□番外9□


ガヤガヤとざわつく生協の屋上。

大学生の生活をサポートしてくれる生活共同組合の建物は、1階に売店と食堂があり、2階は1階の半分が屋内スペースになっていて、理容室と喫茶店の店舗が入っている。あと半分は、フェンスの張られた無機質なコンクリート床の屋上風なのだが、学内のミニイベントがある時や夏の間だけ営業されるビアガーデンになる時だけ、様々な装飾がなされ華やかになる。

テーブルがせいぜい10卓で一杯になる程度の広さだが、営業しているのが、ここが稼ぎ時らしい喫茶店のマスターと学生アルバイト数人なので、これでも精一杯だろうと思われた。(といっても、料理は予約しておくメイドイン学食なので、彼らの仕事はもっぱらビールの補給や料理の仕出しである)

その中の一席で、俺はビールを傾けていた。
うん、第三の、とか付かないモノはそれなりに良いものだ。

「でさぁ、やぁっと特講終わりじゃん!工藤はどっか行くのか?」

すでに赤ら顔で話しかけてくる顔見知り。さっき乾杯したばかりだというのに、彼の前には空いたジョッキが既に3杯。どうやら随分早いピッチで呑んでいるらしい。

「んー…暑いから、あんまりなぁ」
「だから、年中色白なんだな!……美白?!やっぱり美白派か、工藤」
「そりゃ、それが一番似合ってるだろー」
「アホか」

揶揄されて、些かムッとする。俺としては、わざわざ暑い最中に出歩いて夏を実感したいという人間の方が理解不能だ。

「近年のオゾン層破壊による紫外線量の増加率と、皮膚癌の発生率について語ってやろうか?」
「勘弁してくれ!これから海だってのに!」
「はぁ?もう盆じゃねぇか。クラゲに刺されっぞ」
「日本じゃねーから大丈夫だな!」「あ、結局行く事にしたのか」「そうそう」……

事情通同士の、友人同士の会話が始まれば、そういった会話の糸口を持たない俺の出番はあまりない。あとは当たり障りのない適当な会話を交わしながら相槌を打って、飲み放題と謳っている看板に恥じないように呑むだけである。
料理は食べなれた味がしたが、不味いわけではないので、進んで箸で攻めていく。

「ほい、枝豆来たぜ」
「ああ、サンキュ佐藤」

ガタッと空いていた席に座りながら、佐藤が皿を差し出す。何となくマメマメ〜マメ〜と節をつけて言いながら、両手の指先で緑色の脹らみを摘むと、ぴょこっと綺麗な緑豆のご登場だ。落ちてしまわないうちに指先で房を押さえながら房ごと口に放り込む。

「…工藤って」
「ぁんだぉ」

一つ口に入れると続けて欲しくなるのは枝豆の魅了の力である。塩味がたまらない。俺は口をモゴモゴさせながら、妙な顔をしている佐藤に視線を向けた。何だって言うんだ。

「ホン…ット、歌下手だな」
「黙れ」

しみじみした言い方がとてもムカついたので、奴の前にある皿からから揚げを取り上げた。


そんなこんなで、オーダーストップが掛かるまで、呑んで食べて、呑みまくったのだった。


オーダーストップから30分後。
生協全体の閉店を知らせる懐かしの音楽―蛍の光を聞きながら、2階から1階へと階段を下りる。

その頃には、少しだけ、気分が浮上していた。
いや、浮上とは違うのかもしれない。
いつもならある一定のラインで名付けようのない見えない壁で遮られて留まってしまう思考が、自由に行き来をしだしていた。
おそらくアルコールのせいだろう。
昼間、親の発言で触発されて思い出した記憶は、いつもいつも俺の中のどうしようもない性(サガ)を責め立てて、俺の言葉を奥底へと封じ込めようとする。それに反抗して起き上がる心―その必要はない、彼は感謝していただろう?と思い上がる、かつての俺。どれほど封じても、甦ろうと足掻く。それを醜悪な驕りだと嫌悪して、否定しつづけて探偵を降りようとする俺。けれど勝手に働く観察する眼と推し量ろうと思考する脳が、諦めきれずに探偵であり続けようと手を時に口を動かす。ホラやっぱり、懲りていない。あの犯行を、自死を防げなかった己の無力さをまた味わいたいのかと嗤うのも、また俺だった。

「んー、結構呑んだなぁ。どうする工藤?アイツ等飲みは十分だからカラオケって言ってるけど」
「ははは、パス」
「だろうな!ま、一緒に駅まで行くか?」
「ああ…いや、忘れ物取りに行くから、ここで、な」
「どこも、もう閉まってるだろ?」
「お前の土産もあるって言われてたんだ」
「ああ?黒羽か」

俺は肯いて、暗い夜道に視線を向ける。
行かないでおこうと思ったけれど、そうしてはいけないような気がしたのだ。このまま距離を開けて、なんでもないような顔をし続けてしまえ、と。どこかで歯止めをかける声もしていたけれど。

「大丈夫か?結構呑んでただろ」
「平気だ」
「何か、いつもと違って見えるぞ」
「呑んでるからだろうな」
「平気じゃねーんじゃねぇのか?そりゃ」
「何とかなるさ」
「オイオイ」

呆れた声を背にして、俺は歩き出した。


俺は探偵になりたかった。
名探偵と呼ばれた時に高鳴った鼓動は喜びを示して、ずっとそう在ることを望んだけれど。罪を暴く言葉は、犯人を追い詰める凶器なのだと思い知って、探偵という役割から足を遠ざけた。
けれど、遠ざかりながらもまた、別の探偵の在り様―可能性に気がついたのだ。
探偵とは、予想される犯罪を未然に防ぐこともまた仕事にしている存在である。ほんの小さなすれ違い、たった一言が腹に据えかねて―命と言う唯一のモノを引き換えにするには稚拙な犯行理由による犯罪は近年増加の傾向にある。複雑に見えて本当は簡単に解ける糸を、殺意を抱く誰かが、その衝動に身を任せる前に自身で紐解いてくれれば、きっと遣り切れない事件は減るだろうと―はたして書き始めたときにそんな事まで考えていたわけではないけれど、ホンの少しの手がかりで救われる人間がいるのなら、と。そう思って犯罪記事を追って背景を探り、時に未解決事件の手がかりを警察に預けて、書いていた犯罪ルポの数々。記者になろうとは思わないけれど、いつか出版できたら良いなと、今は思っている。おそらくたった一人の読者のお陰だ。

黒羽が好んだソレ。

―探偵みたいなことを、していたって…

きっと彼は、俺が探る者であることに気付いていたはずだ。
気付いていて、それでも俺に黒羽の様々なモノがつまっている場所を開放して、好きにしろ、と言っていたのだ。
俺が彼の自室に入ったのは、一度だけ。レポート用紙を貰おうとした時だけだ。自室には鍵なんか付いていなかったのに、出掛ける前に「ベッドも使ってくださいね」と言われていたのに、俺は頑なに居間だけを居場所にしていた。

「ナルシストじゃなくて、露出狂?」

酔いに任せて随分な言い方をしてみる。誰も聞いていないから、構わないだろう。言ってみて、あまりの形容にハハハと一人で笑ってしまった。




黒羽の家の明かりは点いていた。中にいるのだろうと思って、インタフォンを鳴らす。さっさと出て来い、と思った。

「先輩…?」
「忘れ物取りに来た。上がるぞ」

驚いている黒羽を押しのけて、俺は勝手に靴を脱いで上がりこむ。

「…こっち、こないかと思った」
「なんでだよ?荷物置きっぱなしだし、大体土産はどうしたんだ?」
「あ…ありますよー、温泉饅頭」
「温泉?!リゾートだろ、海だろ?何だそれ」
「スパもあったからでしょうねぇ」

後を付いてくる黒羽に軽口を叩きながら、居間に入る。
とりあえず、朝散らかしたままにしていた服の類を片付けようと思ったが、見当たらない。―いや、ジャケットとズボンはプレスされたのか皺が伸ばされた綺麗な状態で、親父がスーツを吊るしていた場所と同じ所に下げられていて、シャツは簡単に畳まれた姿で俺が荷物を詰めていたボストンバッグの上に丁寧に置かれていた。
ではバッグの中に詰めようと腰を下ろすと、黒羽が箱を差し出してくる。
箱にはゆるいキャラクターの絵柄に『ご当地名物!温泉饅頭』の文字。

「このチョイスは酷ぇ!」
「ってゆー反応が欲しくて買いました!ホントのお土産はこっち」

渡されたのは、片手に乗る程度の大きさの双眼鏡だった。それなりの重みがあって、観光土産にしては不思議な品だ。首を傾げると、黒羽は「ホエールウオッチングが出来る船が近くの港から出ててさ、そこの売店に置いてあったんです。面白いかと思って」と言った。確かに滅多に貰うものではないし、そこでクジラの置物とかじゃない所が面白かもしれねぇな、と思った。
手で遊ばせながら、試しに覗いてみる。部屋の家具や壁がすぐ近くに見えて、ぐるりと首をめぐらせれば、かすかに笑う黒羽の口元あたりが見えた。大きく写りすぎて、よく解らない。

「何を見たもんかな」
「…俺だけ、見てくれれば良いのに」

笑うような、泣いてしまうような、彼の感情の狭間で揺れる表情は、俺に何を訴えかけるものだろうか。
俺は少しだけ目を閉じて、一つ息を吸って再び黒羽の顔を見た。

「面白い鏡もってるな?」
「?どこの」
「クローゼットの中だ。リバーサルミラーが必要って柄か?」
「…あれは、」
「あの棚自体が、妙だったんだよな。アレ、本当にお前のか?板の厚みが合わないし。収納容量妙に少なかったし。もしかして、秘蔵モノの隠し場所もあそこか。俺の見立てじゃ、三箇所に板ズラして使う隠し棚があるはずだ。あ、別にAV見せろって事じゃねーぞ。まぁ、いいや。そいや結局FAXで送られてくる用事って何だったんだ?」
「それは、さっき来ました。結局、無駄に時間を束縛してしまってすいませ―」
「見せろよ。俺が何を待ってたのか知りたいんだ。少しぐらい見たっていいんだろ?」

矢継ぎ早に言い募る俺に、すこし驚きながらも、黒羽はダイニングから一枚のFAX用紙を持ってくる。立ち上がって、その背中を追って、ついでにリビングを見渡した。
渡されたFAXの紙上はすべてドイツ語で書かれていた。
「宝石展覧会?」ポツリと呟く声に、黒羽は黙って肯いた。果たして黒羽は宝石に興味を持つような人物であるか?そうは見えない。では、何故だ。

「隠れコレクター?」
「まさか」
「だよな。でも、行くんだろう」
「…そのつもりです」
「そうか」

不必要な情報を求めるワケはない。俺という保険までかけて。
しかし、理由までは推察出来なかった。だが、別に良い、今は。
朝に出た時と少し違うリビング。
洗って水きりトレイに置かれたカップは二つ。

リビングと居間の仕切り壁に背中を預けて手にしたFAX用紙をぺらぺらと扇いで、立ったついでにとヤカンに火をかける黒羽の姿をジッと見る。

「温泉饅頭食べていきません?お茶、入れますよ。先輩かなり酒くさいし」
「親父と、何を話した?」
「―…ッ」
「俺が大学へ向かった後だ。追いかけたのか?それとも、アイツから訪ねてきたか。厄介だっただろ」
「……手強いの、先輩と一緒で。聞きたい事全部はぐらかすクセに、全部勝手に喋って行きましたよ」

母親宛の『土産』をデパ地下あたりで用意していくような人間じゃないのだ、アレは。面白い玩具を見つけて遊んでいかない筈はない。持ち帰られなくて良かったなぁ、と他人事のようについ思ってしまった。
そして、コイツも情報源を前にして、黙って見送る人間じゃないだろう。これまでの言動を思えば。

「聞きたい事、何かあったのか」
「何でも。先輩の事なら全部」
「漠然としすぎるな。俺でも答えようがない。勝手に見ろって言ったほうが早い」
「…かなり見てましたよ?」
「で、解らなくて、親父に聞いたのか?…観察力が足りねーんだな」
「ソレ言われると、言葉もないですけど。先輩は?ここで暮らしてみて、何かわかりました?」
「……」
「ああ、すいません。興味ない事に使う時間は、無いんでしたっけ」

カチャカチャと茶器とお茶の葉を用意しながら、皮肉げに笑う。大した水量の入っていないヤカンがすぐ取れるようにと、そのまま、俺に顔は向けずにシンクの前に立つ黒羽。

「何に気付いてたら、良かった?」
「…全部に」
「無理だろ」
「全部、置いておいたのに。開けたのは、レポート用紙取るためダケ!ああ、棚も見たんですよね。先輩の言う通り、アレは元々俺の親父の持ち物なんです」
「父親?職業は?お前の親だもんな…タレントか俳優か」
「…マジシャンでした」

過去形。黒羽。マジシャン。何かが記憶に引っ掛かった。俺が母親の伝手で手に入れたチケットがあるからと、連れられていった事があるマジックショウ―幼い記憶はあやふやに、しかし確信めいた感覚。
そして、今ソレを調べる手段は一つきりだ。

「そうか。んじゃ、この宝石展ってのは?聞かせろよ、全部」
「聞きたいのかよ」

 興味なんか無いくせに

振り返って睨みつける眼は、とても黒羽らしくて、俺は少し笑った。

「あるぞ?ってか、オメーぐれー興味深い奴はいないと思ってる」
「へぇ?」
「逆に聞きてーよ。…俺でいいのか?オメー」
「…アナタじゃないと嫌だ、ってくらいには」
「親父に聞かなかったか?」
「聞きました。…つぅか、多分、知ってた」
「……」
「あの―ルポ録の、先輩が使う言葉はどれもギリギリを考えて吟味して、どう書けば正しく伝わるのか気を使ってた。なにより、断罪する視点が無かった。逃げの口上かって最初は思ってたけど、そうじゃなかった。正しく罪を認識して欲しい相手を限定してたんだ。向き合うのは、咎人自身だって」

「厳しくて、優しくて…でも臆病者に見えた」

「もっと弾劾して、糾弾して、断罪を叫んだっていいんじゃないかって。きっと罪人もソレを望んでいるのに」

頭脳の優秀さはそれなりに知っていたが、やはり只者では無いらしい。結局、黒羽は自力で俺という人間を見抜いていた。

「昔はしてた。多分、今は抑えてるだけだ。この先も抑えてくつもりだけど、いつソレをしだすか自分でも解らない」
「俺は、平気ですよ」
「なら、話せ」
「何を」
「何でも良い。お前が、俺にしか話したくないことなら、なんでも聞く。全部」

黒羽はカチリと火を止めた。
それから、俺に近づく。
そして俺の前に立って、向き合った。
同じくらいの背丈の、似たような顔が、不安げに揺れていた。

「ほんとう、に?」
「ああ」
「酔ったイキオイとかじゃなく?」
「保証はしかねるが…忘れてたら、また話せよ」

黒羽は「うわ、面倒くさい!てか酒臭い!」と笑って、そのまま崩れるように、その場に腰を下ろした。


   □  □  □


(秘密だよ、秘密だよ)

アナタにしか教えない。

知って欲しいと思えた人はアナタが初めてだったから。
秘密の共有なんて、アナタには迷惑でしかないかもしれないけど、俺が、アナタになら聞いて欲しいと思ったから。
誰にも言えなかった。同じ秘密を、俺よりも先に知っていた相手にも。
だって、知らされた時はもう、俺の気持ちも、思いも、何も考えずに吐き出せる年でもなくて。
あの人たちがどんな思いで生きてきたかも、知ってしまっていたから、余計に。

誰にも知られなくていいと思ってた。でも苦しいんだ。いつまでも蟠ったままの、気持ちが、想いが。
全部自分のモノのはずなのに、自分の中に溶け込んでくれなくて。

だから、聞いてくれませんか。アナタが。
聞いてくれるだけでいい、吐き出した汚物なんかスグ忘れてくれて構わない。
どう思われたって仕方ないけど、出来れば、俺が話し終わるまで、俺のそばに居てください。





続く
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