■ナ!■



目が覚めると見知らぬ天井。
思考より先に、手を握り足をぎゅうと縮込ませ五体の感覚を確かめた。
身体を跳ね起こして辺りを窺う。

―……
「何処だ?!」

鋭く視線を飛ばして、部屋をぐるりと確認して。その間に我が身に何が起こったのか、記憶を辿る。―昨夜も養父であり親友である彼と一緒に布団に入って…そこからの欠落は、ない。
では彼は?と、床に目を向ければ、布団の片隅でタオルケットに包まっている姿。カーテンから差す朝日は既に部屋を暑くし始めているのに、スヤスヤと。幼児の己なんかよりも、多分ずっとあどけない寝顔を浮かべて。
その様子に安心して、そうして漸く5歳児はココがどこかを思い出した。

「新しい家だ!」

そうだ、そうだった。
把握できれば、問題はない。
コナンは寝室から、タンタンと階段を下りていく。この家の二階には、どちらも6畳程度の洋間と和室(あと物置とトイレ)があり、昨日、二人で諸事を話し合って検討した結果、洋間を新一の仕事部屋、和室を寝室と決めたのだった。
キッチンに行って、案の定引越し翌日だというのに、ごく当然といった風でセットされているコーヒーメーカーに、近くにおいてあった豆を放り込んで。それから、これまた引越しの翌日というのに、シッカリと投函されていた新聞を取って来て、早速目を通し始める。
起きるのが同時だと、いつも取り合いになってしまうから、コレを読んで、コーヒーが出来たら、二階の彼を起こしに行こうと、コナンはささやかな予定を立てた。

「ま、昨日の今日で疲れてるだろうしな」

引越しだけでも一大事だというのに、どこかの黒馬鹿のせいで精神的疲労を被り大量の蕎麦の消費に追われた新一は、寝る前に胃薬を服用したほどだ。
大体、俺のせいだからと昼に茹でた大量の蕎麦(茹ですぎた8人前が体積を増やし、茹で直しにまた大量に麺を鍋に投入して、最終的に15人前ほどの蕎麦が台所にテーブルに盛られていた。意味がわからない)を、夕飯用にとアレンジ料理にして、当然のように自分も食べていったどこかの黒馬鹿ときたら、そのまま家主を労わりたいとほざいて、風呂で背中を流しますだの、マッサージして差し上げますだの、騒ぐこと煩いばかり。暗くなってからの新居に不具合はないかと、仕事がてらにワザワザ様子を見に来た京極が持ち帰ってくれたのは幸いだった。

「アイツ、何とかしねーとなー」

新聞の広告欄に掲載されている、見た覚えの在る出版社名をヒト睨み。

「……?」

どこかで空気が動いた気配がした。


   ■  ■  ■

まどろみの中で見る夢は現実との境界がひどく曖昧なモノが多い。
なんとなしに思考していた何かが映像を結び、そのまま夢の世界へと誘うのだ。だが、忘れてはいけないのは、瞼の裏に映る映像が、安穏とした夢の姿をしているかどうかである。悪夢の入り口に見えるのならば、即刻引き返して覚醒してしまったほうが、ずっと良い。フラッシュバックのような一瞬が、アタマをいっぱいにしてしまう前に。


―先輩、かわい…
―・・…ヤメ、も
―だぁめ…つか、無理

息が苦しい、喉が苦しい、もっと奥側のどこかが苦しい、やめてくれ、

―だって、こん、な…よさそうなのに?
―死ぬ、しんじま、う
―死なないよ

「死ぬよ」

「?!」

落下するような目覚め。ドッと冷や汗が噴き出す、ような感覚。得体の知れない恐怖に目を見開いた。そしたら、眼に差してくる眩しい光。図らずも「ぅあッ」とうめき声が漏れる。

「センセ、こんなカッコで寝てたら窒息死起こしますよー?」

眼を何度も瞬かせていると、頭上から聞きなれた声が降ってきた。

「大体、気温だって大分上がってきてるのに。…熱中症は屋内でも起こる事くらい知ってるでしょ」
「黒羽…」
「おはようございます」

掠れた声でヒトのタオルケットを剥いだ人物の名を呼ぶ。
にっこり、と音がしそうな程の笑顔が天井と一緒に視界に写った。
出会った頃は『先輩』と人を呼び、今では先生むしろ『センセ』と呼んでくる同い年の仕事仲間―いや、仕事上の知人。
一時だけ、彼に名前で呼ばれ、彼を名前で呼んでいたこともあるけれど。

「黒馬鹿。どこから入った」

今は彼の名を捩って黒馬鹿と呼ぶほうがずっと多いと思う。

「……いやね、俺も最初は玄関から新聞の一つでも持って起こしに来たかったんですよ?でも、丁度その新聞が内側から引っ張られてて、あ、コレはコナンに出し抜かれたなぁ、と思ったんで」
「で?」
「まぁ、即席で用意できるサプライズといったら、王道の寝起きドッキリしかないかなぁと」

この親子が毎朝のように新聞の取り合いをするのを知る黒羽は、玄関でそんな様子があるか窺った。が、工藤家内は静かなもので。コレはどうやら愛しい人はまだ夢の中と算段をつけ、庭木伝いに二階の和室のベランダへと乗り込んだのである。

「暑いからって、窓の開け放しは良くないですよ?」
「不法侵入か。テメ、昨日の事といい何でも見逃してやってるとでも思ってるんじゃねーだろうな…?コッチは、今も証拠累積させてんだよ!さっさと帰って裁判所からの呼び出し待っとけ。自宅から出てくるんじゃねぇ!」
「ええ?!センセからのラブレターが届くならまだしも!」

引っ越してきて初めて迎える新居での朝が、最悪の寝起きって…!工藤は朝から頭が痛み出すのを感じていた。さて、どうやって追い払おうか頭をグシャグシャかき回す。そうしている内に、黒羽といえば、何故か極ごく自然な動作で寝室の襖を開いて、奥側にある仕事部屋の扉を開けて中へと入って行った。

「白馬から預かってきた原稿依頼書、置いておきますよー」

声だけが聞こえる。
どうやら、朝方編集部へと回ってきたのだろう。工藤は外国書籍の翻訳の傍ら、本人と所属編集部の意向で犯罪ルポや読本レビューやエッセイを執筆する文筆家であり、黒羽は工藤が所属している編集部の人間なのだった。

「パンツにダルダルのシャツって、もう。すっげ、目の保養なんですけど。やっぱ、朝から刺激強いんで、早く着替えてくださいね」

ヒョイと顔を覗かせて、馬鹿を言う黒馬鹿に、工藤は枕を投げつけた。



   ■  ■  ■


階上から聞こえる養父―新一の怒鳴り声に、コナンはあーあとため息を吐いた。
もう既に、コーヒーは丁度二杯分落ちているけれど、呼びに行くと面倒そうだ。
新一に紹介されてからコッチ、コナンの知る限りあの黒馬鹿の姿が途絶えた事はない。以前はよく『コナンの母親でも、第二のお父さんでも、まぁ名目は適当で良いんだけどさ?俺とも家族になってくれない?』と聞かれたものだ。『新一が良いなら、僕はぜんぜん構わないよー?』とニコニコ笑って返していたら、新一にどう叱られたのかパタリと口にしなくなったが。多分、全く諦めていないのは簡単に想像がつく。

「上、行きたくねーなぁ」

しかしお腹は空いて来た。
黒馬鹿の事だから、何か貢物でも持ってきてそうなんだけどなー、と一度玄関を確認しに行く。ぺたぺたと素足で感じる木の廊下と、タンッと降りた玄関床の石の、冷たい感触が心地いい。
背伸びをして手を伸ばす。―玄関のドアノブが少し重い。

―お?

コレは、ドアノブに何か掛かっているフラグ―!
グイっと一旦ドアを半分以上開ける。
そのまま素足で表側に回れば、ぶら下がっている白いコンビニ袋。

「馬鹿なりに、気は使ってるんだよなー。法とコージョリョーゾクは丸無視のくせによ」

袋を下ろし、その場でしゃがんで中身を確認する。
二重袋になっていて、ドライアイスが詰められた外袋の中にはプリンとコーヒーゼリーと溶け難そうなコンビニスイーツが入っていた。

「ま、悪くねぇな」

「…コナンくん?」

ニヤリと品々を見定めていると、背後から声を掛けられた。

「?ぇ…と、あ!蘭お姉さん!!」
「おはよう。…どうしたの?コナンくん。そんなカッコで」

ゴミを捨てに行くところらしい、昨日知り合ったばかりのお隣さんが、門扉越しに目を丸くしてコナンを見ていた。
カッコ?と言われて、そういえばまだパジャマでしかも素足のままだったと気がつく。向かい側の蘭は、ソレと判るスポーツメイカーのウェアを着て首にタオルを巻いていた。

「あの…新一…とーちゃんが、まだ寝てて?みたいな」

エヘヘと困ったように笑うと、蘭があららと苦笑を浮かべる。

「昨日のお引越しで疲れちゃったんだね」
「そうみたい」
「んー…まだ7時前かぁ。お父さん、お仕事は?出かける予定はないのかな」
「?別にないと思うよー。しんい…とーちゃん、基本的に自宅仕事だし」

そっか、と肯くと、髪の長い…ランクとしてはかなり上位に入るであろう美人のお姉さんは、そうだわ!とコナンに笑いかけた。

「あのね、ウチでご飯食べない?」
「え…」
「簡単な物しか出来ないけど。コナンくんは朝はパンでも大丈夫?良かったら、おいでよ」
「大丈夫だけど…いいの?」
「もっちろん!お父さんもお母さんも、あとコナンくんより少し大きい妹がいるんだけど、会いたいって言ってたし。コナンくんのお父さんには休んでてもらって、ウン、サンドイッチ持って帰ったらいいわ」

そうと決まれば、早速準備ね!と蘭は冷蔵庫の中を思い浮かべながら(昨日タイムセールで牛乳も卵もパンも買い込んだし…ハムとキュウリはあって。あ、トマト柔らかくなってたし早く食べちゃわないと…)ウンウンと肯く。それから、コナンに「じゃ、またココ通るから、靴かサンダルを履いて…あ、お父さん宛に書き置き出来る?ん。じゃ、待ってて」と言うと、ガサガサ袋の音を立てながら、ゴミ捨て場に向かう。

「…ラッキー」

綺麗な黒髪を一括りにして、スタスタと歩いていく後姿を見送りながら、コナンは呟く。

「ジョギング帰り健康美、ゴミ捨てに、朝飯の支度が苦にならない…っと」

理想の嫁だ。
惜しむらくはコナンから見ると「若くて」云々な嫁年齢でないことだった。

「いや、日本人の平均寿命は女性の方が高いし、年上の女房は草鞋がナントカって言うしな。アリか…?10歳ちょいくらい差…。んんん」

人通りの少ない早朝の自宅前。5歳児の些か妙な呟きを聞く者はいない。




黒羽が用意した貢物が、隣の家へと横流しされたのは言うまでもないことであった。




■隣人を朝食に招く日:終■









既に方向性を見失いつつある。(こじらせるの早いな!)

工藤と黒羽の過去編は…んー…(こじらせきってる模様)


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