■混沌事情■
□事情事変□



甲斐甲斐しく世話を焼いてしまったのは、最初は、どうにもこうにも放っておけない『心配』からだったというのは間違いない。
数多の犯罪者達の前で毅然として推理ショーを開いて、凛とした気高い姿勢で立つかの名探偵が、一皮向けば、私生活が駄目ッ駄目の不精者で、もはや趣味にしか思えない推理やら思考以外をする気がない、いつ倒れても不思議ではない睡眠や食にすら興味を持たない人間だったなどと、一体誰が知るというのか(しかも、激情のまま殺人未遂とか泣いたりとかするし)。

かつては彼の両親なり、幼馴染なりが把握し、倒れる事がないように心を傾けていたが、今現在そこまで彼に踏み込める人間は、どういう訳か名探偵のライバルであり名探偵が天敵であるはずの怪盗だけだった。

そんなワケで怪盗が探偵の家に彼の世話をしに通う事数日。勝手知ったる状態の他家に堂々と入り込んだ怪盗は―黒羽快斗は、何度言い聞かせてもヒトの言う事に聞く耳を持っていないらしい探偵―工藤新一に、深く深くタメ息を吐いていた。

「あのさぁ…昨日も言ったよな?」
「何をだ?」

受け答えはしているものの、現在工藤の視線は一昨日購入してきたという小説本に落とされている。書斎の高級そうな革張りの椅子に深く腰をかけ、優雅に足を組み、両手は大切そうに本を開いて。昨日の帰り際に見た姿だ。もしかして、そのままの姿勢で今までいたのだろうか、と思い、よくよく見れば―服装が変わっていない、という事に黒羽は気付いた。

「メ シ を 食 え!」
「……あー、そういえば」
「工藤って何?何で動いてんの?俺が用意してやった飯に手ェつけてなかったし。今何時だと思ってやがる。15時だぞ、午後のオヤツの時間じゃねぇか!……あのさぁ、昨日俺が帰る時に声掛けてから、ずっとココで本読んでたとか言う?言っちゃう?!」
「…言ったら?」
「腹が立つな」

端的に黒羽が出せる最も低音のドスを効かせた声で言ったのが良かったのか、工藤はようやく黒羽に視線を向けた。しかし手はまだ本を開いたままだ。黒羽は落とした声音に相応しい目つきでその様を眺めやる。

「飯、風呂、睡眠、どれか一つでもちゃんと取ったのか?」
「……寝はした、気がするな」
「ソレって、ここで、気がついたら本を床に落としてたとかいうレベルだろ」
「おお、ご明察!」

パンと素早く栞を本に挟んで閉じて、工藤は組んでいた足を下ろす。黒羽がジトリと工藤の手元を睨む眼が、多少気になったらしい。ギシ…と椅子に座った状態で一つ伸びをした後、立ち上がった。

「で?今日は何しに来たんだ、快斗」
「恋人とお茶をしに来たつもりだったが、止めだ。まず飯だ。来い」

完全な命令口調で、黒羽は目の前に立った工藤に向かって親指で書斎の扉を指す。階下に降りるから付いて来い、というジェスチャーだ。一体誰の家か判ったものではないが、工藤は大人しくその指示に従った。怒り顔の相手に恐れをなしたワケでは決してない。黒羽の顔を見て問答につき合わされている内に、我が身の空腹に気がついたからだ。用意してくれると言うのなら、ありがたく頂こうと思ったのだ。午後三時にお茶でも、と言うのなら、オヤツもあるに違いない。


  ■  ■  ■


工藤が、落ち込むどころかめり込んで、色々投げ出したくなっていた時の事である。

わざわざ訪ねてきた上、幾らか話した後に帰ったと思ったら、材料持参でレモンパイをつくりに来た怪盗がいた。

『キッチン借りるぞ』と言われ、『砂糖ぐらいはあるよな?あ、ハンドミキサーはあるか?無ければ普通の泡だて器でいい。あと、オーブンの取説…無い?まぁ、何とかなるか。大体の構造はどれも変わらない筈だしな』などとキッチン事情を聞かれ、―およそ二時間後に砂糖が加減されたレモンパイが出現した。
新手のマジックではなく、ごく普通に調理した結果であったが、工藤にしてみれば、一体何の奇術披露だ?と疑問が浮かびまくる現象だった。しかし、出来たソレはとても美味で、食欲など無かったはずの工藤の口にスルリと入った。
ゆっくりと一切れ食べて『美味かった。ごちそーさん』と手を合わせた後、その様子をジッと見ていたらしい怪盗は『駄目だ、血の気が足りてねぇ!』と言い出して、―更に1時間後にはすき焼き鍋を食わされていたのだ。こちらも美味だった。

久々に満腹感に浸り休もうと思ったのだが、何故か怪盗に、肉食ったんだから、頭使え!頭!あと、手!と言われ、課題の山に放り込まれた。

提出期限は目前であり、提出内容完成ははるか遠くその期限には到達できそうにない分量だったにも関わらず、付きっ切りで、手を動かせ考えるまでも無い答えは考えるな、とにかく書け書け!と追い立てられた。

―不眠気味だった工藤は、言われるままに手を動かしていたが、いい加減脳が疲れたぞと思った次の瞬間には、あっという間に眠りの世界に落ちていた。
―そして、目を開けば、久しぶりにスッキリとした目覚め。
その上何故か、まだ工藤の部屋にいた怪盗―いや黒羽。『極限まで脳でも何でも酷使すりゃ、少しはシッカリ眠れるだろ?』と寝起きの探偵のボンヤリした顔を見て笑った。
しかも、話はそれで終らない。
『朝飯にするぞ』と言われ―食わされ、またも課題の山を崩すように指示を受けた。

黒羽が現れてから二度目の朝日が昇り始めた頃、提出物の3分の1が手付かずのままだったのを見た黒羽は、提出物に紛れ込んだ難題だけを見抜いては、正解を出すように工藤に指示しまくった。東大現役合格可能レベルの頭脳を見せ付けておけば、多少の余白なんざ気にされねぇよ、やってない小問とかはその程度は解くまでも無かったで済ませばいい、とまで言い切って。

どうにか格好のつく程度に終えた後、工藤は再び今度はサンドイッチの軽食を取らされ、一睡もせぬまま学校へ文字通り手を引かれて連行されたのだった。家を出た時間は通常の学生が登校するよりも大分早かった。下手に休憩を取るよりも、とにかく、学校へ向かわせたほうが面倒がないと、黒羽が考えたからだ。(それに、他校生と有名人が一緒にいる所など、いらぬ噂を撒くだけだろうという懸念もあった)。
そして工藤が職員室で提出物を出したのを見届けた後。
ようやくに、黒羽は、『じゃ、俺自分の学校行くわー』と言って工藤の前から去っていったのだ。

偶々、部活の都合で早朝登校していた毛利蘭が、恋人に手を引かれて廊下を歩く幼馴染を目撃して、良かったぁ…とコッソリと喜んだのは余談である。

とにかく、黒羽のお陰で工藤は留年は免れる運びになった。心配性らしい怪盗にその旨を告げれば安心したようで、工藤は、これでまた元の空と海くらいの距離感のある間柄になるかと思った。(正直、あのデートの一件以来、何故怪盗がこんな親しげに工藤邸にやって来るのか、根本的原因をスッカリ記憶の彼方に追いやっていたのだ)。

しかし怪盗はその次の日も、次の日も、―また、次の日も、探偵の家を訪れては、なにくれと世話をしていく。
三日連続で姿を現した黒羽に、流石に工藤は一体何の真似だと聞いた。聞かないわけにはいかなかった。そして、返ってきた答えは―曰く、「恋人だろ?」アッサリとした一言だった。むしろ、なんで今更そんな事を聞くんだよ?などと黒羽は笑いさえしたのだ。

工藤は、その時、心底から怪盗という存在が謎だと思った。
一体何を考えているのかサッパリ理解できない。

そもそも、殺人未遂をされかけた後、強制的に恋人に仕立て上げられ、という経緯がある相手である。それ以前での関係は、追う者と追われる者、という相対すべき存在であり、実際肌を刺すような視線を交わして攻撃の手を加え合い、ともすれば共闘する場面もありはしたが、最終的には再戦を待ち望むライバルという付き合いであったはずだ。
ライバル―好敵手と言い換える相手に、多少の好意こそありはしたが、それはあくまでも追う相手への―獲物への執着であり、心躍る狩りへの興奮が混じる感情であり、心優しいものではありはしない。
それは、相手も同じ事だと思っていた工藤には、黒羽の態度と言葉は衝撃だった。
いっそ、そういったショックを与えて工藤が動揺するサマを楽しんでいるのでは?といぶかしみ、動揺する姿を見せるまいと振舞ったが、黒羽の態度は別段変化はない。工藤の反応などお構いなし、という風でさえある。
ますます、わからない。
だが、理解不能なままで、怪盗が探偵の家に通いつめること既に2週間ほどが経過していた。


   ■  ■  ■



「なー、腹、減ってたんだろ?何で食わねんだ」

食卓についてから、黙々と食べ続ける工藤の姿に黒羽は何度目か判らない問いを投げかける。
黒羽が工藤邸にて食事を作り出した頃の、食べろと言っても、申し訳程度に口を付ける程度だった時に比べれば、大した健啖ぶりだ。

「気がつかなかった」
「……わかんねー」
「何が」
「普通気付くだろう?集中力だって落ちるだろうし」
「本に集中してたからな。別に」

食える時に食う。それは怪盗にとっては、いざと言う時にいつでも動ける状態でいるために、いつだって必要になる備えの一つだ。探偵だとて、いつ何時厄介な事件に呼ばれるかもしれないというのに、その点の自己配慮引いては自己管理が足り無すぎるように怪盗には思えるのだった。追いかけるほうが体力不足では追いかけっこで彼が負けるのは当然、とか言ったら、間違いなく不興を買うか怒りを興すかなので言わないが。

「食べ終わったら、風呂な」
「…午後だぞ?」
「関係ない。風呂終ったら、寝ろ」
「……」

工藤の通う帝丹高校は、帰宅部で補習も無ければ完全週休二日である。出席日数は危険なものの、成績自体に問題が無い工藤の土日は休みである―そして、昨日は金曜日で、土日の休み前日だったから、じっくり読み込めるとかなりワクワクして本の世界に飛び込んだのだ。学校やら成績やら卒業危機やらのせいで警察からの協力依頼は極力抑えられていて、工藤の謎を解きたいという欲求を満たすのは現在のところ本の中ばかりなのである。
なので、食べ終わったら、当然、読書に戻るつもりだった工藤はジッと黒羽を見る。しかし、黒羽はその視線を黙殺だ。文句があるなら、昨日のメシもフロも寝もしなかった己を恨め、という事らしい。

「生活サイクルを戻すなら―」
「うっせぇ。ベッド入って寝れねーなら、ベッドで気持ち良くなる運動させてやる。心配いらねーぞ、新一」

ケケケと笑ってから、黒羽は自分用に持ち込んだコンポタの入ったマグカップを啜る。
相手に譲る気配は一切ないと見て、面倒くせぇな、帰ってくんねーかな、と顔に出したいのを堪えながら、工藤は、最後に味噌汁を啜って、ごっそさんと目の前の男に頭を下げた。
黒羽はウムと空になった食器を見て満足げに肯いた。工藤が黒羽に対して、コイツ本当に世話焼きだな、と思うのはそんな一瞬だ。しかし寝る世話までされるのは全力でご遠慮したい。

「オメー、最近その手の冗談増えたよな…」
「最近は、冗談でもない」
「…何かあったのか?」
「わかんね。でも、ここんとこ、工藤見てるとムラっとくるし」
「ムラァ?……イライラするんじゃなかったか?」
「んー、そうだったんだけど。何か、こないだ風呂入れてやったじゃん」
「入れてねーだろ、突き落としたんだろ」
「こう、服脱がせてる時に嫌がってるのとか、あと肌綺麗だなーって見てたら、結構グッときた」
「変態か」

冷えた口調で、ワケの分からない事を言い出す男に応対しながら、工藤はデザートのコーヒーゼリーの蓋を剥く。お手軽かつお安いスーパーの三個1パックの品物だが、わざわざ工藤の為にと購入された物に文句をつける真似はしない。
変態と言われた方は、同じく三個1パックのプリンの二つ目にスプーンを入れていた。

「いやいや、意外な一面だよな、俺の」
「変態が?割と意外でも無い気がするけどな」
「まぁ、変態でもいいし。少し考えてみてよ」
「何をだ」
「何って…ナニを、だろ。俺とセックスしてもいいかどうか、さ」

明け透けな言葉に、計らずも手やら全身の動きが止まってしまって、工藤は口元に運ぼうとしていたコーヒーゼリーの一欠けらをテーブルに零す。ちなみに黒い塊に備え付けのミルクシロップは付いていない。

「おーい?別にいいだろ、恋人なんだし」
「あのよ、その件についてだが」
「まさかの探偵による殺人未遂を、お前の発言を肯定するのと引き換えに忘れてやろうと思ってる上、こんな世話までしてる俺ってスゲーお人好しだと思わないか?俺がお前の恋人なら、過去を改竄して、アレはただの痴話喧嘩になるワケだな」
「…理屈がおかしいだろう」
「お人好しで正しい理屈がまかり通る『正しい怪盗』なんてのがいると思うか?犯罪者にお詳しい名探偵?」

にたり、と笑う顔は黒羽のようでいて、もう一つの気配が強く被る。歪む口元は夜をすべる者がよくする形だ。

「いると思ってるが?俺の目の前に」

意識して、相手の発言を流す方向で動かしてみる。工藤は、この目の前にいる男がとんでもなくお人好しな人間だと確信していた。そうでなくて、突然恋人のフリをしろだの、デートに付き合えだの、課題の世話に飯の世話など―いくら、ある意味特殊な関係をもつ者同士でも、付き合いがよすぎるだろう。

もし、お人好しでなく、手を出してくる理由が他にあるのだとしたら。
それが、『恋人』に掛かるのだとしたら。
工藤はそこまで考えてみて、そっと首を振った。―あり得ない。
目の前の男は『変態』だの言いつつも、かなりの女性好きであり、到底同性愛を好む傾向があるようには思えなかった。弱っている、困っている人間を見過ごせないお人好し、という方が確実だ。

「ハートフルってのも大変だな、って思ってる」
「…本気で?」
「他に、無いだろ。大体、オメー嫌がってたじゃねぇか」
「まぁな。でも、ホラ…人の心は予測不可能なんだぜ?」

ニヤリと笑う顔は確保不能と言われた男のソレと殆ど同じだった。
確かに、この顔をした男が何を考えているのか、ある程度の予測はしていても―確信を抱いていても、絶対は在り得ないようにも思えた。
(しかし、だからって、野郎とアレはねーだろー?アリなのか?コイツは)

「悪いが、殺人未遂の目に遭わされて、その遭わせた人間に惚れる心理というのは俺にゃわかんねーんだよ。犯罪加害未遂だからかな?完遂してりゃ、少しは分かったかもしれねーけど。なぁ、コソ泥さんよ」
「物騒だなァ、探偵さんは。ま、ホント考えておいてよ」
「ははは…一考の価値もねぇな!不毛だ」
「まぁまぁ、俺多分巧いし、さ?」

笑いあう空気は乾いたものだ。
どちらもどちらの言い分を真っ向から受け取ろうと思っていないのがアリアリと分かる。
何かがおかしい、と感じている。互いに。


なるようにしかならない、と工藤は漠然と思っている自分に気付いている。
己らしくない思考の結果だ。推理も何もあったものではない。だが、何しろ相手は予測不可な人間なのだし、幾分は仕方ない、と諦めが混じっていた。KIDなどと自己を子供と称する彼が飽きるまで付き合うことが、せいぜい殺人未遂の償いなのかもしれない、とも。
それに、彼が己に関わってくる事に(最初こそ一体なんだと思いはしたが)、傍に居られる事に、違和感を大して持たないのも重要な点だった。
 居るのなら、居るのだろう。
―そういう感じなのだ。一体コレはなんだろうと、想いを馳せる事すら面倒なくらいに自然にそう感じていた。
似た感覚を知っている。
いつかの怪盗を追う現場。意図して、時に意図せずに、空中へと落下した時のことだ。
追われているはずの怪盗は、そんな時はいつも空を駆けて探偵を追ってきた。その姿に、何故助けるんだとか、そんなことを聞く必要がなく、怪盗の行動を当たり前だと思っていた。
 したい事をしたいようにするのだろう、と。
だから、黒羽が本気で工藤を抱こうと思ったら、そうしてくるのだ、と我が身に起こるかもしれない不穏な予感もまた、仕方ないものの一つに数えかけている工藤である。



確かに己の行動はおかしい、と黒羽は思っている。
あの時、見過ごせない、と。放っておけない、と。そう思った心配事は現在ほぼ解消されている。
さっさと面倒を見てやった礼の一つでも分捕って、怪盗よろしく姿を消すべきだ、と思いもした。
きっと探偵は、恩も罪も感じている怪盗を、余程現場で遭遇でもしない限り、もう追ってこないだろうとも思った。僥倖である。我が身が色々犠牲に為りかけたお陰とはいえ、厄介で面倒な探偵が関わってこない。
それは、なんて、なんて幸せで安心で… つまらない?そう、きっとつまらない、のだ。そう気付いたのと同時に、離れがたいという執着に近い感情があることにも気付いて、怪盗の足を留めたのだ。
元々が気になっていた存在だ。それこそ、彼が『江戸川コナン』と自身を称していた頃から。
もうすでにあの子供の姿はどこにもないのに、彼が困っているのではないかと思うと手を伸ばしたくなって仕方ないし、実際目の前で己の手料理を食べるなり、言う事を聞いて行動する彼を見るのは、何となく気分が良かった。

工藤が黒羽に対し彼自らが与えた『恋人』という呼称は実に使い勝手が良く、現時点でその『恋人』ごっこを心底愉しんでいる自覚もあった。―ごっこ、じゃなくても良いかもしれない、とさえ思うくらいに。だから、セックスを誘うのも黒羽としては極自然な欲求だ。
まぁ理解されるにはまだ時間がかかるかもしれないが、その時間もまた、彼と一緒ならば楽しめそうだ、と思っている。


出会う度に、立場も、相手への考察も、向ける思いも、次々と変化してきた相手だ。そんな人間が日常に紛れこんだ状態で、更なる変化が何も起こらないはずは無い。分かっていて、傍に在る事を互いに許容してしまっている現状が、二人の間に何がしかの変質を齎すのは時間の問題であった。








混沌してない混沌ぶりに、混沌していたのは書き手の脳内だった事実が露呈。

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