□朝に離れゆく□ 『夜にふれる』その後。 少し空いていた窓に吹き込んだ風がカーテンを揺らし、そこから差し込んで来た朝日に目を細めて、それが、触れていた手を離す合図になった。 「わり、風呂借りて行っていーか?」 「…あ、ああ。場所分かるか?洗濯機の隣の棚にタオルとか入ってっから、適当に出せよ」 「サンキュ」 するりとベッドから降りた相手は何も纏わない裸のまま。 相手を見送った方もまた同じ姿だった。 何も身につけずに、ただ、触れ合ったまま眠り、少し前に起きた所だった。 先に起きていた『怪盗』だった男が、目を覚ました工藤を見て、困ったような顔で笑っていた。起きる前に消えようと思ったのに、手を離してくれなかったから、と。 「…フツー、そこは!無理矢理でも逃げるモンだろ?!あんのバ怪盗がっ」 扉の向こうに消えた相手に、こっそりと毒づく。 どういう顔をしていいのか分からなかった。 そもそも、昨夜の行為でさえ、何でああなったかも良くわからないのに。 ◇ ◇ ◇ 工藤の家の前。 両手と両手で拘束しあうこと数分。 さすがに夜目にも白い姿が人目を引く怪盗が、「とりあえず、行くぞ」と言って、工藤を引っ張って、家主が鍵を開ける前に家のロックを外して乗り込んだ。 「で、どうしたい?名探偵。…警察でも呼ぶのかよ?」 「は!冗談じゃねぇ。…こっちこい。あ、靴は脱げよ」 玄関で、怪盗から呆れた声を掛けられて、苛立った工藤が、今度は怪盗の手を引いて自室へと連れ込んだのだ。 そうして。 工藤の家の前で繋いだ手は、そのまま工藤新一の私室に入っても離れることは無く。 部屋に入って、流石に緊張しながら、それでも求めたモノが目の前にあったので、工藤は遠慮をしなかった。 合わせていた手を離して、モノクルで半分隠された顔に、まずは手を這わせた。 輪郭を辿る。モノクルはひんやりと冷たかった。外していいのかどうか迷っていると、怪盗が、ひとつ息を吐いて、怪盗自らソレを顔から消す。そして、白い手袋をも外して、素の手のひらが、同じく工藤の顔を触り返した。 シルクハットは、床に落として。 いつもは隠されている髪の毛。意外なくらい柔らかくて、面白くて暫く手を遊ばせる。 同じように、怪盗も工藤の重力に反した頭の一部分を楽しげにいじっていた。 首筋を辿って、締められていたネクタイを解く。 タキシードとシャツのボタンを外すのは流石に羞恥心を押し殺しての行動になったが、同じく工藤の首元に伸びた手が、少し震えていたから、お互い様なんだろうと、工藤は思った。 それから。 抱きしめるような姿になったのは、背中を探っていたせいだ。 互いが互いに触れたいだけ、触れた。 手のひらが、指が、這っていく肌は時が進むごとに深く広く暴かれて―暴いていって、しまいには全身の肌と肌が触れあった。 触れていた部分から灯る熱は徐々に―否、あっという間に全身を包んで、足と足さえも絡み合えば、欲動の求めのままに感じやすい部位を擦り合わせて、昂ぶった熱を放出までさせた。 一体何をしていたのか、と思い出せば、顔が火を噴く思いだ。 手を、触れて。 あの手に、触れて。 それだけで良かったのに。 それ以上の事など何も考えていなかったのに。 「…どうすんだ、これって」 工藤は両手を見つめる。 さっきまで、この手に中に怪盗がいた。 ◇ ◇ ◇ 「…マッズイよなぁ」 シャー…と立ち上る湯気の中で、熱い湯をまず頭に浴びながら、怪盗は呟く。 確認するまでもない。 大変にオカシイ事態になっていた。 「いや、でもあの場合仕方ないっつーか…」 まだまだ若い男の子だもの。と言い訳をしながら、腹辺りに乾いてくっついていた精液を洗い流す。間違いなく、怪盗自身のと工藤のと、両方のが混じっている。 昨夜、出してしまった後さすがにコレは…と思い、処理しようとしたのだ。なのに、暫くくっついて息を整えていた家主は、怪盗が「タオルとか、ある?」と聞いた時には、寝息を吐いていて、起こすのが忍びないような力の抜けた無防備な顔を晒していた。目元に微かな隈があったから、寝不足でもあったのかもしれない。 ぼんやりと寝顔を眺めながら、感じる触れ合う温みと一定間隔で繰り返される拍動は確かに心地よくて、どうしたものかと思っていた怪盗をも眠りの淵へと引き込んだ。 ―部屋に戻る時に濡れタオル持って行ってやらねーとな…と考えてハッとする。 「じゃなくって!どーすんだっつの?!」 本当は暗いうちに退散しようと思っていた。 けれど、もう起きたときには薄明かりになっていて、慌てて上半身を起こしかけて―隣、というか身体半分に重なり合ってる状態で眠る相手の顔から目が離せなくなったのだ。 あどけない寝顔は、いつかの小さな子供思わせながらも、昨夜の行為を思い出せば、怪盗を動揺させて動かせない状態にするには十分だった。 不覚にも綺麗だな、とか思って。 もういっかい、乱れた顔も見たいな、とか思ってしまって。 夕べの痴態は、お互い様だったけれど、今度は組み敷いて一方的にコトに及んでみたいと、抱きたいと、―欲情したのだ。 「ちゅーもしてねぇってのに、何なんだ…」 ―つか、したいのか? 「…してぇ、な」 自問自答の結果は直ぐに口から滑り出た。 出来れば夕べのうちにしたかった。 昨夜は、本当に、触りあうばかりで、それだけでトンデモナイくらいの興奮状態にさせられた。特に、素足同士が触れた感覚はゾクリと背筋を震わせて。怪盗は変装だの何だのの都合でお手入れ完璧なのだが、探偵の―野郎の足が気持ちよい感触なのは衝撃だった。多分、元々の体毛が薄いのだ。勿論それ以外にも、気持ちよいと感じる理由はあったのだろうが。なにしろ、ドコを触っても、どんな反応が返ってきてもただの一つも嫌悪が無くて、ひたすらに触れて、そうすることで発生する快感を追っていた。 口付けたい衝動は何度も起こった。細く熱い息を吐く唇は赤く熟れて見る者を誘っていたし、布地を取り払い白い肌が顕れれば、赤い印をつけてみたい気にさせられた。 けれど、相手の、工藤の求めが一体何かがまだ見えなかったから、愛情を示すような行為は躊躇われたのだ。工藤から一度でも唇を寄せられていたら、きっと歯止めは利かなかっただろう。 怪盗を欲しいといった探偵。 好きにしてみれば良い、と探偵に身を預けた怪盗。 まさか、一夜を共にする羽目になるとは! しかも、あの名探偵からのお誘いで! 「どうしろってんだ…」 両手を見つめる。 降ってくる水滴が手の間に少し溜まっては、次々に流れ落ちていく。 離れた手のひら。 離れがたい、触れ合えば気持ちの良い身体。 きっと、答えなんか単純で、キス一つで片付いてしまいそうな気もした。 ◇ ◇ ◇ 「ホレ」 「…?」 ベッドの上に腰掛けて、一応シャツと下着を着ていた工藤は、背後から飛んできたギュッと締められた形のハンドタオルを受け取って怪訝な顔を男に向ける。 「身体、拭かねーの?」 「あ、うん。…どーも」 腰に大判のタオルを巻いて、風呂上りの水気を含んだ髪の毛を拭きながら、普通に戻ってきた姿に、工藤は謎の脱力感を覚えながらタオルを開く。ほのかに暖かく濡れているそれを、とりあえず顔に当てた。少し、眼と頭が冴えてくる気がした。 「あー…、のさ?」 「あんだよ」 「でさ、なんつーか。…俺、どうしたらいいわけ?」 グルグル浴室で考えてもIQ400の頭脳は適切な答えを弾き出してはくれなくて、最終的に―お手上げだ、コレは!と怪盗は早々に匙を投げたのだった。 いや、怪盗自身の答えは割りと簡単に出ていたが、肝心の探偵の気持ちがハッキリしなければ口にしないほうが良い気がしたのだ。 「素顔んなっちまったしさー」 「それは…」 ご愁傷様?いや、違う。大体、諦めてやろうとしたのに、ワザワザ目の前に出てきたのは怪盗のほうなのである。テメェこそ、どうしてくれんだ、この野郎!と工藤は言葉に出さずに内心で罵倒しまくる。 「チッ…」 「ちょ!舌打ちって何だよソレ!?」 「しょーがねぇ、探してやる」 「へ?」 「もう、お前喋んな!さっさと出て行け!」 「はぁあああ?!」 殆ど、怪盗に対する探偵としての最後の意地しか残っていなかった。 「素顔見てやったしな。逃げ切れると思うなよ」 「…逃げてねぇじゃん…」 「うるせぇ!名前も知らない奴なんか、家に入れたのが間違いだったんだ」 「いや、聞いてくれれば教えるけど?だって、工藤ってさぁ、もう俺捕まえる気ないだろ」 「しゃべるな!それに、捕まえる気はある!」 「へぇ?」 ビッと工藤は人差し指を突きつける。 「一週間だ」 「……」 「一週間以内に、テメェのプロフィールも何も全部調べ上げて、捕まえに行く。そしたら」 「…そうしたら?」 「お前、俺のモンな!」 怪盗は、肩を震わせた。噛み殺しきれない笑いのせいだ。 ああ、本当にコイツは面白い。 「いいぜぇ?…でもよ、その代わり」 「なんだよ」 「一週間経っても俺の所に現れなかったら…また、来るからな。そしたら、工藤が俺のモンになれよ」 「…?」 なんだか結果は変わらない様な気がして、工藤は首を傾げる。 理解していない様子に、あ、コレなら相手が先に現れても、抱く側になることは可能なようだと思いつつも、怪盗は余計な事は何も言わずに、そっと微笑んだ。 「なんだよ?」 「いやぁ?ま、ちゃんと待ってるからさ」 胡乱な眼差しは軽く受け流して、ここ大事だぞ!と色々どこかが鈍そうな名探偵に怪盗は告げた。 「その時は、ちゃんと、工藤の気持ち、言えよ」 「………」 更に首をかしげた相手に、一抹の不安を感じた怪盗だった。 |