□snap out of it !□ ■新一(⇒K)+灰原■ *新一さんが変。 彼は、おそらく彼の恋の話をしている。 白皙の頬を淡く紅に染め、恥ずかしげに睫毛を伏せながら。見ているほうが照れてしまう素直さで。いつもの彼では考えられない姿だ。 「そんなに話したければ好きにしなさい」と言ったのは彼女であったが、彼が滔々と語りだして五分後には、己の大変な過ちを悟っていた。 いや、そもそも発端は彼が彼自身の薬への耐性がどの程度あるのかデータが欲しいと言ったからなのだが、そんなことは言い訳に過ぎないだろう。もっと繊細に分量を考えるべきだったのだ。 いっその事さっさと前後不覚にしてしまう量か、もっともっと軽くするとか。あの時、まぁコレくらいかしら…などと命に別状がないからとmg単位で納得してしまった己が恨めしい。ナノグラムまで考えて配分すれば、もしかしたら、現在のこの状況を回避できたかもしれないのに。 彼は、おそらく彼が恋をしているらしい相手について話をしている。 「怪盗KIDは、気障なコソ泥野郎だけどさ、やっぱ他の奴とは違うんだ」 探偵として緻密裏に動くとき、例えば良からぬ者達に捕えられた際、相手が引き出そうとするのは情報である(時に命そのものである場合もあるが)。依頼人や事件の機密を漏らすのは、探偵のプライドに大きく関わることであり、そういった状況に於いて用いられやすい自白剤というものが投与された場合、一体どの程度まで理性を保っていられるかを知っておきたかったらしい。勿論、投与量にもよるが、薬が身体に回りきるまでに解決の糸口を掴まねばならないから、「時間」を知覚しておく事が肝要なのだった。 当然、薬物投与の後に、要らぬ事を新一が話し始める前に解毒するという約束をしていた。なのに、こんな事態になったのは、他ならぬ新一自身のせいである。 「ちょっと俺の話を聞いてくれ」 「あのね、貴方は今薬物の影響下にあるの。話してはいけないことも、口にする可能性があるのよ?いいから、腕を出して」 「ダァーめッ!聞け、いいから」 なお、「めッ」部分で、彼は立てた人差し指で灰原哀の鼻先をちょんっとっつついた。 「……」 一瞬呆気に取られ、カァッと体温が上がりそうになるのを、灰原は理性と鋼鉄の意志とで押さえ込む。眇めた目線で、少しばかりトロンとした目をしている麗人を出来うる限り冷静に見遣った。 これは、不味い。一刻も早く手を―解毒剤を打たないと! しかし、彼女は灰原哀であり、その身は小学生女児の姿をしている。大人しくしてくれない高校生を相手に、注射針を向ける事はできない。再三、腕を取ろうとするも、ダメッたら、聞けよ!と手を振って嫌がる新一に、文字通り手が出せないでいた。いっそ時計型麻酔銃で眠らせてやろうと思ったが、生憎と新一が所持している物しかその部屋には存在しなかった。(そして、彼は貸してくれそうにない) 「…オメーらは、俺が情緒欠落者だの推理馬鹿だの言うけどなー、コレでもいろいろ悩んでるんだぞ!」 「あら、悩みがあったの?」 「あるに決まってるだろー」 「いつも楽しそうに事件現場に出向いては、犯人達を戦々恐々とさせて生き生き謎解きしているじゃない」 「ンなことばっかじゃねーの!」 (これは…軽い酩酊状態なのかしら?) 基本的に自白剤とは脳の働きを著しく低下させ、朦朧とした意識状態を手早く作り出して質問に諾々と答える状態にする為のものだ。 思考を鈍磨させ、機械的に回答を引き出す―ハッキリと言えば、薬を用いて引き出される情報の精度は限りなく低く、信憑性に欠けると言われている。といっても、常日頃情報を正確に記憶し把握している探偵の場合、情報の信頼度は常人よりも高いだろうが。それでも、聞かれていないことを勝手に喋りだすのは、少々おかしい。 灰原はジッと新一の状態を確認する。 全身ダルそうだが、先程手を振り回すくらいには身体の自由が利いて、意識はそこまで混濁しているようには見えない。それなりに会話も成り立っている。 ごく軽めに処方した薬物が強めのアルコール程度に効いている、というのがしっくりくるように思えた。 そして、どうやら探偵は吐き出したい悩みがあるようだ。 薬の力を借りて悩み相談がしたいという事なのだろうか? 「いいか!俺にだってなぁ、事件じゃなくても、ドキドキしたりする事があるんだよ!」 「工藤くん…とても興味深いけれど、やっぱり後で貴方が困る事になると思うの。ちょっと黙って!水でも飲みなさい」 今、持ってくるから。そう言って、立ち上がろうとしたが、全く人の話を聞く気の無いらしい探偵は、うっとりと半眼になって、話始めたのだった。 どうやら止められそうに無い。 だって、水を汲みに行こうとする女児の服を掴んで揺すってくるし。 ならば、彼が勝手に話し出したという証拠を作っておくべきだ、と彼女は考えた。 暫くすればハッと我に返りそうだし。 灰原は数秒ほど逡巡した後、『―月―日―時。工藤新一に依頼され薬物を投与後、同人物の要求を聞き入れ、話を聞く』と吹き込み、テープレコーダーを彼の声が拾える場所に置いた。 それから、窓や戸締り(音が漏れないかどうか)を確認して、「さ、どうぞ」と探偵を促したのだった。 ■ ■ ■ 「アイツと会うと…ドキドキするんだ」 「あのハートフルな怪盗さんね」 「ん。だってさ、アイツって、会った時からスッゲー面白くてサァ」 「そう」 「俺好みの暗号なんか出してきたからソレを解いて、会いに行ったんだよな。んで、サクサク警察呼んでやろうとしたのに、アイツ、自分で無線使って警察呼びやがったんだぜ?!」 ニコニコ嬉しそうに探偵にとっての「運命的出会い」を話す姿は、灰原的にはアレだった。アレ、そう、バスケの試合を見に行った後「先輩のプレーが超カッコよくてぇ!」などとキャッキャ騒ぐ―。 (女子高生みたいね) 「声帯模写とか、ホントすげぇんだ…博士の変声器なんか目じゃねぇの!」 「そう」 「しかも、蘭や、白鳥警部に高木さんに園子の親父にも化けるし、ホント変幻自在つぅか、変装上手でさ」 うっとりとその姿でも思い浮かべているのか、目元が潤んでいる。大変可愛らしい様子なのが、かえって大層残念な気がして仕方ない。 「その変装で悪事を働いているんじゃない」 「だけどさ!性別も体格も全然違う奴になっちまうんだぜ?」 「貴方のフリして何度か現れたのじゃなかった?利用されてていい気なものね」 「灰原意地悪ィ…」 手近にあったクッションを、ぎゅうと胸に書き抱いてプクっと頬を膨らませる探偵。灰原はそっと額に手を当てて、その姿から目を逸らし首を振った。 (可愛いじゃない…!) うっかりトキメキかけていた。 「でもでも、俺に協力してくれたりするんだぜ?!」 「そう」 「蘭に変装した時は、タダのとんでもねーコソ泥だったんだけどさ、園子ンちの船で白鳥警部姿で会った時なんか、おっちゃんが俺省いて捜査するって言ったのに、俺の方を見て『役に立ちそうだから連れて行きましょう』って!」 「まぁ」 「スコーピオンに狙撃されそうになった時は、さりげなく助けてくれたし」 古城での宝探しの時の事らしい。ボロッボロの姿で城が焼け落ちる寸前に脱出してきた少年に、コチラは胸が潰れるほど心配させられたというのに。 トキメキの熱が程よく引く。 灰原は冷静さを取り戻した。 「奇術師愛好家が集まった雪のロッジではさ、風邪引いちまって熱出した俺に薬くれたり、危ないよとか言って、高い所から下ろしてくれたんだっ」 ばんばんと膝を叩いて笑う探偵はとてもご機嫌だった。 「そう」 「黄昏の館じゃ、あと少しのトコでバァさんに邪魔されて捕まえられなかったけど、人助けにヘリから飛んだんじゃ仕方ねぇし」 「そう」 「大体アイツ、カラクリ屋敷じゃ元太の事助けちまうし、画家の絵画探し手伝ってくれたし」 「…そう、だったわね」 「ジャンボ機が落ちそうになりゃ操縦桿握るし、機体不時着させる為の夜行灯探しに機上から飛び降りて!」 「貴方を助けに飛び降りた事もあったわね」 「そ−なんだよ!もう、ホント何なんだろうな!?アイツってさー」 「何かしらねぇ」 「探偵ばっか命が狙われた事件の時も川に落ちた俺を拾ってくれたり、爆弾処分してくれたり。あ、あとワザワザ警察がいる場所に潜り込んで、次郎吉のオッサンの犬助けに来るし」 「全くハートフル過ぎるわね…」 更にニコニコ満足そうに、そうなんだ!あのハートフル怪盗めッ!などと嬉しげに笑う探偵から懸命に目を背けながら、灰原は異様な気持ち悪さを感じていた。探偵は可愛いので、彼にではなく、彼の話を聞いて沸いた悪寒である。 (ハートフル…?) 怪盗とは、そんな存在なのだろうか。 いや、確かに彼が幾度と無く人助けをしたりする姿を彼女自身も見ているし、「ハートフルな怪盗さん」などと評した覚えもある。 なんだかんだ言って、怪盗は周囲の人間に甘い。それが怪盗紳士と呼ばれる要素だとして、しかし、彼の本当の目的とは常に人助けとは別に設定されているはずである。 (…「役に立つ」と白鳥警部に扮する怪盗は言った、のよね) よくよく考えれば―。 事件に遭遇したとして、そこで身体を張って犯人を追い、犯行や悲惨な事態を回避せんと動くのはいつだって探偵だ。それは間違いない。事件の渦中において、怪盗もまた巻き込まれ、事態改善に探偵に手を貸しはするが、果たして探偵ほど彼が傷ついたことがあっただろうか。 もしかしたら、あるのかもしれないが。いつも気がつけば空へ飛び去り、もしくは他者に紛れてドロンしている怪盗の姿。彼がこの探偵以上の目に遭っているとは思えなかった。 「でも麒麟の角の時は…貴方は眠らされたわね」 「んん?そうだなー、俺が探偵だからだろうな!」 「厄介な探偵だものね」 「ああ…そうなんだよな…」 俄かに落ち込みだした新一に、灰原は薬の効果が切れてきたのかと期待した。だが、残念ながら違ったようだ。 「どうせ、俺じゃ、アイツとどうもならないよな」 一体どうなりたいの?! 「…ッ、そ、うね。探偵さんと怪盗さんだもの」 辛うじて、本当に突っ込みたいことから言葉を逸らす。灰原としては、下手な誘導質問をしたと後々言われる言動だけは避けねばならないのだ。けれど、どうしても確認したい事だけは聞いておこうと口を開く。 「あの…工藤くん?一つ聞いてみたい事があったんだけど」 「んー?」 「キッドが「天空の貴婦人」を狙って飛行船に乗っていて、貴方を助けに船から飛び降りたとき、怪盗さんは何をしていたのかしら?」 「飛んできた」 「見てたから知ってるわ」 そうじゃなくて、地上におりてからよ?と灰原が言うと、新一は人差し指を顎にあて、顔を天井に向けて記憶を探る様子を見せた。話を聞け!と話し出してから、妙に子供っぽい仕草が続く。まだ、覚めないのかしら?と灰原はやや心配になる。 「降りた後ぉ…?」 「ええ。警察のヘリで飛行船に飛び乗ったらしいけど…」 「……ふっ」 肩をゆすってフフフと笑い出した探偵に、灰原は戦慄した。聞いては不味い事だったのかもしれない。 「すっげー可愛かった…」 「ちょ、やっぱりいいから!話さな―」 「ヤギと遊んでたんだぜ?アイツ」 「…ヤギ?」 「ああ、島にいた野良ヤギ?俺が服部とかと電話して情報収集してる間さー、そのへんの草やって懐かれてんの。動物にも好かれるんだよな、アイツ」 その様子でも思い出したのか、優しく笑う探偵。 だが、灰原は、何言ってんだ、コイツ?!と呆れる事計り知れず。 「じゃあ、飛行船に戻れたのって」 「俺が警察のヘリの迎え頼んだんだー。で、KIDに工藤新一のフリしてもらってー」 「…怪盗さんって、自分の得意な事しか、してなくない?」 空を飛んで、変装。 あの飛行船の時、確かにその数々の技は探偵を救ってくれたが、結局テロリスト軍団を単身で倒し、その首魁と対決して身体に銃創を負ったのは探偵だ。 (そうよ、そうなのよ―) いつ、いかなる時でも、怪盗はその目的は飄々と果たして行く。 目的物を手にし、赤いシャム猫やスコーピオンなどの敵を探偵に退治させて。 目的物へ近づくために探偵に助力しながらも、その力を利用して。 時には、彼の身の冤罪を探偵に晴らさせて。 更に、探偵の身柄を使って目的を果たそうとしたことも。 (役に立つ…だから助ける、そして利用する…?) 勿論、この探偵だって同じく怪盗の持つ能力を利用して危機を切り抜けたこともあるだろう。だが、探偵はいつだって、彼が解きたい謎や助けたい人達の為に走るのであって、そこに怪盗のような私的理由の混じる余地は少ない。 怪盗はあくまでも彼の私的理由が最優先であり、その目的を達する為に、人助けを―探偵への助力をしているに過ぎないのだ。 そもそもが違う、相対する存在なのだから、人を助ける理由も何もが、探偵と違っていて当然ではある。 当然なのだが、灰原は湧き上がる苛々を看過することが出来なかった。 最も印象的に思い出すひとコマ。 飛行船で自由を奪われた乗客達の前に現れて、優雅に挨拶して去った怪盗。 その後、頭から、腕から、多くの血を流し傷だらけの姿で、それでも彼自身以外の者たちの心配をして現れた探偵。彼より酷い状態だった人間なんていなかった。 気付いてしまった真実へ、単身で無鉄砲に走っていった彼の自業自得の部分があったとしても、それでも。 「ホント、いろいろ特技あるんだよな、アイツ…捕まえられないのって、そのせいかなぁ。そろそろ捕まえてぇんだけど」 「捕まえたいの…」 「トーゼンだろー。俺は探偵だぞ」 「捕まえて?それで」 「俺だけのモンにする」 「……それは」 「あんな面白い玩具、他に無い。絶対無い。アイツ見るとドキドキするし、ワクワクもするんだ」 「おもちゃ…」 キラキラとした瞳で言う探偵に、灰原はそれならいいわと肯いた。 瞳に宿る意志の強さから、大分薬が抜けてきているようだと察した。玩具というのが本心かはたまた恋心が隠されているのかどうかは分からないが、手に入れたいという執着があるのは分かった。 「いいわ。私も怪盗さんには少し話したいことが出来たし。いくらでも協力してあげる」 「えー。いいけど、横取りすんなよ?」 「しないわよ。さ、工藤くん」 灰原は、ご機嫌な探偵にニッコリと笑いかけた。 探偵もニッコリと笑い返す。 一瞬だけ出来た素敵空間。 しかし、次の瞬間そんな空間は破壊される。 「そろそろ、目を覚ましなさい!!」 小さな掌が中空に上がり、探偵目がけて一閃した。 ■ ■ ■ 工藤新一は、もみじ模様がクッキリついた頬に氷嚢を押し当て、目の前の少女をチラチラと見遣った。致し方ない事情の結果であり、彼女の行為に不満を言う事は出来ないが、気になる事がいくつかあった。 「記憶はある?」 「…多少?何か、すげー口が軽くなった…んで、俺、」 「ええ、怪盗さんについて延々お話してくれたわ」 「……それ、は」 「詳細はこのディスクに入ってるわよ。好きにすれば良いわ」 スッと出した黒いメモリを、新一は慌てて奪った。 「あのさ、アレは」 「大丈夫よ。薬のせいだもの。貴方の本心がそこに在るとは言い切れない。貴方自身にもね」 「だよ、な」 オボロゲながらに口に出した事を思い出せるのか、探偵は「そんじゃ、なんか、悪かったな…灰原」と言って、しおしおと隣家に帰っていった。 黙ってその背中を見送った後、女児は呟く。 「探偵使用料の計算をして、…ふんだくってあげないとね」 |