□番外3□



「工藤くん!次はカラオケだってー」

キャッキャと楽しげな笑い声がすぐ近くで聞こえる。
だってー、と言われても、俺はココで退場予定だ。なのに、腕を絡め取られ、引っ張られる。力強いけれど、弾力と張りのある細い腕は女性のもので、無碍に振りほどくのは躊躇われた。
『花咲』の店の前。幹事に挨拶してから去ろうと、店先にたむろするコンパ参加者の中にいたのは拙かったな、と些かボンヤリした頭で思った。最近は自宅でも呑んでいなかったから、久しぶりのアルコールが意外に身体に回っているようだった。妙にふわふわした感覚。頬が火照っているな、と思う。同じく頬に薄い紅を乗せた女性がニコニコと顔を覗き込んできて、目を輝かせているのが解る。ふらついているように見えるが、その目が確りとしている気がしてならない。

「工藤くんと呑むなんて新歓以来だもん、もう少しいいよねぇ?」
「…えーと、僕、今日はこれで」
「ええー?!駄目だよぅ」

凭れて来る、柔らかな身体。そういえば、新入生の頃の歓迎会にこの綺麗な人がいたな、と思い出す。彼氏が同席していて、色めき立った新入生が途端に悲嘆の息を吐いていた記憶がある。そうだ、今フリーの元ミスだ。嬉しくない事は無いが困った。というか、何で俺なんだよ…と思いながら、何か助けはないかと周りを見る。元ミスの凶行に目を吊り上げている野郎がいれば喜んで譲るつもりだったのだが、どうやら、俺が黙々と飯をツツキながら周囲の話しに適当に肯いたり流したりしている間に、それなりにカップリングが出来上がっていたらしく、次の流れについて話し合う者や、さっそく駐車場にあるご自慢の車に女性をエスコートしようとするヤツばかり。
これは、どうしたものか。
穏便にさりげなく、男として女性に恥をかかせないように立ち去るには、と思案していたら、ウィー…ンと店の扉が開いて、幹事が姿を現した。丁度良い。

「あ、佐藤。会計終ったか?」
「おう、お待たせ!」
「…よし、代われ。俺は帰るぞ」
「ええ!?駄目って言ったでしょう?駄目ー!」
「…工藤は、もう少し言い方とか考えて!」

最大限紳士的に現状の打開を図ったのに、何故か佐藤は呻いて、腕に引っ付いてる人は、更にぎゅうーと力を込めてきた。胸が当たってるんだが、いいのかなぁ。

「すいません、僕、財布忘れてきたんですよ。この店の分はコイツに前払いしてたんで」
「それくらい、お姉さんが奢っちゃうよ!」
「いえ、それはさすがに、駄目です」
「先輩だもん。大丈夫〜。工藤くんの歌、聴いてみたいし」
「先輩、それは後悔するから止めた方がいいですよ?工藤の歌の破壊力は半端ねぇっス」
「ぇええ、逆に興味沸くよねぇ、それ!」

なんとか、佐藤が先輩の誘いを断る方向で動いている。話している内容についてはあえて無視して、そうっと彼女の腕を解いて、「ミスが来る!」と一番騒いで頑張っていた彼の方へと向けてみた。思惑はアッサリと彼女にバレたようで、不満げに腕を持ち直される。

「あの、僕はこれで、ホントに」
「何か予定あるの?!フツーないでしょお」
「えー・・と」

「コイツ、これからバイトなんですよ」

第三者いや、四者の声が背後から聞こえた。低い声と、デカイ体躯が俺の背後から場に首を伸ばして、声の主が俺の肩を掴んだ。振り解こうと一瞬思ったが、覚えのある気配に力が抜ける。久しぶりだなぁ、と思いながら、話を合わせる事にした。首を少し上げて、相手を見遣る。

「すいません、時間、遅れましたか」
「いや、今から移動すれば、駅前までは時間ピッタリだな」

突然出現した大男―いや、実際はそう大きなナリをしている訳でもないのだが、あらゆる武道や武闘に通じて鍛え上げた肉体は服の上からも如実に窺えて、押し隠されているはずの猛々しさが、抑えきれずに纏う空気に漂っているから、一般人には実際よりも大きく感じられる男は、ニヤっと笑うとスグ傍にいた女性に視線を向けた。
呆気に取られて同じく男を見上げている彼女の腕からは力が抜けていたので、これ幸いと俺は一歩分の距離を置いた。肩にあった男の手もアッサリと外れる。外した代わりに親指をクイっと俺の方に向けて、ヤツは言う。

「持ち帰りますか?コイツ」
「ぇ…、ううん、えっと?」
「俺の、今から行くバイト先の人です」
「バイト先の人です、どうも」

軽く笑いを口元に浮かべて、多分ヤツにとっては至って親愛の情を込めて挨拶をしたが、いかんせん傍目で見て解るほどに彼女は引いていた。警戒と途惑いが態度にハッキリと出ている。…佐藤もだった。ギョッとして俺達を見る。

「ホントに、用事、あるんだ?工藤くん」
「ハイ。なので、すいませんが」
「ううん、わかったわ。また今度ね!」

先ほどまでの粘着が嘘のように、彼女は軽やかに片手を振って俺達の傍を離れると、スルリと他の一団の中に入っていった。変わり身の早さに、これが元ミスか!という不思議に納得するような感想が浮かぶ。だがしかし、可哀想に佐藤は置き去りにされてしまった。早く追いかけろよ、と思っていると何故か俺の方に顔を寄せて話しかけてくる。

「…ホントにバイトなのか?工藤」
「あー、うん。佐藤、悪いけど俺はここまでな」
「いや、それは割りと最初からわかってたけど…その、大丈夫か?」
「?なにがだよ」
「いや、その。結構、工藤酔ってるみたいだし、タクシー呼ぶかと思ってたんだが」
「勿体ねぇ。電車で帰れる」
「馬鹿か。お前、ちょっと鏡見ろ。いい感じに出来上がってんの放っといて何かあったら、友人の名折れだ。タク代くらい最初から覚悟してたっつの!」

ボソボソと囁きながら、チラリと俺の隣に立つ男を見る。何か心配しているようなので、俺は笑った。

「高校からの付き合いだ、コイツとは。近所に住んでるんだ」
「…そっか」

だから心配いらねーよ、と手を振る。幹事の動向を見守っているらしい、先ほどの元ミス含む一団が見えたので、さっさと行けと促した。しきりに心配そうにしながらも、それならばと佐藤は一団に向かっていく。合流して、まだコッチを見ていたので、サヨナラの意を込めて軽く会釈すれば、ようやくゾロゾロと移動を開始した。
見送りながら、俺は隣の男に感謝を述べる。

「助かった、京極」
「邪魔したかと思ったが、良かったみたいだな」
「ああ」
「あの、離れてた奴らな、『ミスが狙ってるんじゃ、コナかけらんないよ』とか言ってたし、傍から見る分にはお似合いだったから、5分くらい見守ってしまったぞ」
「早く出て来やがれよ!」
「工藤は、もう少し人のあしらいを学べ?美人の腕を振りほどけない初々しい青年にしか見えなかったぞ。いい感じに酔ってるようだし、もう少し自覚しろ」
「うっせー!!」

割と緊張していたらしく、気が抜けた俺は、いくら殴っても堪えないヤツの腹に拳を入れる。と、そのまま腕を取られた。

「んん?」
「どうせだから付き合え。バイトさせてやる」
「連行か?」
「バイト代はもう払っただろ?身体で返せよ」
「しょうがねぇな」

ふわふわしそうだったので、手を引かれるのは正直助かった。見越していたのだろうか。相変わらず野生の勘の鋭いヤツだ。ぐいっと引っ張られるままに足を踏み出そうとした。

「ぅえ?!」

しかし、持ち上げた片足は地面につく前に身体を後ろに引かれたことで着地せず、不安定な片足立ちになった俺はそのまま後ろに倒れこみそうになった。一体なんだ?!

「先輩、どこに行くんですか」

辛うじて倒れなかったのは、ひとえに後ろから引っ張った手が、そのまま引き手の持ち主に俺の身体を導いたからだった。トン、と背後の人間の肩口あたりに頭が乗る。京極も突然の事に瞠目して俺を振り返った。俺の手がスルッと京極の手から抜ける。

「身体で返すって、何借りた?」

まさか金じゃねーよな?!と苛立った声。ゼッタイこないと言っていた人間の出現に俺は、おやぁ?と思いながら、とりあえず、確認する。

「黒羽か」
「くろばか?」
「いや、黒羽か、っていや、黒羽でぇ」
「…思ったより酔ってたのか、お前」
「いや?こいつは、黒羽だって」

京極は一つため息を吐くと、酔っ払ってない方に話しかけた。

「クロバカくん?」
「黒羽快斗。半端なところで名前切られると、馬鹿みたいになっちゃうから止めてくださいね」
「後輩!俺のー」
「ハイハイ先輩の後輩黒羽くんですよ」
「ほう」

京極は、俺と黒羽を交互に見た後にやっと笑い、丁度いいから二人とも来い、と言って歩き出した。


   □  □  □

ゆらゆら揺れる、夢心地。うとうとうとうと瞼が重い。呑んでから労働して、また呑んだので、いい加減身体は休息を求めてグッタリしている。なので、遠慮なく近くにあるシッカリした手すり人間に凭れて、どうにか足を動かしていると、遠いような近いような場所で、耳に馴染んだ声がした。

「心配して損した…」
「んぁ?」
「レンタル屋に行く途中だったんですよ。駅前の。で、佐藤さん達と擦れ違って、そしたら、工藤先輩がガタイの良い大男に連れてかれるかも、とか言われて」
「んー?佐藤には友人だって言ったけどなぁ」
「ハハハ…そうは見えてなかったからでしょうねぇ」

じゃあ一体どう見えていたんだろう。確かに京極は見た目が如何にもぶっきら棒な男で、喧嘩っぱやいだのガン飛ばしてただのと荒っぽい系の各種誤解を受けやすいが、普段は温厚で、寡黙な印象とは違ってさして朴訥とした男でもなく、場合によっては饒舌になり接客もこなすから人当たりはとても良いのだ。小動物だって好きだし。

「黒羽、こっち」

背中をつついて、黒羽の肩に回している腕を伸ばして指で行く方向を示す。

「工藤先輩って酔うとこんななの?今までどうしてたんです」

素直に指示に従いながら、黒羽は「もっとアッサリ飲みの席なんか抜けてく人だと思ってたのに」とブツブツ呟く。

「さぁ?黒羽は酒強いんだなぁ。京極の秘蔵酒、キツくなかったのか」
「美味しかったですよ。しかし、スゲー人ですよね。秘された酒を求めて、ついでに武者修行で自力で世界旅行?」
「旅行なんて呑気なモンかよ。エライんだ、京極。店ってか親大事なの」
「だから、親の酒屋の手伝いで自販機補充もしてる、と」
「そう。ディスカウントショップとか郊外型大型ショッピングセンターが増えてさ、酒造小売店の経営苦しくなったけど、店潰したくないって親の気持ち汲んでさぁ。頭よかったのに、大学行かないで、さ」

だからって趣味の武者修行を兼ねての世界放浪は無いだろうと思ったが、京極なりの我侭なんだろうな、と思う。気が済んだら帰ってきて店を手伝うと言って出て行って1年くらいか。まだ気はすんでいなさそうだが、店が心配で、目新しい酒と仕入れルートの整備をしに一旦帰ってきたのだ。

「…ふぅん。でも、酒とタバコの自販機販売権持ってるのは強いよね」
「そ。つっても、タバコの増税率考えると、そっちは駄目そうだけどなぁ」

ガコンガコンと自動販売機の中に各種缶を流し込む作業を手伝った後、京極は車で送ると言ってくれたが、時はまだ9時前。夜更け間際の酒屋は、遅い仕事帰りの酒好きや、更に呑もうと買出しに訪れる客がよく来る時間と聞いた事があったので、尊大に後輩に送らせると告げて京極とは別れたのだった。
作業中、野良猫と缶ジュースの好みについて話し合っていた俺は、端々しか見ていなかったが、京極と黒羽はそれなりに打ち解けた様子だった。ひと仕事を終えた後、俺には第三のビール(じゃ、ねぇ!アレにビールと名称を付属させる事には異論を唱える!)しかくれなかったのに、黒羽にはワザワザ車に積んでいた旅先で見つけたという良酒を分け与えていたくらいだ。ズルイ。

「あ、あのマンションの手前」
「はい、先輩…マンションじゃなくて、…あそこ?!」

よたよたほてほてと歩いてたどり着いた『工藤』の表札の掛かった家―というか屋敷に、黒羽が呆然とした声を上げた。

「ヒルズって、聞いたから、あのマンションかと思ったンですけどー」
「マンション暮らしなんか言ったことねぇ」
「ですけど!…お屋敷じゃん」
「まぁ、デカイよな」
「デカすぎ…って、ここで一人暮らし?!」
「まぁな」

ゴソゴソとポケットを探って家の3つほど連なった鍵を出す。見つかって良かった。門扉にある鍵穴に、まず大鍵を差し込まないとセキュリティが作動してしまうのだ。

「良かったら、あがってくか?終電まで2時間くらいあるだろ」
「え…いいんですか?」
「送らせちまったし。コーヒーくらいしか出ねぇけど」
「喜んでお邪魔します!」

カチャンと開錠された門扉を押し開いて、黒羽を中に促す。施錠して、玄関前に。一番ちいさな鍵で玄関扉の傍にあるパネルの蓋を開けて、電子番号を入力すると、中でカチっとロックの外れる音。それから、最後に普通の家の鍵を、玄関の鍵穴に差し込んでクッと回した。

「厳重ッスね…」
「俺じゃなくて、親の意向でな。目立った金目のモンなんか無いんだけど、蔵書が半端ねぇんだ」
「おお!先輩の話の種?すっげ興味あります」
「見せてもイイケド、読みきれないと思うがな」

夜風に当たって歩いてきたせいか、大分頭がハッキリしてきた。俺こそ、コイツの頭にどれだけの知識が入っているのか興味があったから、是非とも書斎兼書庫に入れてやろうと思って、玄関の扉を開いた。



俺が扉を開いて、慣れ親しんだテリトリーへと黒羽を招いたこの時に、黒羽は、俺を、俺だけを選んだのだと、後で言った。黒羽は俺が思っていたよりも、ずっと俺について探りを入れていたのだ。大学構内で誰も俺の自宅を知らなかったこと、旧い交友も気取らせずにいたこと、大学の友人は、もしかしたら知り合いでしかないこと、上辺だけの工藤新一でいたことを鋭く見抜いていた黒羽は、ずっと迷っていた、と言った。自分が入り込んでもいいのか、その資格があるのか、拒絶されるのではないのか、勝手な期待を希望を、いや欲望を押し付けてしまうだけになるのでないのか、と。

『でも、好きだって。何度、会っても。会うたびに、ずっと思っていたから』



黒羽と飯を食う機会は増え、俺がヤツのアパートを手近なセカンドハウスとして最大限(主に寝るため)利用するのはごく当然の成り行きで、黒羽がウチの蔵書を求めて尋ねてくる事も増えて、気がつけば、一緒に行動するのが当たり前になって行って、…そのまま夏休みが目の前になった。



続く
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