□番外5□



「おー、工藤、今日も図書館か?」

授業が終わり、同じく講義を受けていた佐藤が声をかけてきた。昼過ぎから2コマ分の特別集中講義は、単位取得可能科目でもあるから、見知った顔が多い。講義が終れば、クラブ活動やバイトに行く者が大多数で、佐藤もその中の一人だったから、講義終了後に話しかけてくるのは珍しかった。

「ああ。タダで涼める、新聞が読める。ついでに本が楽しめてレポートが進む、最高の場所だぜ」
「そんな頭ばっかり使ってないで、どうよ?今夜あたり!」

そこで佐藤は手をジョッキを傾ける仕草をする。飲み会のお誘いらしい。
暑さもいよいよ増すばかりでどこもビアガーデンは毎日盛況のようだ。なにしろ、生協の屋上がこの時期だけ開放されてビアガーデン風になる位だ。

「特講半分お疲れ様〜って、ゼミの奴らとか誘ってんだけど」
「パス」
「…なんか在るのか?」
「んにゃ、図書館行って帰るだけだが。門限8時なんでな」
「なんだそりゃ!」

呆れた顔をした同輩に、俺の現在の棲みつき先の事を話してみた。最初は面白そうに話を聞いていたのが、段々と険しい顔になっていく。

「なーんか、思ったより…つぅか?俺よりも工藤と仲良しなのがショックかも…」
「なんだよ、そりゃ」
「入学式以来の付き合いの俺の家に来たことは?!俺がお前ンちに呼ばれた事は!?」
「無いな。別に用無いだろ?」
「……だよなぁ。なのに、黒羽の家には世話になるのか?後輩で学部別でそれこそ用も無いのに、なんでそんな仲良くなってるんだよ」
「…そーいや、なんでだろうな?」

改めて言われれば不思議なものである。俺が首を傾げると、佐藤は溜め息を吐いた。

「お前が来なくて、黒羽が来た飲み会でさ、同席した野郎ドモが、黒羽に当たってたって話しただろ?」
「あー。そんな事もあったな。モテナイ男の僻みの話な」
「いやいや、アレはさ、別に黒羽が女子の機嫌を一人でとってたからじゃねぇんだぞ?『お前』が、『呼んだ』から、アイツらは面白くなかったんだ」
「??わからん」
「だーから、『工藤先輩に呼ばれて来たんですけど、先輩は?』って来て直ぐに黒羽が言ったわけよ」
「言うだろうな」
「お前が特別可愛がってる、って思ったんだろうな。そん時は工藤の適当な対応のせいで可哀想な目に遭わせたなぁと思ったんだが、あながち間違いじゃなかったわけだよな」
「んん?」

話が見えなくなった。俺は眉を顰める。それを察していながらも、佐藤はいいから聞け、と続ける。

「だから、去年の総代で壇上に立つお前さんを見て、お近づきになりたい人間なんかこの大学のどこかしこにもいるワケよ。サークル勧誘にゼミ勧誘に一体ドンくらい声かけられたか覚えてるだろ?!あんなに、ちょっかい掛けられる新入生なんか、滅多にいねーんだって!あーもー、お前ホンット、自覚薄いから心配しっ放しなんだぞ、コッチは!」
「……いや、一応、気をつけて…色々避けてるんだろうが」
「そう、だーかーら、工藤に避けられないポジションにいる奴って結構色々言われんの!」

困った。佐藤の言わんとしている事は、大学に入る以前にもあったことだから、俺は入学以来、サラッとした人間関係を心がけてきたというのに。もしかしたら、佐藤も何かあったのだろうか。だとしたら、申し訳ない、と思った。俺が目を伏せたので、そういった気持ちを察したらしい佐藤は、俺の顔の前で慌てて手を振る。

「あ、違うぞ?俺はそういうの気にしないし。工藤が全く無自覚じゃないのも知ってるさ。…でも、まだ薄い。まんべんなく付き合う気がないなら、誰にも特別に近づいて欲しくないってのが、周りの反応なんだよ」
「…ガキじゃあるめぇし」
「確かにな。でも、そう思うそんな俺でも、黒羽は工藤に近すぎて、ちょっと嫌だ」

嫌と言われても、困る。佐藤が黒羽とちょくちょく話しているのを見たことがあるから、そんな風に思われているとは知らなかった。黒羽は知っているのだろうか?
話し込んでいるうちに、傾いた日差しが講義室の窓から差し込んできた。夏の夕方5時前はまだ全然明るいが、日の光の色味は赤く紅く深さを増していっている。

「悪い。コレじゃ、工藤はアイドルだから親友も恋人も作るなって言ってるみたいだよなぁ」
「誰がアイドルだよ」
「その辺は自覚しろって。まぁ黒羽も工藤と同じ今年の総代で、1年なのに研究室に呼ばれたり何かと話題があって、お前と釣り合ってるからさー。お似合いではあるんだよ。それを直接どうこう言う奴なんか俺ぐれーだろうな。でもま、言う奴もいるってコトは知っておけよ。嫉妬だ嫉妬」
「お似合い、ねぇ?嫉妬する意味がわかんねーよ。俺としちゃ、誰とも満遍なく付き合えて、果敢にミスだのをコンパに誘おうとする佐藤君のその対人スキルに嫉妬だっての」
「してないだろ。この面倒くさがりが」
「ハハ」

乾いた笑いをワザとらしく送ってみた。佐藤は、じゃ特講終了の呑みは付き合えよ!と言い置いて去っていった。
悪い奴ではない。人との距離感をよく読む出来た人間だと思う。だから俺は佐藤が平気だ。

…では黒羽はなんだろう?平気、とも少し違うような気がした。


   □  □  □


最初に気がついたのは、奴の家のクローゼットを開けた時だった。居間の部屋角に設置されている細身のクローゼット。マメな黒羽はよく使う服や上着、タオル類を風呂場に近いこの棚に収納しているのだ。
『タオルとか、俺ので良ければ着替えとか適当に使ってくださいね』と言っていたのに甘えて、風呂上りにシャツを借りようと扉を開き、Yシャツや上着の掛かった吊るし棒の下の棚から柄の少ないシンプルなTシャツを取り上げて、ふと扉に備わっている縦長の鏡を見る。

― …?

違和感。鏡に映っているのは、半裸に首からタオルを下げて鏡を見ている俺自身。それなのに、妙に他人めいたような視線が鏡の向こうからやってくる。一体なんだと思って、鏡に手を伸ばして、理解した。

「左右が逆…?リバーサルミラーか!」

通常の鏡は、鏡に向かって右手を差し出せば、鏡の向こうの己は左手を差し出してくるものだ。しかし、この鏡は、右手を動かせば鏡の己も右手が動く。左右が逆転して写っているのだ。仕組み自体は割りと単純にできていて、市販されているモノもある。他人から見える自分自身を見るための鏡だ。
謎は解けたが、疑問は残った。一体なぜ奴はこんな鏡を設置しているのか?
仕草が綺麗だな、と黒羽を見て思ったことはある。人並みをスルリと抜けて歩く身のこなしや、カップにコーヒーや紅茶を注ぐ指の動きをつい目で追うことも。

「ナルシスト?」

一つの可能性を呟いてみるが、答えを返す者はない。割と人目を気にする人間なのかもしれない、と勝手に結論付けてしまう事にした。大体クローゼットの鏡とは別に、居間にはごく普通のスタンドミラーもある。
普通の姿見とはまた違うモノが欲しかったのかもしれない、と珍しモノ好きな黒羽なら有り得るな、と思った。


   □  □  □


「…っと、レポート用紙が無ぇ」

キリの良い所まであと少し。そこで気付いた事態に俺は小さく舌打ちした。壁掛け時計を見れば、時間は夜中の11時を回っていた。コンビニは徒歩15分。駅前近くまで出ないといけない…が、面倒くさい。
別に明日まで提出しなければいけないような物ではないが、ノッて書いている内に終らせたいのが心情だ。
ん〜と迷った後、俺は携帯を開いた。

「まだ起きてるよな?確か週代わりで遅番になるって言ってたし」

― ♪ ♪ ♪
俺のよく知らない着メロが数秒流れて、ピっと切り替わる音がした。
― 先輩?どうしたんです、珍しいですね、電話くれるなんて
「黒羽、今って大丈夫か?」
― はい。さっき丁度上がった所ですよー。何かありました?
「あのさ、レポート用紙欲しいんだけど」
― …いくら先輩のご命令でも、今から届けるのは無理ッス!
「バーロ、届けなくてもさ、お前余分に持ってないか?」
― あー、ああ、ありますよ。机の引き出しの一番下。ノートとかストックしてるトコなんで、多分レポート用紙とかルーズリーフも。
「貰っていいか?つか…ああ、悪い。引き出し開けてもいいか?」

勝手に私物を漁らないと、部屋を借りる際に自分で言っていた台詞を思い出して、俺は謝りつつ了解を取ろうとした。黒羽は電話の向こうで少し笑ったようだった。

―先輩なら、どこ開けて何見ても構いませんよ?なんでも貸すって言ったでしょう。なんなら、AVの置き場所も教えておきましょうか?
「いらねぇ!んじゃ、勝手に貰うからな!?」
―秘蔵のコレクションなのに…。勝手に探してコッソリ見ててもOKですからね!並び順が変わってても文句言いませんから!
「バーローが!じゃーな!」

馬鹿を言う後輩の言葉をプツンと切った。秘蔵か…と多少心が揺らいだが、さすがにそんなモノを求めて家捜しはしたくない。
俺は黒羽が私室にしている部屋に入った。

「なーんか、殺風景だよな…」

白を貴重にした居間と違って、黒羽の部屋は全体的に黒い。黒い机に、黒味の強い木製の戸棚。黒字に白の羽模様の布団が敷かれたメタリックブルーのパイプ式簡易ベッドと、濃いグレーのカーテンのせいだろう。
ノートパソコンは持っていったが、もう一台デスクトップ型のPCとプリンタがある。とはいってもソレも黒めの布で覆われて埃避けがされていて、本棚にも紗の掛かった目隠しが下げられているので、妙に無機質だ。出掛ける前に整理していったらしい机の上も綺麗で、一層人の気配を感じさせない様相を呈している。
飄々とした彼の人物像に少しそぐわない。もっと乱雑な部屋であってもいい気がするのに。
そんな事を思いながら、俺はキィと机の前の椅子に腰をかけた。それから座ったまま腰を曲げて、ガタンと一番下の引き出しを開ける。適当に探れば、未使用のレポート用紙が3冊。1冊だけ取り出して、引き出しをそっと押し閉じた。身体を上げて、上体を起こそうとして―俺は机の端に載っていた鏡を見た。正確には鏡の中の景色を。

―? これは、

リバーサルミラーではない。そうではなくて、鏡を覗き込んだ角度が気になった。
故意だろうか?偶々だろうか?
俺は私室のドアを開ける。それからまた椅子に座った。

「……見える、な」

机の正面に座る。視線を鏡に送れば、開けたドア先にあるスタンドミラー越しに居間が写る。俺がさっきまで作業していた机の辺りもちゃんと写っていた。鏡の角度か変えれば更に。

「んー…?」

整頓された部屋に、一つ残されていた装飾品のような、コレ。いや、気のせいかもしれない。机の傍にはスタンドライトや、文庫程度の本だってブックスタンドに立てかけられているし、ペンや定規の納まった小さな缶容器も机の上には載っている。鏡がここに有ることは普通だ。
なのに、妙に引っ掛かった。ザワリと首の後ろで不快な感触がしそうになるのを、唇を噛んでやり過ごす。
ふぅー・・とゆっくり息を吐いた。

「なにを…考えてるんだろう、な」

黒羽の部屋なのに、当の本人の気配は薄い。それなのに、黒羽の何かを主張してやまない部屋のあちこち。
息を吐き、首を少し横に振って、探りたくなる欲求を、俺は押さえつける。

―なんでも、貸します
―どこを開けても
―何を見ても
―先輩なら構いません

「本気か?黒羽」

応えのない問いを、俺は目を瞑って音にした。
閉じた目蓋の裏に浮かぶのは笑顔だ。明け透けのようで、距離を測っている、計算が得意そうな。
居心地が悪い、という気がしないのが、我ながら不可解だと思った。







続く
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