□夜にふれる□K新 ―手を伸ばしても届かない人 ―それでも触れたくて堪らない人 今日もまた、白い羽を毟ることは叶わずに、すり抜けていく白い翼を見送った。 同じく空を飛べば並べるのかと―捕縛が可能なのかと、かつてネオンの海に落ちたこともあるけれど、追う為の風が吹けば、同じ分以上に追われる相手の身体は舞い上がり、結局追いつくことが無いのだと知った。 追うのではなく、狡猾に罠を仕掛けて向こうに追わせ、誘い込むほうが手段としては有効な気がする。しかし、怪盗が彼の目的物以上に追いかける獲物とは一体なんであろうか。 ―思いつかない。 そもそもの出現要件が、大体にしてビッグジュエルである。その宝石を奪われまいとする警察との攻防は、いつも怪盗側に軍配が上がっていて、ソレを餌に罠を張るのも今更なような気がした。 ―では、諦めるか。 一瞬でも浮かんだ選択に吐き気がした。 誰が、何を。 どうして、諦めねばならないというのか。 初めから、諦めるくらいなら、追うことなどしなかった。 それでも、飛び行くあの姿を見なければ、少しは楽になるのだろうか。 焼け付く焦燥と、苛立ちと、怒りと、…それ以上に、胸の奥を去来し、時折針を刺すように起こる刺激は甘いような苦いような。 ワケの判らない情動。 怪盗の姿が遠ざかる度に沸き上がるソレが消えるなら、確かに、少しは楽になるような気がした。 「一体なんだってんだ」 諦めるつもりは無いのに。 楽になりたいなら、諦めたほうが良いと、頭の何処かが告げる声。 どうせ、叶わぬ想いなのだ、と。 いや―想い、とは何だ。 答えはきっとすぐ近くにあるのだ。 けれど、工藤は懸命にソレを無視する。 見ないフリで、やり過ごそうとする。 「捕まえて、監獄に送ってやりてぇだけだろーが」 わざわざ声に出して、己の意思を再確認する事が増えた。 それなのに、白い大きな鳥が去る姿に何も言葉が出ない事も。 「……」 ビルの屋上のフェンス越しに、遠ざかり小さくなっていく白い物体を手の中に収めて、握りつぶす仕草をしてみた。 ぎゅうと握った手を開く。 暗闇の向こうに白い影は消え、手の中は空っぽだ。 悔しがる気すら沸かなくなくて、工藤は、無言のままその場を去った。 ―握りつぶして、消してしまいたい、と切に願った。 一つの現場が終って、呼び出された迷宮無しの名探偵を、現場に居合わせた刑事が送っていく事になった。 最近の事件の傾向を話しながら、車が工藤の家の前で静かに止まる。 車を降りた工藤を門扉前までキチンと送ろうと出てきた送り主が、そういえば…と話しかけた。 「工藤君、今度の怪盗KIDの予告状は解けたのかい?」 「ええ、高木さん。一応、こうだろうと思うところは、中森警部にお伝えしましたよ」 「あの…最近、現場のほうは行ってないみたいだね?…こんな事中森警部に聞かれるとマズイんだけど」 こそっと、手を口元に宛て、心持ち周りを気遣いながら、高木は工藤の耳元で囁く。 ここには警察関係者などいないのに、小心者のような用心深さを持つ彼らしい仕草だ。 「怪盗KIDの現場に、工藤君に来て欲しい、って同僚がいてさ」 「僕では、大した力にはなれませんよ」 時間があるなら、今度の予告現場に―と続きそうな気配に、サッと返事をして。 刑事から身を離して門扉に手を掛ける。 判りやすく素っ気無い態度に、高木が少し驚いた顔をした。 「らしく、ないね」 「いえ?そう、思うだけです」 「怪盗KIDを追い詰められるのは、工藤君ぐらいだったのに」 「追い詰めても、結果はいつも取り逃がしです。だったら、居ても居なくても変わりはありませんよ」 「…らしくない、よ。それじゃ、諦めたみたいだ」 窺う視線。 刑事のソレか、はたまた。 工藤は、見つめてくる『高木刑事』の顔を真っ直ぐに見返した。 「いえ、とても僕らしいですよ」 「…どの辺が、かな?」 「手に入らないものなら、欲しがらない」 「……手に入れたいなら、欲しがらなければ始まらないよ?」 互いに固定した視線の先。 「欲しく、なくなったから」 「予告状は解くくせに?」 強張る『高木刑事』の声音。 工藤は少し彼から視線を外して、溜息を一つ吐いた。 「いらない。予告は…暗号が、眼に入ったから解いただけだ」 「許さない」 烈しさを篭めた小さな囁き。 「怪盗を追わない?名探偵のアンタが?!勝手に舞台から降りるつもりか」 「…『高木さん』、俺は怪盗なんか要らないんだ。演出された舞台で踊るのも―飽きた」 「っ…」 工藤は、痛いような、泣きたいような顔を覗かせた相手を不思議に思う。 そんな顔をする役は、大抵、翼に手を掛けられなかった己がしていたような気がする。 仕方なく、何とか言える部分だけを、少しだけ言葉に乗せた。 「俺は…多分、アイツを捕まえても、監獄という檻に入れるのは我慢が出来ないから」 「…?」 「あの鳥を、俺は、…俺が、手に入れたい…んだ、きっと」 工藤は、掌を相手に向かって差し出す。 『高木刑事』は用心深く、その手を見つめた。 手に入れたい、と言いながら、それ以上近づかない手を。 「無理な望みだろう。だから、要らない」 「その手を取ったら、どうなる」 「さぁな?俺にも判らない。だって、俺は―」 怪訝な目を向ける相手を前に、早々に手を引こうとした。 もとより期待していなかった事だ。 ただ、叶うなら、少しだけでも。 諦めと共に下げた手を、掴まれる。 「!?」 手を取った、とでも言うのか。 「どうなるってんだ?さァ、名探偵…こうして、何を望む」 「離せ…っ!」 刑事の姿は消えていた。 動揺した一瞬の隙に、工藤の手を取ったまま、借り身を脱ぎ捨て現れた怪盗。 「テメーが望んだ事だ。ホラ」 ぐいっと手を握られ、引き寄せられる。そのまま、もう片方の手も捕られた。 「…なに、考えてやがる、オメー」 「捕まえにこないから、捕まえに来た、とか?」 「……なに、考えてんだ?ホントに」 思わず呆れた声がでた。でも、仕方ないだろう、と工藤は思う。 目の前で、怪盗もまた、困ったように笑った。 触れている手にだけ、意識も目も奪われた。 ―どうしろ、って? ◇ ◇ ◇ ―手を伸ばしてはいけない人 ―それでも触れたくて堪らない人 ショウタイムが近づく。煌めく姫君を守る騎士の中に、一際凄烈な気配が混じっていると、いつも以上に高揚していく心はとどまるところを知らず、ひたすら高鳴る胸の奥。そうさせる相手がいると、いつも以上の手管を用いて、ギリギリの演出で切り抜けねばならなくなるというのに。 ショウの佳境。不要な警察諸兄を振り払い、しかし彼だけは間違えずに必ず怪盗を追ってくる。 そして対峙する瞬間が、あの蒼い瞳に映るのが白き怪盗ただひとりである瞬間が、どうしようもなく思考と感情を狂わせた。ポーカーフェイスで封殺しきれない悦びが、舌なめずりに、愛を囁くような言葉に混じっているのに気付かれているかどうか。 そして、ショウの終わり。彼の手を逃れて虚空に羽を広げて飛び去る。 最も、怪盗として望ましく、怪盗自身は望んでいない展開。ああ、宝石なんかよりも、ずっと近くで見ていたい相手を振り払い去らねばならぬ、などとは。それでも、振り返った時に、彼が己を鋭く睨みつける様を見れば、追われる悦びはいや増すだけで。 背後から苛烈な視線。打ち抜かれてしまいそうな。 たとえ、滑稽な窃盗劇の結果得られたモノが、返却しなくてはいけないただの石ころだったとしても。 彼に遭い、彼に追われさえすれば、そこは怪盗にとっては、ロマンス溢れる演劇場なのだった。 ―だった、のに。 ある日を境に、ふつりと探偵の登場が無くなった。 どれほどの招待状を送っても、彼は応じようとしない。 彼しか白き怪盗を追える者などいないというのに。 最も出会いたくない恋人の出現を望む矛盾した想いはしかし、怪盗にとっては当然の―自然な欲求だった。 「会いてぇ、な…」 誰もいない、飛び立った後のビルの屋上を空から見下ろして、切にそう思った。見送る者が居ない幕切れは演者としてとても寂しい。楽々とあっけ無く終ってしまったショウタイム。完璧で安全なショウの敢行は大変喜ばしい事だというのに、まったく心は沸き立たない。 それどころか、彼の姿が見当たらないだけで、ショウを取り止めたい衝動すら覚えるようになっていた。 とにかく、会いたいという想いに任せ、彼のいる場所に潜んで彼と話せる機会を待った。 二人だけの車の中。 他愛ない会話。 いつもの現場にはない穏やかな時間は、興味深く、心地よく、深く怪盗を満足させた。 身を借りたこの刑事は、いつもこんな心楽しい時間を彼と共有しているのか?と思ったら、何故か黒く不快な気分が胸を覆ったが、それでも、殆ど見たことのない『工藤新一』の笑顔を向けられれば、苛立ちも何もが霧散した。かつての『江戸川コナン』を思わせながらも、元の姿を取り戻してからは、ロクに見ることなかった青い眼を細めて笑う姿。 そして、別れの時。 久しぶりに会えた彼に満足したまま、見送りそうになって、慌てて当初の目的の話を始めた。 そして、 そして、 「どうなるってんだ?さァ、名探偵…こうして、何を望む」 「離せ…っ!」 手を差し出したのは彼であるのに。 動揺し、抵抗しようとする手を、強く握る。逃がしたくなかった。 手に入れたい、と望む言葉と裏腹に向けられる諦めた眼と言葉に苛立った。 「テメーが望んだ事だ。ホラ」 逃がすまいと、もう一つの手も捕る。 「…なに、考えてやがる、オメー」 「捕まえにこないから、捕まえに来た、とか?」 「……なに、考えてんだ?ホントに」 呆れた声音。呆れた視線。お前は馬鹿か?といわれてる気がした。 そうかもしれない。でも、仕方ないじゃないか。 苦く笑えば、目の前の彼もまた、困ったように眉を下げて繋いだ手を見た。 ―どうしよう ◇ ◇ ◇ 手から伝わる、温もり。 汗ばむほどに熱を持った掌、なのに緊張か、動揺か、ひんやりした指先。 どうもこうもなく。 ただひたすらに、触れている部分だけに意識が行く。 ―だって 俺は ずっとお前に触れたかった |