□番外8□


「どういうつもりだ、親父」
「新一がさっさと私の紹介をしないのがいけない」
「言えるか!」
「おや、どうしてだい。しかし、意外と熱しやすい青年だったな。アレが彼氏というのは、なかなか苦労しそうじゃないか」
「黒羽は、ンな、…んじゃねぇ!」
「ほほう?」

大丈夫、多少声は聞かれてても何か見られていたわけじゃない!と思うのだが、何とも思わせぶりに顎に手を宛がいながらほくそ笑んでいる様子なのが厄介だ。わざとそういうフリをして俺の反応を伺っているに違いない。
引っ掛かってなるものかと、俺は先を急ぐようにして、足を速める。思いの外、直ぐに距離が開く。相手がつられて来ないので、そういえばと俺は振り返った。

「あ、つぅか、もう大学に用ないんだろ?来日の予定も今日までだっけ?」
「本当は朝一番に、お前を連れて直接帰国する予定だったんだがねぇ…」

(あっぶねぇ…相変わらず人の都合はお構い無しかァッ!)俺は暑さのためか一気に出てきた冷や汗か解らない額の水気を手の甲で拭った。

「有希子が残念がるが仕方ないだろう。土産を見繕って私は帰るとするよ」

そう言うと、大学方向と駅方向に分かれる道で足を止めた。どうやらここでお別れらしい。心底ホッとして、俺は何とか笑顔を浮かべた。白々しいのは百も承知だ。

「相手、ロクにしなくて悪かったな?母さんにヨロシク」
「なぁに、構わないさ。…そうそう。お前は、もう少し、心を許した相手になら心を見せたほうが良いよ」
「…なんだよ、イキナリ」
「君の言葉を待っている相手に何も言わない事は、言葉を使って傷付けるのと同じくらい相手に傷を残すことになる」
「何の話だ」
「トラウマを克服したいなら、恐れてばかりではいられないだろう」
「……」

一体何を見て言っているのだろう。厄介で、いつまでたっても敵わない相手は、ただ穏やかに俺を見ていた。
俺は何も言わずに、大学へ向かう道へ歩き出した。




使う言葉が凶器になってしまうのなら、いっそ使わないほうが良い、とそう思ったんだ。


言葉を使って、人を追い詰めて、死なせてしまった事がある。
離れ孤島の旅先で。
彼は優しい人だった。
何を引き換えにしても―自身の命を引き換えにしてでも、彼がその優しさゆえに許せなかった相手に抱いた殺意。名を変え姿を変えて彼の手は凶器となり、その相手へと忍び寄って―達成された復讐。

『どうなっても、構わないって思っていたから』
『見つけてくれて、ありがとう』
『僕はここで消えるよ』
『ありがとう、探偵さん』

罪を暴かれても、うろたえることなく。むしろ安心したように。清々したように笑って、炎の向こうに消えた人。望んだ事はそんな結末ではなかった。でも彼は既におそらく罪に手を染める前に、彼自身の幕の引き方を決めていたのだ。炎から共に逃れようと伸ばした手を振り払って、煙に撒かれそうになった俺の手を逆に引いて救ってくれた、最期まで優しかった手。その手で、柔らかく、どこか歪に聞こえてきた旋律は、炎に朽ち落ちるまで罪人の所在に気付いてしまった俺への感謝を告げていた。
同じ手で人を死なせていたのに、俺は最期まで彼の手を嫌いになれなかった。


あの頃の―丁度中学2年生から高校2年生の間の俺は、自分自身の観察力や洞察力に裏打ちされた推理力といったものが常人のソレとは段違いであると自負していて。ちょくちょく警察すらお手上げと言う謎や事件に首を突っ込んでは、不可解なそれらの解決の糸口を確実に手繰り寄せることで周りを驚嘆させて、『名探偵』とすら呼ばれていた。ドイルの著作に登場するシャーロックホームズに憧れ、彼を指し示すのと同じ『名探偵』という言葉を向けられて、俺はただ喜んでいた。
小さな頃から読む本といえば推理小説に類されるものが殆どで、それは親の影響もあったけれど、俺はお話の中の不思議にいつも心引かれて、その原理を仕組みを知りたがる子供だった。そして、そういった謎めいた事象は実生活の中にも潜んでいるものだと知ってからは、新聞やテレビといったメディアを通して―時として、警察から助言を求められる父親の後を付いて回って、推理する機会を得て、またあらゆる知識を得た。
そうして、謎を目の前に置かれると、どうしても解きたくなって仕方ない―気がついた時には、俺はそんな性分の人間になっていた。

あの時も、その時も。
罪の在り処を、その罪の証を、残された僅かな手がかりを頼りに解き明かして。
白日の下に晒された罪人達。
晒した俺。
当然、恨まれる事もあった。その場で罵声を浴びる事も、時として逆恨みの犯行を受けそうになった事さえ。
しかし、それらは罪人達の悪あがきと、むしろ挑戦的に嗤い、それらを受けていた。
けれど、中には、罪を知られて安堵の吐息を漏らす人間も居て。そういう時に、俺は『魔』が差してしまったゆえの犯行があることを知り、どんなに理解しがたくとも、不可能犯罪に見えたとしても、可能性の一つ一つを検証していけばいつか真実が明らかにされる理由を知ったような気がしたものだった。人の心は完全に覆い隠せるものではなく、それは犯行の際に如実に現れてしまうものだと。
人間の持つ、各人格が持つ深さや思考を知ったつもりで居た、酷い思い上がりをしていたあの頃の己の姿は、思い返すたびに自身を悄然とさせ打ちのめすには十分だった。



ノートにづらづらと講義の内容を書いていく。
どうやら、昨日の作家の聴講会と配布予定だったプリントが効いているのが、今日の出席率はとても良く、担当教官も機嫌が良いようだ。ほとんど集中講義のまとめに入ってしまっている。

「残すところあと一日ですが、明日は自由出席にしましょう。昨日の聴講会の感想文と、今回の講義について各人レポート3枚以内に纏めて、明日の夕方までに提出してください。提出先は教官室406号です。講義時間は質疑に当てます。といっても大講堂では広いでしょうからね、質問のある者も教官室まで来て下さい」

おお…!と軽く一部で歓声があがる。実質今日で終わりということだ。レポートの枚数も少ないが、これは毎回出席を取っていたためだろう。小さな紙に記名して毎回回収するというやり方だったから、代返をしてもらっていた奴もいるに違いない。学生は抜け道を探すのが得意だ。

俺は早速レポート用紙を取り出して、教官の言った内容についての見解を書いていく。さっさと終らせてしまおうと思った。鉛筆で大して迷いもせず文字を重ねて。
それは、いつも、していることだった。


他者に向けて何らかの言葉を放つ事に怯えを抱くようになってから、俺は言葉を口からではなく指先で顕すように心がけた。リハビリめいた行為だった。そんな行為が必要になってさえ、事件や謎に対する興味は結局のところ喪われる事は無く、俺は自身の業の深さを呪うこともある。けれど、それらを解き明かす事以上に楽しいと、面白いと思えることは無く、更にそれ以上に、俺は無意識のうちにも情報を収集し分析しようとしいている自身がいるのを知っていた。
そして、今も。
不意に、鉛筆の先を乗せている用紙をくれた相手を思い出して、俺は鉛筆を取り落として、思わず口元を押さえた。

「?どうした、工藤」
「や、ちょっと…手が滑った」

左隣に座っていた顔見知りがひょいと顔を向けて聞いてくる。俺はなんでもない、と軽く左手を振って、机の端に転がった鉛筆を拾った。そのまま不審げに見てくる相手から隠すように左手を頬から額にあたりに当てて下を向く。手で触った頬の辺りは、確実にいつも以上の熱を持っていた。
忘れていたワケではなく、意識して頭の隅に追いやっていたのに。
思い出してしまえば、鼻先をくすぐった潮の匂いと、柔らかな髪の感触までもが甦ってきて、困った。
そして、ふと思う。

俺の言葉が好きだといった黒羽は、俺がその言葉を用いて人を死に至らしめた過去を持つと知ったら、どんな顔をするのだろう。


   □  □  □


結局、再び取り上げた鉛筆は思うように紙の上を滑らずに、俺はそれ以上書くことは諦めて、足元に置いた鞄を取り上げて荷物を詰めることにした。

「く、ど、う、くん!」
「…なんだよ?サトーくん」
「へっへ!ラッキーだよな、一日早く終了!ってことで呑もうぜ!」

気の早い奴である。

「レポートは終ってないだろ?何だよ、もう書いたのか?」
「まさか!工藤じゃあるまいし。明日出すモンは明日やればいいんだよ」

開き直りなのか、レポート如きに時間は掛からないという自信の現われなのか。
俺は苦笑しながら、軽く手を振った。

「凡人の俺は、今夜中に頑張らないと無理そうなんでな」
「まったまた〜!つーか、だったらこれから図書館行こうぜ?」
「…佐藤くんが?図書館に!?何だ、真夏の雪でも見れんのかな」
「そこまで珍しくないだろー?ま、そんでレポート終らせて、呑もう!」
「どこで」
「ここで」

怪訝な顔をすれば、「生協のビアガーデンが空いてるんだってよ」と続いた。なるほど、安く近場で呑めるということで予約が取りにくい生協主催のビアガーデンの席が取れたのか。他学科や他学部の集中講義も盆を前に一旦どこも〆に入る。と、同時にお疲れ様の飲み会がどこかしこで開催されるのだが、思いのほかこの講義が早く終ったから、呑みに走れる人間は限定されたらしく、当日でも予約が出来たという。

「それに、今朝黒羽見かけたしさー、戻ってきてるんだろ?だったら門限ないんだろうし」
「あ、ああ」

そういえば、とハタと俺は思い出す。
(荷物、置きっぱなしじゃねぇか…)
幸いにして、天災のような人災は通り過ぎ去って行ったようだし、まさか今日の夜まで家にはいないだろう、と思う。気ままにしているように見せているが、締め切りは甘くはない。俺が事前に編集者から手に入れた情報が正しければ、奴は確実に今日中に帰らないといけないはずだ。
…だとすれば、俺は今日には自宅に帰れる―帰るべきだろう。
佐藤に言われるまで、当然のように後輩宅が浮かんでいたのが、我ながらどうしようもない。大体、今朝のアレは何だ。後で話す、とは言って出てきたものの、一体どういう顔でアイツに会えばいいんだ。

「わかった。呑もうぜ?メンツは…」
「おお!ゼミの奴らと五人ぐらい。集合は7時半なんだ」
「生協って9時までだよな?」
「そ、だから呑み足りなかったら駅辺りの飲み屋に移動ンなるし。そしたら、工藤はそこで帰れば良いだろ?」
「そうだな」
「んじゃ、まず図書館でレポートやっつけちまおうぜ」

曖昧に笑って肯いて、俺は佐藤と共に講義室を後にした。
確認のためポケットから探って出した家の鍵のついたキーケースには、黒羽の家の合い鍵もあって、俺は無言で手の中でケースを遊ばせた。ちゃり…と金属の重なる音がした。
家の鍵、財布、携帯は持って出てきているから、今日のところは自宅へ帰って…明日の朝に、改めて部屋を借りた礼を持って黒羽のところに行けばいいか、と。逃げかもしれないと思いながら、俺はそうしてしまおうと決めた。





続く
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