□!□ ◇夏祭り◇ 「おい、京極ー!」 ガコンガコンと自販機に販売物品を投入する日々の仕事に勤しんでいると、背後から元気な男児の声がした。眼鏡をかけて、蝶ネクタイを首元に結んだスタイルが定番の友人の子供。何だかご機嫌のようである。 「よぉ、どうした?一人か?」 「新一なら撒いてきたぜ」 得意げに言われてもな、と思いつつ、京極はコメントを避けて、とりあえず仕事を続けながらコナンに話しかけた。 「えらくご機嫌みたいだが」 「へっへー。今日は夏祭りだってよ、京極も行くだろ?」 「ああ。出店しようか迷ったんだが、酒卸しの仕事の方が多いみたいでな。ソッチが済んだら迎えに行こう」 「お隣さんも誘ったぜ」 「……」 瞬間、工藤家隣家の長女の姿が京極の脳裏に浮かんで、心は晴れやかな鐘の音を鳴らしかけた。が、ニコニコと笑う子供の姿にふと不安にかられる。京極の知る限り、見返りなしにコナンが誰かの利の為に働く事は少ない。これは罠の方かもなぁと、油断なくコナンの気配を窺う。 「歩美ちゃんとその友達の灰原って子も一緒なんだ」 「両手に花か、やるな」 「バーロ、蘭姉ちゃんならともかく。あ、蘭姉ちゃんは学校の友達と行くってさー」 「お前、そんなに年上が良かったのか?」 「問題は年じゃねぇ…嫁の素質だ」 「…そうか」 眼鏡の鼻宛の金具部分に人差し指をあてクイッと持ち上げてから、キリッとした顔で言われては、どうも返しようが無い。 園子さんは同行メンバーには含まれていないようだ、と落胆する京極だった。 ◇ ◇ ◇ 夏祭り会場は工藤家から歩いて10分程度なので、車は置き去りの予定だ。駐禁キップが切られないように、ギリギリまで家の門の凹み部分車体を寄せ、キッと止めた。 その音を聞きつけたのか、玄関のドアが開いて、子供達が飛び出してくる。 「来たなー!」 「来たわね!」 「来たのね…」 三人のうち二人は含み笑いをしながら、もう一人は冷めた感じの笑いを浮かべて、京極を出迎える。一体何が始まるのかと、フフフ…と笑う子供達を見つめた。ちなみに、祭りに関わる仕事をしていたので、その雰囲気を大事にしようと京極は浴衣を着ている。筋肉質なナリの大きさに合う既製品は滅多に無いので、実は彼自身のお手製だったりする。同じく子供達も女児は浴衣、コナンはジンベエを着ていた。 「何だ」 一番ニコニコ顔をしていた(コナンはニヤニヤで、もう一人の女児の笑いはフフ…という形容しかない笑い顔だった)歩美が、おもむろに開けっ放しにしていた工藤家の玄関に向かって声を掛けた。 「来たよー!園子おねえちゃーん!」 「!?」 「ハァイ」 (まさか!?) 京極の胸は高鳴る。くぐもってはいるが、甲高い感じのこの声は、彼女のモノに聞こえた。 「どーも!ソ・ノ・コでぇす!」 「……」 「ホラ!センいや、蘭も来て!」 淡いピンク地に赤の小花を散らした女物の浴衣を着て、彼女らしく明るい色に染めた髪を綺麗に括って花をあしらった飾りを乗せた人物と、その人物に腕を引っ張られて、長い黒髪を頭の上で高く纏めて綺麗な項を見せる髪型をして、これまた涼しげな青地に黄色系の花があしらわれた女性物の浴衣を着こなした人物が現れた。 確かに一見すれば、もしくは遠目からならば、歩美の姉二人と見間違える事もあるかもしれない。だが、京極にとっては、既知の知り合いは、見目ではなく気配やその人物の纏う空気で誰であるかを判断するので、どうにも間違えようが無かった。 というか、既に園子っぽくしている方は失言しているし。 呆れて、ため息すらでない。ただひたすら、この馬鹿共が…という視線を送るだけだ。 「なにしてんだ、お前ら」 「俺に聞くな」 「駄目よ、先生。今は『私』なのよ?」 「黙れ黒馬鹿!」 京極の前で早速揉め始める二人に、更に呆れが募る。いつものドツキ漫才が始まろうとしたが、女装した養父にニヤニヤ笑う子供が口を挟んだ。 「新一が、俺との賭けに負けるから悪ィんだし。黒馬鹿は手伝って、しかも付き合ってくれてるんだから感謝しとけって」 「誰がするか!」 「でも、浴衣も縫ってくれたんだよ?黒羽さん」 「そうね、嬉々として女性用浴衣を男性サイズに縫う男がいるなんて始めて見たわ」 「若干キモかったのは否定しねぇけど、感謝だぞ、新一」 「あれ?なにその俺の努力への微妙な評価…」 大体の事情は解ったが、人をぬか喜びさせるのは悪趣味が過ぎる。こんな事をする男ではなかったのにな…誰に染まったんだ工藤…と些かの哀愁を込めて、浴衣美人に変身した友人を見遣れば、憮然とした顔。怒り顔が引っ込んでいるのが意外で、おやと眉を上げる。 「ま、約束どおりだしな」 「うん、お姉ちゃんも喜ぶよ、きっと!」 「じゃ、押すわよ」 「お姉ちゃん?」 それはつまり、と聞き返そうとした時、ピンポーンと工藤家のものではないインタフォンの音がして、数瞬の後ガチャと隣家の扉が開いた。 「ひゃー!本当に着たんだ!?」 「そ、園子さん…」 「スッゴイ似合うわ!コレは、必見モノね、確かに」 目を丸くして寄って来るのは、京極の密かな想い人であった。 「あ、こんにちは、京極さん。あのね、面白モノが見れるからって、この子達に呼ばれたのよ。スゴイの用意するからって、お祭り合コンまで断らされてさぁ」 「えへへ」 「本当に面白いわ!ってゆーか似合う!イイ仕事するわね、黒羽さん」 「先生を飾る事に関しては手抜きはしません、お任せを」 「さっすが鬼編集ね!」 黒羽に賞賛を送る園子。満更でもない黒羽。 一方、呆れて気を吐く作家と冷めた笑いを浮かべる女児。 「鬼の方向性が間違ってるだろーが!」 「嫌がらせの鬼か、それとも、担当作家を鬼にする編集者って意味なのかしらね?」 「どっちもお断りだ…。なんで、こう無駄に無駄なスキルばっかりありやがるんだ」 ニコニコと思惑を成功させたのが嬉しい女児とニヤニヤし続ける男児は、悪戯の成功を喜んでいる。ナルホド、今日の昼に会った時コナンの機嫌が妙に良かったのは、こんなお楽しみがあったからなのだろう。 「似合うぜ、…母さん?」 「誰が母だ。コナン!」 嫌がる女装作家を種に一頻り笑い、物笑いの種にされた青年が怒りをぶり返して、家内へ踵を返すまで、小さな祭りの場は続いたのだった。 「もういいだろ?!着たんだからな、コナン…これでチャラだぞ!着替える!」 「あ、俺手伝います」 「いらねぇ、くンな!」 「要りますって。メイク落とししないと、肌が荒れますってセンセ」 女装青年らを見送ると、京極と園子と子供達だけが玄関先に残った。 「ねぇ、園子お姉ちゃんも一緒にお祭り行くでしょう?」 「なぁに?このアタシと行きたいの?ボーヤ」 「うん。どうせ、合コンも流れたんだし、ね?」 「まぁね。いいわよー。ボーヤ的には蘭じゃなくて悪いけど」 「ううん、園子お姉ちゃんが良かったんだ」 な?京極ー!と不覚にもコナンに言われ、京極は一瞬反応が遅れる。 コナンはまだニヤニヤと笑っていた。 「あ。ああ、あの、ご一緒できたら…嬉しいです」 「へ?え、うん…?別に、いいわよ」 きょとりと見上げられて、京極は頬が熱くなるのを感じた。園子もまた先ほどの似非園子とは違って(少なくとも京極の目には月と鼈くらいの違いが見えて)実に女性らしく可愛らしい浴衣を着ている。グッジョブ、コナン!の意を込めて真下にあるツンと強いクセ毛の立った頭をワシャワシャとかき混ぜた。 いてぇよ、バーロー!と眉を顰められたが、嬉しいのだから仕方ない。すると、コナンはててっと小さな友人達の所へ行き、こう言った。 「京極が、なんでも奢ってくれるってよ!」 「?!」 「まぁ、太っ腹ね」 「さっすが、京極のお兄さん!」 「遠慮はいらねぇみてーだぜ?」 「おいコラ」 「いーだろ?京極」 子供達の財布になるのと引き換えに、淡く甘く、花火に彩られた鮮やかな時間を手に入れられるらしい、と覚悟した京極。仕方ない、と潔く「分かった」と肯いたのだった。 ◆けーろー◆ 「新一!電話しろ!」 昼ご飯を終えて、食後のお茶をズズ…と煤っていると、何を思い出したのかコナンが声を上げた。 「アレだ」 コナンの指先を追うとカレンダーがあった。今日の日付が赤字で記されている。日曜以外が赤い色で示されるのは旗日だ。 「けーろーの日だろ?」 「けー…敬老、か」 新一は何とも言い難い目でコナンを見た。 コナンの敬する老人とは順当にいけば新一の両親である。以前よりロスで暮らし、気が向いたら来日して孫で遊んでいくスチャラカ夫婦だ。 「…何て言う気だ?」 「んー、老いてなお若々しい二人に祝福と感謝をだな」 「老いて…、か」 何せあの夫婦は気だけは若い。老人扱いなど喜ぶわけがない。 新一は渋るがコナンはスタスタと発信ボタンもついている電話の子機を新一へと渡した。 「いいから、電話!」 「…気が進まねぇ」 「ボタン押して向こうと繋がるまででいいから」 国際電話に物怖じする5歳児ではないのだが、交換手との英会話がコナンは苦手なのである。クセの強い下町英語は、教科書のお手本めいた発音で会話を心がける相手を不快にさせることがある。 ―衛星電話で直通ライン繋ぐようにすっかなぁ… 仕方なく通話を始めながら、ふと脳内で検討してみるが(いや、そんな事したら24時間テレビ電話で中継しろだの言われかねない)と悪寒が走り首を振る。大体、コナンと新一の両親との関係は極めて良好だが、新一と両親の関係は微妙なものなのだ。 ややあって、向こうのコール音が切り替わった。 「ホラ」 「あんがと」 ひょいと受け取るとコナンはストンとその場に座る。 「よ、じーちゃん?」 「……」 いつ聞いても慣れる事の無い呼び掛けである。新一は極力目をそらしながら、耳だけを傾けた。 「ん、敬老の日だから、掛けた!…知ってるぜ?老人を敬う日」 「別にそうは言ってねぇって。若いし綺麗だもん」 「アレだ、感謝しようと思って」 「新一、生んでくれてアリガトな!」 新一は思わずコナンを凝視した。一体何を言っているのだ、この子供は。 「楽しいぜ?米花も。…うん、うん」 「じゃーな!」 呆然としている新一を余所に、コナンは通話を終えた子機を戻しに行く。 小さいのにソレを感じさせない、迷い無く進む、一人でも歩いていけそうな後姿。 「…どした?新一」 そのまま、意志の強さを秘めた青い目が新一を振り仰ぐ。 「…いや、元気そうだったか?」 「ああ!『ほぅ、年は取りたくないものだね、取ったつもりもないのだが』とか言われたぜ」 予想通りの反応に、全くあの親は…と新一はため息だ。 コナンは笑いながら続ける。 「別に老人って年取ったから偉いワケじゃねーんだよな。連綿と続く歴史ってゆーか、『今』を作ってくれた事に感謝しただけだっての」 「今?」 「ああ」 楽しそうに笑う子供の姿が、新一にはとても眩しかった。 ■終■ |