*カオス寄り。 *駄目な人は退避を! ■■混沌事情■■ 工藤新一は怒っていた。 不当な八つ当たりかもしれない、いや違う。そんなワケはない。大体アイツが、アイツらが余計な真似をせずにいたらあんな事態にはならなかったのだ。コレは正当な怒りであり、この後自分の激情を思い知らされるべき相手に同情など必要ない―はずだ。 取っ手のついた少し開いている扉を、思い切り蹴り付けた。 ■ ■ ■ なんやかんやあって、江戸川コナンという仮初めの姿から高校生探偵としての我が身を取り戻し、さぁ長い事待たせてしまった幼馴染と新たな関係を築こうと踏み出す事を決めたのが、今からおよそ三ヶ月前。 その三ヶ月の間から現在に至るまで、一体どうなったかと言えば、何ら進展はしていないのが現状だった。 おかしい。 素直になると決めたし、実際二人きりの機会があれば照れを押し殺して歩み寄り顔を寄せようと試みることさえある。だが、そうすると、彼女の顔が一気に曇るのだ。眉を寄せ目を眇め、不信そうに「何言ってるのよ」「何する気よ」と醸し出した甘い空気を霧散させる。 新一が戻ってきたら言ってやりたいことが一杯あるんだから!と言っていたのに、どうやら言いたい事とはより親密な方向へ関係をシフトさせるものではなく、むしろそうなりかけていた電話越しやコナン越しの関係を、元の幼馴染かそれ以下のものへと移行させたいような雰囲気なのだ。 コレはどう考えてもおかしいし、納得出来ない。せっかく戻れたのに!一体何のためにあんなこんな苦労を重ねて死線を乗り越えてきたのか。 ムードが足りないのかとデートの誘いをするも、それすら親友とのお出掛けが優先される状況、そのじれったさに、ついに工藤新一は、彼らしくもなく頬を染めつつ幼馴染向かって問いかけた。 「なぁ、俺のこと、どう思ってる?」 ここで、俺はお前が好きなんだけど、と付け加えないところが駄目なトコロだが、端から見れば彼が向かい合っている彼女に好意を持ち、相手の好意を期待していることは明らかであり、いくら鈍いコイツだって流石にわかるだろうという目算があったりした。 大体、あまりにも二人きりになれなくて、いつもの下校途中の少し人の切れた通学路というムードに欠いた場所なのだから、勘弁して欲しいというのが少年の照れ心である。 「…あのね、新一」 「ん?」 その少年の様子に何かを察した蘭は、観念したように一度目を閉じて息を吸って―吐いて。それから、ゆっくりと口を開いた。 ■ ■ ■ 「なんですか、名探てッ」 「うるせぇ、死ね!!」 藪から棒ならぬ、扉から弾丸―実弾ではなく、肉弾に襲われた怪盗1412号・通称怪盗KIDは、風のように現れて突然首元のネクタイを上へと引き上げ様に締め上げてきた、最も出会いたくない恋人に向かって、落ち着け落ち着け!のジェスチャーを繰り返した。 「遺言か?」 「言うか?!ってか離せ、いや話してみろ、話せば解る!多分!」 「バーロォ!コソ泥と話すことなんか無ェ!!」 「だ、ハッ…から、死ねって、の…は な、い!」 「ある!」 「ねぇよ!?た…んてーが、ヒィ、とごろ…」 高校生兼奇術師兼怪盗としての最期が探偵による絞殺というのは非常に笑える、いや駄目だ笑ってる場合じゃねぇ!と怪盗は薄れ行く意識の中で、不味いこれは本気で不味いと焦る。締め上げ方が本気だ。探偵が犯罪をしようというのだから、完全犯罪狙いだろうか、それにしては手段が衝動的過ぎやしないか、と余計な事まで考え出す。走馬灯と一体どちらがマシなのだろう。いやいや今はそれどころではない。 ―こ、この状況を一発逆転できる、何か…! しかし怪盗の手は締め上げる探偵の手を緩めようと使用中だし、下手に手を退けたら一発で落ちるのは必至。一瞬で思考をめぐらし、はくはく、と息を溜めて、唯一効果が期待できそうな手持ちの技に賭けた。 「やめてぇ、しんいち…ッ」 発動:探偵の幼馴染の声色で哀願。 「?!」 流石に一瞬、手が緩む。隙を逃さず、怪盗は探偵から飛びのいた。 「てめぇ、この期に及んで、蘭の猿真似か」 「さ、る真似に、引っ掛かって頂けて、何よ、り…です」 「ほざけ、やっぱ逝けよ、テメェはよ」 恐ろしい言葉と気配だった。もはや実物の刃物並の眼差しは、よく見られてて血を噴かないのが不思議なほどだ。いつもの気安い口調で話す気にはなれず、観衆向けの怪盗口調を保って、どう逃げるか計算をしつつ会話で気を逸らそうと試みる。 「何だっていうんです?大体今日はショウの観覧席にはいらっしゃらなかったでしょう」 「何で、オメーの猿芝居を見に来なきゃいけねーんだ」 「何を怒っているんです?」 「オメーがそれを聞くのか」 「理不尽な殺人被害者になるのは嫌ですねぇ」 当然怪盗としては、理にかなっていれば、死んでもいいとは言わないが、全く言う気は無かったが。一体何をそんなに怒り狂っているのかには興味が沸いた。 (つーか、コイツ…) 「ええと?まずは、高校生探偵『工藤新一』のご帰還、おめでとうございます」 怪盗は、祝辞と共に優雅に一礼して見せた。 最近、あの小学生の姿を見ないと思っていたが、そうか、既に彼は元の姿になっていたのだな、もう気軽に変装するのはヤベーんだろうな、と考える怪盗である。 「ああん?…ああ、そうだ。俺が工藤新一だ」 「…そっスね」 「俺が本物のな…」 「……」 「やっと戻ったのにな…」 「……おい?」 「戻ったってのによぉ…」 言葉を継ぐ度に、目の前の男子高校生は元気をなくしていく。殺気も消えていってくれているので、対峙する者としては胸を撫で下ろす歓迎すべき運びだったが、殺気も元気もしまいには生気すら薄れていく有様に、今度は怪盗のほうが言葉をなくす。 そして、完全に沈黙した相手を眺める事数分。 キラリと光るものに気付いた。 「えぇえええ?!何で泣いてンだ!?」 ほろほろ…とでも言うのか。先程までの絶対零度の冷えた怒りはどこへやら、突然探偵の瞳から堰を切ったように溢れ出した雫に怪盗は動揺した。それはもう激しく、顔を引きつらせて。あのクソ生意気な小僧だった頃にはこれっぽっちも見たことが無い姿だった。どんな苦境にあっても泣く暇があったら、困難を逆転させるべく狡猾に罠を仕掛ける男だったはずなのだ。彼らしくない。しかし、声も無く表情も失くしてただ涙を落としている無防備にも見えるその姿は、江戸川コナンだった彼には全くそぐわないのに、小さな子供を連想させて、ハートフルな怪盗の心臓をざわめかせた。 「えっと、そのな、…俺がお前のフリしたせいで、何かあった…ってことか?」 「……」 「あああ、泣くなって!アレか?『工藤新一が怪盗KID』説がまだどこかで生きてるとか?!」 「……」 言葉も無く、ほろほろはらはら。 とにかく涙の一つも拭ってやらねばと足を向けると、背後でバラバラバラと風を孕んだ轟音が迫ってきて、振り返れば、『警視庁』の文字が目立つヘリが二人のいるビルの屋上にライトを当ててきた。 ―チッ …まぁブツの確認は終ってるし、なんだったら名探偵に預けて…そうすりゃ、工藤のKID説なんかスグ消えるし― 「さぁ、名探偵?どうやら私はここで退場せねばならないようですが、アナタはどう―」 再び、探偵を見れば、「おいおいぃッ?!」―まだ泣いていた。思わず呻く。探偵は全く状況に対応出来ていない。コレはどうしたものかと迷った挙句、怪盗は暴挙ともいえる行為に出る事にした。 「泣いててもいいから、捕まってろよ!」 怪盗は、翼を広げて、泣いている探偵を抱えて夜空へ飛んだ。何があったかはともかく、どうやら泣いている原因は己にありそうだし、仮にも警察の救世主と呼ばれる彼のこんな姿が晒されるのは避けたほうが良い、と。―殺人を仕掛けてきた相手を抱えて。 ■ ■ ■ 舞い降りたのは森林の整備されている大きな公園の一角だった。繁華街に近いながらに、より自然に近づけて整地されているそこは大きな鳥が羽を潜めるのに適している。 すばやく羽と衣装をしまい、モノクルは外さずに黒い帽子を深く被ってシルクハットの代わりをさせる。 「でぇ?どうしたってんだよ、名探偵」 ストンと芝生に降ろされてなお、今度は体育座りで沈み込んでいる好敵手の姿に怪盗は(頼むよ、ホント)と手をワキワキさせる思いである。空中落下の際に探偵が殺意をぶり返すのではないかと冷や冷やしていたのが馬鹿らしい。 「お前が悪い」 「具体的に」 「蘭になにしやがった」 「…蘭ちゃん?」 何と言われて、思い出すのは―アレだ。何しろ正体を暴かれかけて工藤新一のフリで切り抜けようとして…、…怪盗は、確かに自分が悪いのだろうと確信した。 「あー、その…多少のスキンシップ?」 「…やっぱりか」 「…いや、そのホンっとホンの少しだぜ!?」 ゆらりと立ち上がる工藤新一に怪盗は焦った。殺害現場が変わるだけかもしれない、コレは。 「お前ら犯罪者どもが、蘭にいらねぇちょっかいばっかりかけるから!蘭は、蘭は…」 「ら、蘭ちゃんが?!」 「……男は駄目って、言うようになったンだろーが!」 「へ…え、ぇええええ?!」 『ごめんね、新一は悪くないのよ?』 『でも、その…コナンくんに聞いてるかもしれないけど、新一がいない間、色々巻き込まれたりしてて』 『何も覚えてないのに、命を狙われたり…イキナリ男に腕を掴まれて、変な感染症の疑いをかけられたり』 『一つ一つは、大したことじゃなかったんだけど』 『新一のフリした怪盗KIDにまで変なことされて』 『新一は大丈夫って思うようにしたんだけど、…ちょっと、やっぱり』 「ぅわあ…」 怪盗は片手で顔を覆った。確かにソレはキツい。嫌いじゃなくて、要は生理的に無理と言われたのだ。女性とは繊細なもので一旦そう思ってしまったら、いくら挽回を図ろうとしても難しいだろう。しかもあの意思の強いお嬢さんが、駄目だというのだ。そう告げるまでどれほどの葛藤があったかは想像に難くない。彼女は探偵を傷つけたくなかったハズだ。 「しかもコナンくんぐらいなら平気だったかもって言うんだ…」 「あっちゃー」 再びしゃがみこんだ工藤新一とも思えぬ傷心少年に、怪盗は呻く。なんともフォローのしようがない。確かに怪盗にも非はあるが、探偵の行為は大部分が八つ当たりだったのだろう。理由を述べた今、探偵から殺意は綺麗に消えていた。 「あああ、あの、でも俺は嬉しいぜ?オメーが工藤に戻ってさ」 「……」 「コナンくんも良かったけどな。ホラ、大怪盗を追う名探偵には、万端の体勢でいて欲しいっつーか…」 そこで怪盗は丸まっている探偵を見た。自分も何度か模した姿だが、ソレよりも幼く見える。おそらく今の彼の態度のせいだとは思うが、男子高校生でありながら、抱え上げた事もある小学生の記憶がダブって、なんとなく(可愛いかもしれねぇ)と思ってしまった。 「な、顔上げろよ」 「…うっせー」 「元気だせって!せっかく高校生ンなったんだしさぁ」 「せっかく、な」 怪盗は片膝をついて、探偵の肩をポンポンと叩く。 スンスンと鼻を啜る音。 頭のピンと立った髪の毛が面白くて、そこを数度撫でた。 「立てるかー?」 「ん…」 ようやく落ち着いたのか、促されて探偵は身を起こした。結局、情けない姿を晒しただけで終わってしまった彼の殺人計画だったが、仕方ないだろう。相手が相手だし。寧ろ殺人犯の汚名を着る事にならなくて良かったといったところだ。 二人で森林を抜けるべく足を踏み出す。 腫れぼったい目でヨロリと歩く探偵の手を怪盗が引いていく。なんだか小さな子供の世話を焼いているようである。 「―ん?」 ガサリ…行く手にある繁みで何かの気配がした。 「?どした」 「あー・・コレはどっちかなぁ」 「何が?」 「野良猫か、にゃんにゃんか…だな」 「そういや、この公園って」 「飲み屋街に近いからな。覗きも多いんだぜ?さっき着地した辺までは野良犬もいるからってさすがに人は滅多に来ないけど」 「窃盗犯は窃視も趣味か?よく鳩使って覗いてるもんな。変態」 「おーおー、大分元気になってきたじゃねぇか」 繁みの向こうにはお二人分の人の気配。人様のお楽しみを覗く趣味は二人とも持っていないので、そっと通り過ぎようとした。 だが。 「駄目よぅ、園子…」 漏れ聞こえた声に二人の足が止まった。 「ええ?いいじゃーん、今日はおじ様奥様の所なんでしょ?誕生日だからって。もう別居解消すればいいのにね」 「でも、電車の時間」 「もうあのガキんちょもいないんだし、最終に間に合えばいいじゃない」 「でも…ぁ、」 「ココって痴漢が多いのよ。あんまり声出さないでよ、蘭」 「もう、駄目って」 クスクスと密やかな二人分の既知の女性の笑い声。 その片方は先程声帯模写した女性のもので。もう一人のほうもよく耳にしていた声で。 (マジかよぉ?!!) なんというタイミング。怪盗は思わず繋がっている方の手を握りなおす。すごく冷たい。足を動かそうとするも、引っ張っている相手が動かないので前に進めない。恐る恐る、後ろを振り返ると、探偵が肩を揺らしていた。 (またか?!また泣くのか!?) しかし、怪盗の懸念はハズれ、唐突に探偵は笑い出した。―哄笑とも言うべき笑い方で。 (ヒィーーーーー!) 泣かれるより、恐ろしかった。 「ちょ、誰?!」 さすがに行為を続行できなかったのか、気丈な園子の方が繁みを掻き分けて姿を現す。怪盗は一瞬迷った後、モノクルを外して、帽子を深く被りなおした。下手に怪盗を匂わせるよりも一般人を装ったほうが言い訳が利くだろうという判断である。 「よぉ、園子。悪いな、お楽しみのトコ」 「し、新一くん?」 「え?新一?!」「よ、蘭も。悪いな邪魔しちまって」 (何だこれ修羅場!?どういう修羅場だー!!) 常ならば衆目を集める怪盗も、こんな場では最早いち観客にすぎない。 先程まで鬱入りかけで泣いていた有様はどこへやら、晴れやかに笑って幼馴染に挨拶と謝辞を口にする工藤新一。小さな公園灯しかないほの暗さで目元の赤さはバレないだろうと、些か大胆に。 「何してるの?こんなところで…」 「ソックリ返すぜ?その台詞」 「私は…その、園子と買い物して、ちょっと寄っただけよ」 「へぇ?こんな薄暗いベンチもない場所に?」 探偵の探偵らしい口調に、ムッときたのか蘭はそっちこそ、と反論する。 それに探偵は軽やかに答えを返した。 「俺も同じさ」 「は?同じって…」 「そういえば、その隣の人誰よ?新一くん」 「……ぇ?オイ、探て、工藤?!」 「いやぁ、事件で知り合った恋人?」 「ええー!?」 「ちょ、どういうことよ!?」 (待て、何だソレは。幾らなんでも無ぇって!) 投下された問題発言にすぐさま反論しようとした―が、出来なかった。 (イテェ、って、イダイー!) 握っていた手がいつの間にか手首をつかまれ軽く捻り上げられている。丁度二人の身体で繋いだ手を隠すような仕草に見えなくも無いところが、何とも狡猾だ。 帽子から目が見えない程度に顔を上げたが、そこに見えたのは、冷えた瞳。 黙ってろ。 という言葉が、怪盗の耳には音もないのに聞こえた。 「そっかぁ…」 「ああ…だから、…その、気にするなよ」 「新一も、いろいろあったんだね」 「ああ。思わず同性の恋人が出来るぐらいな」 「アラ、そうだったの。そんな所までソックリな道辿るなんて、幼馴染って感じよねぇ」 「俺はオメーが相手ってのには驚いてるんだぞ。いくら男が駄目だからって、何で園子だよ。つーか、オメー京極さんはどうしたんだっての」 「それがねぇ…」 (ねぇ、コレなに?何が起きてるの!俺はどうすりゃいいんだよ!?) カミングアウトした事により、和やかなムードが漂いだしたのが解る。しかし身の置き所が無いのは怪盗である。逃げたい。すごく逃げたい、と切に願った。 「あ、紹介しておくな!」 「…へ?」 何とか逃げられないかと計算している怪盗の肩がグイっと掴まれ、二人の女性の前に差し出される。 「俺の恋人、黒羽快斗っていうんだ」 なんだか、もう色々と駄目かもしれないと、怪盗は思った。 |