□番外1□ 「コレ、君の?」 ガヤガヤと騒がしい昼休み間近の学食。どうやらニ限目を早々に終わらせた講義が複数あったようだ。コレは込み合う前に退散しようと席を立った、その時。 「違った?これ…」 ヒラリと空いた食器が乗ったトレーの上に示された一枚のルーズリーフに、一瞬激しく動揺した。両手が塞がっているのに、両手で取り返そうとした。 ―ッ!しまっ 「っと!」 派手に音を立ててトレーが床に落ちるだろうと覚悟したが、そうはならず、先程紙をはさんでいた指先がサッと動いて、器用にバランスよく片手でトレーを受け止めてくれたのだ。 「あ、りがとう」 「いーえ?」 ヒョイと指先にトレーを乗せた片手を上げ、どこぞのウェイターよろしくもう片方の手を腰にあててポーズを取る相手を、俺は改めてよく見た。見覚えのある顔。 「…黒羽快斗」 確かそんな名前だったはず。 「ぇ…知ってる、の?俺の事」 「今年の総代だろ」 「あー、ハイ。そうですね。そうでした。その黒羽です」 「?…ま、ありがとうな」 どうしてかガクリと落胆した風の相手―黒羽に、俺はもう一度礼を述べると手早く紙切れをしまい、トレーに手を伸ばした。 しかし、てっきり渡されると思ったトレーはひょいと俺の手の届かない空間へと―黒羽の身体から少し後ろへと移動させられてしまう。 「オイ?」 「あの、コレ片付けておきますから」 「は?」 俺は意図がわからず、眉を寄せて相手を見た。そんな申し出をされる覚えも無ければ、受ける気もない。いいから寄越せと更に手を突き出すと、黒羽は困ったように微笑んだ。 「見てしまったので」 「……」 「お詫びというか、拝観料というか」 「てめぇ…!」 自分で自分の顔が、羞恥に染まるのが判った。忘れた自分が悪いのだけれど、理不尽な怒りが相手に沸く。だが、ハタと気がつく。…いや待てよ?俺が席を立って、コイツが忘れ物を渡してくるまでものの数秒だったはず。ルーズリーフの3分の2以上にダラダラ書き込んだ文字列を、その間に読んでしまうというのは無理がないか? と。 「俺ね、『隠された真実の〜』辺りのくだりが凄い好き。最初に散々弾劾しといてさ、少しでも後ろ暗い部分持ってたら、読んでるほうがムカつくのに、あの辺りから、優しいのが判んの」 「…読めてんじゃねぇか。つーか、何で読んでやがんだ」 「目に入っちゃったから。でも、見てないフリしちゃうの、勿体ねぇって思ったし」 「……」 黒羽は俺の隣に立つと、「今から図書館?」と聞いてくる。肯くと、「じゃ、行きましょう」と俺を促して歩き出した。食器の返却口でトレーを返し、食堂の出入り口に設置されている自動販売機の前で立ち止まると、コインを投入した後、俺を振り返って「どうぞ」と言う。好きに選べってことらしい。遠慮なく無糖のコーヒーのボタンを押した。 「ホントに貰うぞ?」 「こっちのが拝観料ぽいかなーと」 「安ッ」 「んじゃ、今度メシでもどうですか?工藤先輩」 「…何で知ってやがる」 「入学式ン時、いましたよね。歓迎のお言葉素敵でしたよー。2年とは思えない貫禄でした」 「あー…そういや、そうだったな」 「俺、あの在籍生祝辞聞いて、ココ入学して良かったー!って本気で思いましたもん」 「俺は教授に怒られたけどな」 「で、しょうね!やっぱりね!」 クククと肩を震わせて思い出し笑いまでされる。俺が、日々の大学生活の勿体無い時間について語って、時間と学費との相関関係とか、現代社会の経済状況と当大学の就職率についてとか、まぁ色々思うところを適当に述べたアレが、新入生の心に響いていたなら願ったり叶ったりだ。壇上を降りた途端、当日の!その場になって!面倒臭い役割を押し付けておきながら、『いくら何でも言いすぎだ!』と教授に睨まれた甲斐がある。代打としては精一杯の歓迎の言葉だったはずなのに。(どう考えても、たかが2年の若輩者がする役目じゃなかった。「去年の総代なんだから、今年もちょっと喋ってくれ」という頼み方にも絶望した) 初対面の人間は苦手なはずの俺は、黒羽とごく自然に会話をして、そのまま一緒に図書館へと向かい、そこでお互いの読書傾向が似ている事を知る。それならばと、更に談義し合ってみれば、談義が論議に、しまいには静寂が求められる一般書架の机から移動して、空いている小談話室に場を移しての論戦に変わるのには時間は掛からず、気がつけば閉館時間ギリギリまでを共に過ごしていた。 □ □ □ 二年生とはいえ、毎週のレポートないしレジュメ作成と自分の選択課題以外に対する質疑事項の作成など、専門ゼミは結構な難物だ。そして今日は自分が発表の番である。ゼミは午後の三、四コマの一つなぎの時間で行われるので、俺は二限目終了間際から、ゼミに向けてレジュメの最終確認をしていた。人によっては、午前の講義を諦めてレポート作成をしたりして、ゼミの時間に直接登校してくる人間もいる。だが、2年のうちはまだ取得必須の一般教養科目が多いし、そういった講義は出席が重視なので真似する気にはなれない。 ―まぁ、これで良いか… ふぅと一息吐いて、俺は顔をレポート用紙から上げ首をグルリと動かした。コキリと関節で音が鳴る。既に人気が無くなった講義室ではそんな音すらよく響く。 「おわッ、すっげ凝ってません?」 「!…黒羽かよ、驚かすな」 突然掛けられた声に、思いっきり気を抜いていた俺は肩が上がるほど驚いて、声を掛けてきた相手に抗議の眼を向ける。講義が終わり、開けっ放しになっていた扉から、最近良くツルんでいる後輩の顔が覗いていた。 「通りがかったら、先輩の姿が見えたんで、つい」 「ふぅん?メシは?」 時計を見れば、残りは30分もない。俺は、これから教務室でコピー機を借りて人数分を刷らなければいけないので、昼飯は適当に買って、早めにゼミ室の辺りで食うしかねぇや、と思った。 「これから。良かったら、ご一緒しませんか」 「無理。つか昼休み半分過ぎてるじゃねーか。さっさと食べに行けよ」 「工藤先輩こそ。細いんだから、メシ抜いたら身体持ちませんよ?」 「食わねーことはねぇって。これからやる事があんだよ」 ファイルにレジュメを挟んで、隣の机の椅子に乗せていた荷物を持って立ち上がる。 「生協までなら、一緒できるぜ?」 「買い弁?オニギリ一個とか言わないですよね」 「なんだって良いだろ。腹が膨れればさ」 「だったら、俺のメシ食べませんか」 「?」 スタスタと生協に向けて動かしていた足を止めて、マジマジと黒羽を見る。俺の?なんだソレは。 「工藤先輩、朝は昼飯兼用で学食ばっかりみてーだし。夜は夜で、夜間講義取ってるついでに夕方の割引弁当か、帰り道にあるコンビニ弁当って聞いたから」 「そうだけど。別に珍しくねぇだろ?」 「そうですけど。実家住まいなのに一人暮らしって先輩の友人が言ってたから、そんな不健康で大丈夫なのかなって」 「大丈夫だぞ?一人暮らしなんか中学ン時からだし」 人間慣れだ。と、不摂生生活の先輩として、良く判らない言い分を主張してみる。黒羽は首を横に振って肩を落としてため息を吐いた。アカラサマな態度でこの駄目人間が、と言っているのが良く判ってムカついたので、ていっと後ろから膝裏辺りを目掛けて蹴りを入れてやる。「ぅわっ」と小さく叫んで前のめりになるが倒れはしなかった。バランス感覚の良い男である。 しかし、メシねぇ? 興味は引かれるが、今日はあまり時間がない。さて、どうしたんもんかと思って、とりあえず聞いてみた。 「メシの内容によるぞ。午後のゼミの準備があるからな」 「今日は、焼いたパンがあったんで、サンドイッチなんですけど」 「焼いた?なに、お前ンちってパン屋だったのか」 「ホームベーカリーです!」 「…一人暮らしだったよな?」 「ハイ。大学まで走って10分の学生アパート住まいッスよー?」 「…へぇ」 つくづく面白い人間だ。いたく心引かれた俺は、それならばと、黒羽を連れて教務室に向かった。ついでにそこでレジュメを纏めるためのホッチキスを二つ借りる。飯持参のお手伝い要員を確保したわけだ。 「うめー、うめーよ、黒羽、最高」 「超嬉しいですけど、すっごく適当に言ってるの丸分かりで泣けてくるんだけど!」 「嘘は言ってねぇって!コレといい、コピーの取り方といい、ホチキスの止め具合といい、ホント最高だわ」 「先輩ってヒドイよね!知ってたけどね!」 ゼミ室前で、他のゼミ生の注目を浴びながら、サンドイッチをとにかく頬張る。黒羽は次のコマは休講らしく、甲斐甲斐しく俺にお茶を買ってきたり、荷物を纏めたりと世話を焼く。傍から見れば、後輩をこき使う尊大な先輩様だろう。しかし、気にしていられない。 「ん、ごっそさん!」 「ハイハイ、じゃ、午後の講義、頑張って下さいね…」 「おう」 講義開始のブザーと共に、準備万端でゼミ室へと滑り込んだ。ギリギリの時間と戦いながら口に入れたサンドイッチは、味わう時間が足りないのが悔しくなる位には美味だった。 |