□番外13□ 事件を追っていた少年と呼ぶには幼い、幼児の手助けをしたのがきっかけだった。 彼はホームズの弟子を名乗り、まさに臨場で事件の謎を解いていた。推理のような、本能のような鋭さで。 英国のある都市に散りばめられた暗号を解いて辿り着いたテニス会場。 テニスの女王と謳われる女性を脅迫し、八百長試合を強要しようとした卑劣な爆弾魔との対峙。 犯人は群集に潜み、芝生の上でなされる最上の試合を、その手中に収めたかのような嗤いを浮かべて観ていた。 ―アイツだ! ほくそ笑む犯人を見極めようと神経を研ぎ澄ませながらも、犯人に試合を掌握され翻弄されそうになる女性を安心させようと手を大きく広げ、笑顔で応援を投げかけながら。子供はその身に似合わぬほどの力強さで「大丈夫!」と声をコートに響かせた。 結果は―爆弾魔は捕えられ、事件は明るみに出ることなく、未然のまま幕を閉じた。 事件が起こっていれば、多くの死傷者を出したであろう。彼と犯人と、犯人に脅されたコートの女王とその弟しか知らない、多くの誰もが知らない間にその多くの人々の命を賭けた取引が為されていた臨界点で、決して諦めることなく会場に潜む犯人を追っていた『子供』。 俺が出来た事といえば、多少の知恵を貸し、彼の手の届かない場所にあったモノを取ってやったり、特定された犯人に向けて警官隊をけしかける事ぐらいだった。 全ての終ったテニスコートで、彼はようやく、その姿に似合う言葉で話し始めた。それまで、妙な英語しか話さなかったのに。 「ありがとな、新一さん?ボクは江戸川コナンだよ」 「…どうも?コナンくん。俺は工藤新一ってんだ」 名乗りあいなどする暇はなかった。次から次に提示される暗号を解きあって、走り続けた。俺達は最初に、互いを呼び合う名前を交換しただけだった。 それから、しばらくコナンと俺は互いの事を語り合った。 俺が宿を定めぬままに立ち寄った旅客であると知った子供は、「ついてこいよ、寝場所ぐれーなら、あるぜ?」と言って、普段使われていないらしいアパートメントの一室に案内してくれた。 奇妙な子供だと思いはしたが、彼が所持していた不思議なアイテム―ソーラーシステムを搭載したスケボーだの、ズーム機能がついた眼鏡だの、何より子供自身へ興味を惹かれる部分があまりに多くて、その誘いに甘え、更に語り合い続けた。何しろ、子供の案内した部屋にはかの都市を代表する名探偵の著書や文献があり、語る種は尽きなかったのだ。 大きな年の差があるとは思えない語り合いは、偏にコナンという少年の驚嘆すべき頭脳の優秀さによって可能になっていた。 俺は、興味の赴くままに欲求を抑えることなく、ついには子供自身についても問いを重ねていた。そんな事は滅多に無い事で、しかしどうしても、彼について知りたくて仕方なかった。 ―彼は始め国籍を持たない、異端児だったという。 流離いの旅の女が旅先で行きずりの恋をして、子を産み落とした。―まさに、産むだけ産んで、名すら付けずに、通りがかった孤児院前にタオルにくるんだだけの落し物として彼を置いて行ったのだ。 人里離れた森の奥にヒッソリと在った孤児院は、ともすれば人買いに子供を用意するような悪辣な環境で、嬰児が野良犬に食われずに済んだのは、院長が小児臓器売買を目論んでいた故に金蔓として保護の対象になったからに過ぎない。生後間もない赤子ならば、子供の出来ない夫婦に養子を期待されるものだが、院長はある程度―複数の臓器を提供(換金)しても生き続けることが出来、手持ちのコマとしての能力を残せるくらい―内密に育てようと考えたらしい。その上において、戸籍などあるほうが厄介。 ―どこにも届け出のないまま、赤子は成長する。 生後半年を越え、いよいよ使えそうな臓器―まずは二つある腎臓のうち一つが換金されようとした時、助けの手は、何とか彼が何かを奪われる前に、彼を抱きとめた。 『阿笠博士』という人物が、病弱な子供の付き添いとして孤児院に現れ、院長の思惑を打ち明けられた。親に捨てられ、籍ももたず、誰も存在をしらない健康な子供。誰か他の子の為に犠牲になっても、誰も文句を言わない存在。欲しがる手はおそらく数え切れない程にあった。金を幾らでも高く積み上げる者も。 院長がかの阿笠氏に話を持ちかけたのは、彼が富裕層が数多おり欲しいモノのために金を惜しまないと噂される日本人だったからだ。しかも病をもつ子供を連れている。しかし、氏は学識者であり、なにより良識を重んじる人物だった。当時、氏が連れていた子供は、博士の研究によって回復しつつあり、同じ年頃の子供達との触れ合いをさせたくて、療養していた地から遠くない場所にあった孤児院を尋ねただけであり、院長は相手を見誤ったといえる。 けれど、それが、赤子を救う第一の手となった。 氏が、赤子を救うべく打てる手は余りに少なかった。それでも研究に追われ伴侶も子も持たなかった彼は、赤子をわが子として迎え入れる算段をつけ、駄目もとでかつて世間を騒がせていた『怪盗』に、かの子供を攫って貰おうと画策しようとしたらしい。 警察に駆け込んで保護を頼むのは危険な行為と言えた。院長の後ろ暗い仕事を支える権力者の力は、地方の警察を取り込んでさえいた。全ての国が、日本のように建前の健全さを大事にしているわけではない。 氏は、世間に義賊と好意的に捉えられ、盗めないものなど無いと言われた彼ならば、と考えたのだ。 もっとも『怪盗』の出現が無くなって10年近くが経過していたから、旧友であり、かつて怪盗1412号に『KID』の名称を与えた小説家に、どうしたらいいのか、という相談して―どう話が巡ったのか、氏の依頼を受けたのは、『怪盗淑女』と名乗る人物だったという。 俺はそこまで聞いて、背筋に震えが走った。 世の巡りを、いや俺とこの子の周りを巡る数奇な縁を感じずにはいられなかった。 俺には、通された部屋を見て、子供からそこまで聞いた時点で「博士」という形容される人物に、思い浮かぶ人間がいた。 なにしろ部屋に飾られていた写真に写る初老の人物が、黒羽と俺がかつて夏休みのバイト先で知り合った記憶喪失の発明家にそっくりだったのだ。 南の島の、更に離れ小島で出会った彼。俺を見て、何度も、何かを言おうとしていた。一体何を言いたいのだろうと相手を見返して気が付いた、彼が俺を通して俺ではない誰かを探そうとしていた視線。 (まさか…?) そんな偶然があるのだろうか?しかし、そうならば、彼の視線の意味が漸く分かる。俺とコナンはとてもよく似た外見をしていた。(正確にはコナンは俺の子供の頃にそっくりで。現在のコナンと同じ頃の俺の写真を見比べれば、俺でさえ区別がつくかどうか、という位に似ているのだ。出会ってから短時間で俺とコナンが打ち解けたのは、時間を競う事件を共に追っただけでなく、よく似た外見や思考や嗜好をしていたからだった。) 数少ない島民に「ハカセ」と呼ばれ、子供が喜びそうな、よくわからない発明品作りに没頭していた彼の家には、コナンが持っていた物によく似たスケボーや時計が飾られていた。 そして『怪盗淑女』とは、黒羽の―。 辛うじてお座りの形ができる程度だった赤子は淑女の優しい腕に眠り、起きた時には、英国の街角で和風に作られた部屋にいて、そこで2歳まで過ごしたのだった。―案内された一室が、まさに氏の部屋だった。 日常会話は博士と現在の保護者の母国語である日本語が殆どで、歩けるようになって外の空気に触れる際に近所の人との会話から英語を細切れに習得したのだという。 なるほど、幼児にしては流暢な日本語は生来の賢さと日常から、覚束無い英語は必要最低限の会話モデルの暗記だからか、と納得した。しかし、その年頃の幼児にしては立派なものだ。言葉が遅いといわれがちな男児なら4歳辺りまで黙して話さない子もいるというのに。 そして、現在齢4歳になった、少年とも言えぬまだ幼児と呼ぶに相応しい外見である彼は、彼を救ってくれた博士を探していると言った。 2年ほど前に、用事があるからと3日の期限を切って渡日。彼は研究者であり発明家でもあったから、特許か何かの申請に行ったんだと思う、とコナンは言った。 言葉を話し始めたばかりの幼児に、ゆっくりと「すぐにもどるから、まっているんじゃよ」と言って。 ―だが、博士は帰ってこないまま2年。 コナンの身柄を預かってくれたのは、世界的にも有名な服飾ブランドの社長であるフサエ・キャンベル・木之下氏だった。博士と社長は旧友の仲であったらしい。戻らない博士を捜索する手も打ってくれていたが、発見できないまま月日は経ち、彼女はコナンの母親になろうとも言ってくれたが、コナンは拒否したのだと言う。彼女もまた伴侶も子供も持たない女性であり、何より第一線で活躍するブランド・オーナー。ワケ有りの生い立ちの身で、その後継とも成りかねない位置に立つ気はコナンには無かった。博士を待ちながら、数多の書物から知識を吸収し、時に知識の実践のように遭遇する事件を解決して、幼児は時を過ごしていた。 身の回りのことをある程度できるようになってからは、多忙な保護者の手を割かせることを嫌がり、コナンは、普段は木之下氏の経営する健全な福祉施設にお世話になっているのだという。 コナンが自ら記憶すら無いはずの生い立ちを知り得たのは、博士の残した物モノを漁っている時に、氏の手記を見つけた為だった。 身の上を話し終えた子供は、我が身の不遇に同情を求めなどしなかった。 彼が求めたのは、彼が道を進むことへの助力だった。 国籍は博士が用意していてくれたから、かろうじてパスポートは持っている。けれど、流石に単独でビザを取得することは出来ないと。 「工藤さんは、これから日本に帰るんだっけ?」 「ああ、結構外を回ってきたからな。この都市を最後に戻る予定だった。思わぬ事件に遭っちまったけど、まぁ近々帰るさ」 「…あのさ、悪いんだけど、ついでに俺も日本に連れて行ってくれねぇ?」 子供らしい頼みだった。根無し草のような子供自身の身の上を知っていて、唯一この世界に繋ぎとめてくれた博士に会いたいのだ。 面白そうだ、と思った。 けれど、直ぐに肯くわけにもいかない。 「おいおい、俺が悪い奴だったら、どーすんだ?攫って下さいって言ってるようなモンじゃねぇか」 「どうせ、置いてかれて攫われて、また置いてかれてんだ。もう一回攫われるくらい、なんでもない」 「……手がかりは?」 「博士は日本の南の方にプライベートな島持ってるんだ。あの渡日から戻ったら、次はそっちに引っ越す予定だった。」 南の島、という言葉もまた、あの老人に結びつく。 「空路で、まずソッチに行ってから、特許関係の手続きが取れる都会に渡る予定だったと思う」 「空路?セスナか何かか?」 「うん。知り合いに持ってる人がいて、乗せてもらって日本入りするって。で、トート?都市についたら連絡するって言って、そのまま連絡がなくて」 「だから、セスナがどこかに落ちた?」 「可能性としてはソレが一番高い」 コナンの言う阿笠氏について俺は恐らく知っている。あの人物に違いないという、色褪せた写真程度の不確かな情報と己の感覚でしかない判断に、何故か迷いはなかった。 だが、俺は日本でそんなセスナ墜落事故があったかを記憶を辿る。彼のいう時期の新聞は大学で何紙も読んでいた。しかし、そんな記事があった記憶は無い。もしかしたらごく地方のローカル紙にしか載らなかったかもしれないが、邦人が乗ったセスナが落ちれば、日本ではかなりの話題になっていてもおかしくは無いが。 「セスナの持ち主は…」 「道楽者?ってゆーのかな。色々芸術家のパトロンもしたりさ、悪い人じゃないんだけど、面白がって法律違反も珍しくなかったから」 「行方不明、国籍不明って感じか」 「ああ」 会話を交わす。 知っていく、相手(キミ)のこと。 自分自身の脆い地盤を知ってもなお、その上に堂々と立って、強くあろうとする姿に虚勢は感じられない。 望むように進んでいくことに恐れを知らないのは、子供ゆえの無鉄砲さだろうか。 「駄目か?足跡を辿らなくても、その島まででいい。掛かるお金は、…今の俺じゃ払えないけど、何か、出来る事があればする。ショーモン書くし、出世払いってのにしてもらえれば」 「…そんなの気にすることぁないんだ。子供はよ。いいぜ?連れてってやる。但し、俺も一緒だぞ」 「本当か!?」 「ああ。条件は一つだ」 コナンは不思議な顔で、俺の提示した条件にただ黙って肯いた。 その頃には、俺の心は決まっていた。 そうして、子供の現在の保護者であるフサエ氏との話し合いを何度か繰り返した後、コナンと共に日本へ。 それから、黒羽と俺が出逢った老人の住む島に、また黒羽と共に(というか奴は勝手に付いて来ただけだが)コナンを連れて渡った。 ―老人が、記憶を取り戻す気配がなく、そして島を離れる気がないのを子供の傍で約半年の間じっと見ていた俺は、思い切って、彼に言ったのだ。 『俺と家族にならないか?』と。 優秀な子供だと思った。 島の大自然に囲まれて暮らすのも確かに幸せだろう。だが、この子はそれ以上の何かを求める者であるはずなのだ。出会った頃に、見えぬ悪意と戦い真実を見極めたように。 彼はその申し出が最初の条件の一つかと思ったようだった。 それは違う。けれど、条件付けの方が気が楽ならそれでも良いかと思った。 『日本にいる間は、出来れば俺の傍にいて欲しい』 俺が提示した条件はそんなモノだった。 俺は日本に戻るのが怖かったけれど、この子供がいれば大丈夫な気がしたのだ。 依存して甘えた、といえる。 でも、子供は笑って「いいぜ?」と簡単に肯いたのだ。 家族にならないか、と言った時も同じく。 フサエ氏は、コナンの意思を尊重して、あっさり―とはいかなかったが、後見人の立場を譲ってくれた。コナンが強く俺を支持してくれた事が大きい。 なぜ?と思わないでもなかったから、子供に向かって聞いたことがある。 『俺で、いいのか?』 やっぱり、子供は「いいぜ?」と笑った。 「だって、俺とオメーは似てるから、さ」 俺の未来の姿をしているらしい、お前が。ちゃんと幸せであるかどうかを見たい、と。 そう、子供は言ったのだ。 「そうだな、似てるな」 俺は、こんな子供に縋るくらい情けない駄目な大人で。いや大人になりきれない未熟な子供で。 でも、それでも、己よりももっと子供であるお前の踏み台くらいには成れないかと思ったのだ。 きっと君がこの先歩みたいと望む道は、俺がかつて選ぶことが出来なかった道。 分かたれた道先で、君が頭(こうべ)を垂れぬよう、他者の思念に妄執に憎悪に、君が侵され心折ることがないように見守りたいと思った。 勝手な自己愛の延長であるかもしれない。彼は俺を己のようだ、と言い、俺もまた彼が自分自身のようだと感じた。大きさも形も全く違うものでありながら、重なる何かを感じたのだ。心の在り様かもしれなかった。もしくは魂のカタチが。似ているのではなく、同質の、何か。 それはかつて黒羽に感じたものとは違う。 俺と黒羽はとても近くて、同時にとても遠くにも在った。大きさも形も似ていて、心の隠し方が似ていた。 ただ、その心の在り方も想いの示し方も違っていて、俺と黒羽は似ている分だけ引き合い、似て非なる分だけ反発もして、並びあって、時に交じり合うことで辛うじて理解しあえる関係だったのだ。 |