評判だった。
 年齢の問題で禿を経験せず留袖新造になったが、数年後無事に卒業し、下級ではあるが自分の部屋も与えられた。固定の客も数名おり、店への貢献は出来ていると思っている。

「向日葵」

 だからこそ、この店に恩を感じているからこそ、この感情はあってはならないものなのだ。
 花名を呼ばれた和代は高鳴る心臓の音を無視し、客である男を部屋に招き入れる。音もなく入って来た男の袖を引くと、軽く抱きしめられた。鼻を擽る仄かな水の香りに、ゆっくりと体が熱くなって来る。

「文次郎様」

 名を呼ぶこの声に熱が篭ってしまうのは、遊女としての技か、はたまた別のもののせいか。その答えを知りたくないと、和代は男――潮江文次郎の背中に腕を回した。


 和代と文次郎の出会いは、今から四年前。和代が下級遊女になって間もない頃、当時忍術学園の生徒だった現店主に連れられて来たのが文次郎だった。女装の特訓と称したそれの相手に抜擢されたのが和代で、何も知らない彼に一つ一つ手ほどきをしていった。一々初な反応をした文次郎は終わった頃にはグッタリとしていたが、数日後また店に連れられて来た際、和代を指名した。曰く、複数人と関係を持ちたくないとのこと。このような店に来る者とは思えない言葉に――彼の場合来させられるだが、和代は呆れと同時に何処か擽ったさを感じた。
 それ以来続く、文次郎との逢瀬。忍者を目指す文次郎が来るのは決まって月が出る日。歳を重ねるに連れ彼は『男』となり、和代の『女』を満足させるほどになっていた。


 心地好い怠さが身を包む。他の客では得られないそれに和代はゆっくりと息を吐き、文次郎に身体を寄せた。それが甘えたいという意思表示であると知っている文次郎は、何も言わず和代が求めるままその身体を抱き寄せる。

「文次郎様」
「……なんだ?」
「何か、悩み事でも?」

 他の客にはありんす言葉だが、文次郎たっての希望により和代は常の口調で話す。名前は花名だが、これが二人の引いた線であり、越えてはいけないものだ。
 文次郎は口を一文字に結び、天井を向いた。だが腕は変わらず和代の頭の下にある。

「なんで、そう思うんだ」
「ずっと別のことを考えていたでしょう?」
「……」
「ほら、やっぱり」

 クスリと小さく笑うと、文次郎は諦めたのか息を吐いた。自由な方の手で口を覆い、和代の方に目を向ける。

「くだらないことだ」
「はい」
「つまらねえぞ」
「はい」
「……幼馴染みの意味不明な行動に、ムカついているんだ」

 渋々といった風に話し出されたそれは、彼の幼馴染みについてだった。
 文次郎は自身について多くは語ろうとしないが、唯一例外的に幼馴染みについては度々話す。その幼馴染みもまたこの店に来ることがある為、和代も顔は知っている。

「ホームシックならぬ文ちゃんシックとか言いやがって近付いたと思えば、また離れて俺を観察してやがる。今更観察も何もねえだろうに」
「まあ。文ちゃんシック、ですか」
「……そこじゃねえだろ」
「ふふ、本当文次郎様は幼馴染み様がお好きですね」
「どうしてそうなるんだ」
「だって、文次郎様は幼馴染み様が仲良くしてくれて嬉しかったのでしょう?」

 指摘すると、文次郎は眉間にシワを寄せた。それが照れ故であると一目瞭然で、和代は微笑ましさと――ほんの少しの嫉妬心を抱く。
 文次郎と幼馴染みは、突き抜けた家族愛の絆で結ばれている。そこに不純物は一切無いとこは見ていて瞭然で。だからこそ、和代には二人が眩しく見えて仕方ない。

「文次郎様」
「……なんだ」
「今は私を、見てくださいな」

 果たして己は、彼の幼馴染みのようにハッキリと不純物は含まれていないと主張出来るであろうか。口だけの否定は出来ても、心から出来るだろうか。
 答えは、否。和代の心には否定出来ない程、文次郎が住み着いている――恐らくは、出会った時からずっと。

「私だって、文ちゃんシックなんですもの」

 出来ることなら、自覚しないままでいたかった。そうすれば彼を『客』として見ることが出来た。
 けれど、自覚してしまった今。彼を『客』として見ることは出来ない。
 苦しさに息が詰まりそうになる。しかしそれさえも愛しく感じてしまい、和代は文次郎の胸に顔を埋めた。

20140105
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