□番外6□


「でね、工藤くん」

―なんだ。

黙々と、印刷し終えたプリントをホチキスで纏める手は止めずに、目線だけ向けて先を促す。

「一人寝が寂しいんだが、どうかな?今夜あたり」

コレを何も事情を知らない人間が聞いたら、絶対いらぬ誤解をしてとんでもない噂を広めてくれるに違いない。
問題発言の主は『藤峰優作』というペンネームを持つ現役推理小説家。
何が特別講師の臨時の代理だ。聞いてない。俺が待っていた活躍中のナマ作家は新名先生であって、アンタじゃないんだ!と声を大にして言いたい、と思った。いや、実際言った。特別講習も終盤手前に開講予定だった、特別講師として呼ばれた作家の名前が変っていた時に。(そして丁度隣で同じ張り紙を見ていた佐藤に、笑われた。彼は、むしろ作家が変更になったのが嬉しい様子だった。)
しかも、単位取得には聴講して感想文の提出が必須だというのだから泣くしかない。ココまで通ってきて、単位0で終らせるのは勿体なさすぎる。
かくして俺は、この夏(と言わず出来ればずっと)避けたかった父親と、講師対学生で顔を合わせる羽目になり、講義が終った後も、「学内の案内を頼むよ。2年生では一番有名で優秀らしい工藤くん?」と付き合わされる羽目になった。
挙句に、今日の話だけでは終れなかった部分をプリントにして明日にでも配布したいという。特別講習の特別聴講は一回コッキリで終る筈なのだが、単位取得に関わると聞いた作家は急遽、形に残しやすいようにと作家の手がかりを残すことにしたのだ。下地は今日話した内容なので、サクサクとプリントを作成して印刷に回し―纏める作業をしている現在。
手伝いたいと申し出る手はいくらでもあるだろうに、作家は俺のみを連れて学内を回って、教務室の一角で作業中。他の教授や講師が時折話しかけたそうに、見に来るのだが、作家は如才なく笑って少し話すとさっさとコチラに戻ってくる。どうせなら、そのまま話し込んで目を離してくれればココから逃げ出せるのに、と苛々するばかりだ。

「黙れよ。気が散る。さっさと終らせたい」
「そうだねぇ。終ったら、久しぶりにホテルで食事でもしようじゃないか!」
「ヤダ。いかねぇぞ」
「じゃ、家でゆっくり呑もうか」
「パス。大体、俺、そっち帰んねーよ」
「ん?まぁ花の大学生だから、外泊くらいおかしくはないだろう。でもソレが毎晩と言うのは感心しないな」
「放っとけ」
「大事なお前を放って置けるはずがないだろう」

―どんな冗談だ!

人に気付かれたくないから、押し黙る事しかできないが。こめかみあたりがヒクヒクと痙攣しだす。
それを知ってか知らずか、いや知った上で、ニコニコと目の前の男は笑っている。確実に面白がっている。
ああ、ココが教務室の一角でなかったら!思うだけは自由なので、心の中で罵倒を繰り返した。

「俺を大事に思うなら、是非とも放って置いてくれ」

そもそも、俺がワザワザ黒羽の家を借りたのは、間違いなくコチラが夏休みに入ったのを見越して来日してくる両親のせいだった。なにしろ、このスチャラカ夫婦ときたら、人の話を聞きやしない。
去年の夏は酷かった。
朝起きるたびに、部屋も部屋から見える外の景色も違っていたのだ。離れていた分の家族旅行よ!などと言われて連れ回され一体何カ国歩いたのか覚えていない。日本よりも数段鮮やかなコバルトブルーの海へ向かう焼けた砂浜のビーチに引っ張り出された後、オーロラを見た記憶がボンヤリとある。
両親の豊富な伝手で、移動時間は最大限短縮され、移動距離は最大限北へ南へ伸びまくった。
そして、めくるめく時差と気温変化に俺の身体は耐え切れず、旅先から―両親から解放されたとき俺の体重は軽く5キロは減り、ほうほうのていで自室に倒れこんだら、そのまま夏が終るまで満足に起き上がることも出来ずに長い休みが終ってしまったのだ。まだ1年だったとはいえ、休みの期間に出ていた課題はそれなりにあったのに、満足のいく提出物は殆ど出来ず、俺は人知れずいくつかの単位を落とした。今年になって本来関係ないはずの夜間主学生の講義を多めに取っているのはその補填なのだ。今年こそは邪魔をされるわけにはいかない。

「有希子も会いたがっているというのに…まったく、どうしてそんなに薄情なのか」
「どーでもいいけど、コレ終ったら帰るからな。8時には行かないといけねーんだ」
「おや?飲み会でもあるのかな。いいねぇ。実に学生らしい。可愛い彼女でもくるのかな?」
「ちげーよ、ついでに彼女もねぇよ」
「じゃ、彼氏か」
「アホか」

呆れながら、最期の2枚を併せてホチキスでかちんと留めた。

その後も、繰り返される飯の誘いと同じ家への帰宅の誘いを何とか断りながら、構内を出る。ヴヴっと鳴る携帯を見れば着信は先程のあの男。出ないまま、また携帯をポケットに捻じ込む。時間が7時を過ぎていたので、さっさと黒羽の家に向かう事にした。


   □  □  □


シュンシュンとヤカンから湯気が上がる。調理器具が各種取り揃えられている黒羽宅の台所には申し訳ないが、俺の夕飯は包丁いらずのカップラーメンだ。家を出る前、黒羽はしきりに俺の食生活を心配し、ホームベーカリーの使い方の説明もしようと頑張ったが、俺は聞き入れなかった。というか、分量を測るという第一作業の段階で面倒だと思ったので、後の解説は聞き流した。ソレを見抜いた黒羽は、分量を小分けにした袋を作って「コレと、牛乳と卵いれてスイッチ押したら良いから!」と言ってご丁寧に用意もしていったが、一つも材料が減っていない事は一目瞭然である。(牛乳と卵は減った。つまり残っているのは粉である)
人間、なれないことをするとロクなことがないから、これでいいと思う。むしろ俺が下手をして道具や特にベーカリーの機械を壊してしまう方が問題である。そんな事になったら、黒羽のメシが食えなくなるし。

ダイニングのテーブルにカップ麺と箸を置き、3分間の使い道を考える。まぁなんとなくカップ麺のパッケージを見ていれば時は過ぎるだろう、と思ってテーブルに着くと、ダイニングの隅の電話台が眼に入った。

「そーいや、FAXって来ないよな」

毎日、郵便受けと電話に何か来ていないかは確認していた。FAXと郵便物については定期メールを黒羽に送ることになっていたのだ。郵便は何某かのダイレクトメールや月末の引き落としを知らせる各種料金の葉書が数枚届いたくらいで、留守電は本人の携帯に転送されるよう設定していったので俺がこの家の電話に出る事はない。けれど、いつ来るかと気にしていたFAXは未だに着ていなかった。あと3日後には黒羽が戻ってくる日だ。

「ま、別に良いけど」

コレも、―FAXも、何かの符号なのだろうか。いや、と俺は電話から目を逸らす。どうにもこの家で一人過ごすようになってから俺の悪癖が時折顔を覗かせる。そのまま軽く目を閉じていた俺は、突然の来訪音にハッと我に返った。ピンポーンと鳴った後、トントンと控えめでもないノック音。中に誰かいると確信したうえで、出て来いと呼びかけるものだ。

「誰だ…?」

黒羽から誰かが訪ねてくるとは聞いていなかったし、俺とて誰も呼んでいない。
しかし時間としては9時過ぎで、いくら新聞等の勧誘でも遅いし、人に嫌がられる時間帯だろう。コレが女性の一人暮らしなら殆ど無視されるに違いない。

「…ったく、しょうがねぇな」

コンコンからドンドンへ。
曲げた指先のノックから手の握った部位を使っての強い音に変化していく。コレは出ないわけには行かないらしいと一つタメ息を吐く。

3分過ぎたカップ麺に後ろ引かれながら、玄関のドアノブに手をかけた。










続く
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