□ネコと缶詰□ ■コナン(⇒K)+哀■ 小林先生が教卓で、来週の社会科見学について話をしている。 これから班分けをし、各班でテーマを決めて、候補として上がっている場所の内どこを見学地に選ぶか決めるように、という事らしい。 ―最近の小学生も大変なものね… 将来という不確かなモノを見据えて、現実というモノがどういった姿で存在するのかを、半強制的に目の前に突き付けられてしまうのだから。 最近では珍しくなくなった、早い段階での職場見学や職業体験。社会の仕組みを人や物流の流れを知るには良い機会ではある。しかしそこから、大きくなったらヒーローやロボット操縦者になれるかもしれない、という夢を見ることは無い。まして自分や友人の親や知り合いが働いている姿を見れば尚更。 社会性を培う義務教育機関から見る社会の姿。子供達はそれを受け止め、受け入れ、組み込まれる事を前提に社会集団の中へ埋没していく準備をするのだ。夢のような夢を、早い内から摘み取られてしまうのは、現代では仕方がない事かもしれない。テレビや漫画に齧り付いて、我が身の現実との差異に耐えられない子供のような大人が増えても困るのだろう。学校教育とは国の在り方を如実に写す鏡だ。 ―まぁ、そんな事、全く関係ないってヒトもいるみたいだけど 呆れながら、灰原は斜め前方に座るかの少年の姿を見つめた。 先ほどから何やら、彼は机の中で忙しなく携帯電話に指を走らせている。顔の前に社会の教科書を立てて、顔が前を向いていない事を隠しているつもりらしい。だが、そんなことは、いい加減小林先生だってお見通しだろう。せいぜい携帯電話が没収されないうちに、前を向きなさい、と思いため息を吐いた。 『江戸川コナン』という少年の担任になった、いまだ新米教師という風情の彼女を見た時は、灰原は胸の内で「ご愁傷様」と思わず呟いたものだ。 見た目だけならば、大きな瞳をしてニッコリ笑って可愛らしいことこの上ない子供。 その実態は頭脳は大人!というかどうしようもない推理馬鹿で、義務教育は義務であるからしてサボった所で罰則などタカが知れていると何かあれば教室を飛び出し、探偵業をする養い親に同行すると言っては堂々と学校をサボる常習犯だ。 彼女が少年探偵団の顧問を自認する推理好きであり、探偵の身内である彼に好意的でなかったら、すわ不登校か非行か引いては学級崩壊の走りかと悩んだに違いない。もしかしたら悩む事もあるのかも知れないが、とりあえず、今のところ担任は子供達に笑顔を向けて、さぁ、どうしたい?と問いを投げかけている。 「じゃ、班分けをしましょう〜!くじ引きがいいかな?それともジャンケン?どういう風に分けるのがいいかなぁ」 「先生!行きたい場所ごとに集まって、そこから何をテーマにしたいと考えているか話し合って、それから班を作ったほうがいいと思います!」 直ぐに手を挙げ、利発な提案をしたのは、少年探偵団のメンバーでもある光彦だ。理にかなった提案に、小林先生はウンウンと嬉しそうに肯く。 候補地は三つあるので、教室の机を大きく三つに分けて、それぞれ移動しましょう、という流れになった。 「ねぇねぇ、哀ちゃんはどこにする?」 灰原の机の傍まで来て、ニコニコ笑いながら話しかけてきたのは歩美だ。 「どうせなら、一緒の班になろうよ!」 「そうね。構わないわよ。アナタは、どれに興味があるの?」 「えっとね・・・」 歩美はそうっと灰原の斜め前の席で、周囲の音などそっちのけで座ったままの推理馬鹿少年を見遣った。 なるほど。取り立てて見学希望自体がない灰原が、歩美が望むのなら特にどこでも構わないように、歩美もまた、あの少年がいる所ならどこでも良いのだろう。 周囲を見れば、大体の子供達が仲良しの手を引いて、どの席を陣取ろうかと話し合っている。まぁ、小学生の班分けなどそんなものだ。いやある意味この瞬間こそが、集団における社交性の訓練かもしれない。 ヤレヤレとまた一つ息を吐いて、灰原は歩美を連れてツカツカと少年の後ろに回った。 「いい加減にしなさい、江戸川くん。没収されるわよ。何なら先生に言い付けてあげましょうか」 「ッ?!っと、灰原かよ。…勘弁してくれ。もうすぐ解けそうなんだ」 一体何に夢中になっていたのかと、彼の示す携帯画面を見れば、思わせぶりな文字列と数字が連なっていて…文言の最後には、どこかで見たことのあるマークが描かれていた。 「予告状…」 「ああ、あンのコソ泥野郎のな」 「すごーい!コナンくん、また怪盗KID捕まえに行くんだ!」 「捕まるといいわね」 「捕まえてやるさ」 大きな眼鏡の奥で青い眼を細めて、ニヤリと笑う。 探偵の顔なのだろうか、コレは。 どちらかと言えば、悪ガキめいた表情に見えた。 灰原は、江戸川コナンがあの白い怪盗と何悶着かの修羅場を演じ合ってきていることは知っていたが、果たして彼に本気で彼を捕えるつもりがあるのか疑問に思う事がある。 彼は謎を愛し、ソレを容赦なく解体して真実を手に入れることに堪まらぬ快感を覚える性質(タチ)だ。そして、快感を得たあと、隠しておきたかった犯行をその心理を白日のもとに晒された罪深き者に、断罪じみた台詞を告げる。謎解きの終焉。彼の役割はそこまで。 ―謎を解き明かした後に、彼の心内を占めるもの 真に告発と断罪を与えるのは彼の役目ではない。 ところがだ。時折、真実に近づくごとに痛みと悲しみとを感じずにはいられない場合において、真相にたどり着いた彼が、快感ではなく苦しそうな顔をする事も知っていた。追う者に痛みと悲しみを与える犯人が、彼の見抜いた真実により、罪状に照らし合わせて裁かれる。情状酌量という犯罪者に同情的な措置はあれど、それを主張してやる位置に彼はいない。 ―快感の先にあるのは、おそらくどうしようもない虚しさだ 怪盗を追う彼は、楽しげで、謎を愛すが如くの姿だと、灰原には見えるのだった。 直接追い詰め、遣り合う場面など、堪らない快楽に支配されていそうだ、とも思う。 では、そんなモノを彼が安々と手放すだろか? 一時の快感もしくは征服欲か支配欲だかは満たされたとして、それはイコール怪盗の消失へと繋がる。 この少年探偵が、諸々の事情を鑑みて今回は見逃してやらぁ、などと言う姿は、悪ガキ共が、また明日な!と言って別れるようにしか見えないのに。 …いや、単に、捕えた先のことなど考えていないのかもしれない。存外、この少年探偵は思慮が足りない事が多々ある。 「コナン!ここだと、鯖缶工場だぞ?いいのかぁ?!」 元太の声に、ふっと灰原は感覚を引き戻される。見れば、ほとんどの子供達がいくつかのグループになって、三つに区分された教室の机のどこかに座っていた。 「あー?」 「社会科見学の場所決めですよ」 「あっちは漁港で、ここは鯖の缶詰め工場、向こうが運送屋さんだよ」 「どこでも構わねぇよ」 「なんだよ、そりゃ。だったらよ、うな重屋はないけど、漁港で鰻見ようぜ!」 「元太くん…鰻は利根川や養殖が有名なんです。多分…漁港では取れませんよ?」 「川魚だもんねぇ」 「あら、鰻は海水でも淡水で生きられるし、川と海とを行き来している魚よ?普通に水揚げされているわ」 「まじかよ!じゃ、漁港にしよーぜ!」 ホラ行くぜ!と元太が推理し続けたくて不満げな顔をする少年を追い立てる。しかし、動きたくないのか、彼は小さな声で社会科見学の裏事情を口にした。 「あー、工場見学だと、缶詰のお土産もらえるぞ」 「なんだとぉ!?」 「漁港は、生モノしかねーから観光漁港のハガキ写真で、運送屋は小型ダンボールの玩具だってよ」 「…よく知ってるわね」 「職員室で聞いた。クラス合同の実習だから、最近はそんな話で持ちきりだったな」 「盗聴でもしたのかしら」 「バーロー、掃除当番だ」 なるほど、そういえばそうだった。 結局、いつもの少年探偵団員達は、缶詰工場見学を選ぶことで一致して(当然元太が食いモン食いモンと飛びついた)、コナンの周りの席に座る。元太と光彦はコナンの前に、歩美はコナンの隣に。 灰原は、コナンのすぐ背後の席に座り、コナンの肩越しに携帯画面を眺めながら、口を開いた。 「予告日はいつなのかしら?」 「来週の水曜日だな、俺の読みが正しければ」 「ちょうど社会科見学の日ね」 「ま、時間は…多分、夕方から夜半にかけての間だろーし、別に問題ないだろ」 「怪盗さんにお土産でも持って行ったら?」 「なぁんで、ンな真似しなきゃいけねーんだ」 だって、仲良しみたいなんだもの。とは口に出さず、灰原は視線を携帯から反らした。 小学生の本分など元から持たない―いや、とうの昔に義務を果たしている少年は、彼の本分である探偵業がなによりも大切なのだ。寝食を忘れてしまう程。 きっと、先日彼が上級生の女子から押し付けられ受け取らされたラブレターよりも、あの気障な怪盗が提示した予告文のほうが魅力的で、何倍もワクワクドキドキしているに違いない。 ―もっと、仕事というのは厳しいものだと思うわよ? 捕まらない怪盗だけは、捕えるために全力で追っても、快感の先の消失と空虚さを知らなくて済む、そういう態度に見える。 とんだ矛盾だ。 捕まらない事と、捕まえない事は、天地が逆転するほどの違いがあって。捕まえないでいてやる事は許容出来ても、捕まえられない事は、きっと彼のプライドが許さない。 いつか、捕まえてしまう現実が訪れた時に、抱いていた期待との大きな落差に失望するか苦悩するか、はたまた怒りに震えるか、いっそ見物である。 「怪盗さんは大変ね」 「はぁ?そりゃコッチだろーが」 「いいえ、彼は彼自身の為以上に、きっと追ってくる探偵の為に絶対に捕まるわけにはいかないんだわ」 「だーれの為だって?そりゃ…アイツが俺以外に捕まるってのは、嫌だけどさ」 ほら、これだもの。 捕まえて、嘲笑って、本当に警察に引き渡す気があるのかどうかアヤシイものだ。 モノクルを剥ぎ取って正体を白日のもとに晒したら、それで満足して「じゃあな!」とか言うのではなかろうか。まるで、転校していく友達に、サヨラナ元気で、また何処かで!と手を振るように。 怪盗側としたら、屈辱この上ない仕打ちになるだろうとは思うが。 「ハートフルな怪盗さんは、アナタ以外にはきっと捕まらないわ」 一番捕まってはいけない相手だから。きっと。 あの妙に甘い怪盗は、少年が真実を暴いた時の空虚さや彼自身が気付かぬ痛みすら思いやり、それゆえに決して彼の手にはかからないのではないか、と。いやいや、そこまで期待するのはハートフルも度が過ぎるかしらね?なんてことを灰原は思った。 □ □ □ 社会科見学日であり、怪盗の予告時間が差し迫った放課後の帰り道。 夕暮れの中を、コナンは好敵手の待つ場所へと向かって、走り出そうとしていた。 まさか缶詰工場で、工場長の不正や商品の記載偽造を暴く事になるとは思っていなかったので、思いのほか時間を取られたのだ。まぁ、時間はかかったが、キッチリその場で事件は解決したのだから、少年探偵団の面目躍如である。 「じゃ、今日は博士ン所に、レポートまとめるから皆で泊まりになるって言ってあるから!」 「ハイハイ。毛利さんから電話があったら誤魔化しておいて、ってことね」 「頼んだぜ!」 ついでに、とランドセルを投げ渡される。 レディに荷物を持たせるなどとは、工藤新一が持っていたという女性に優しい怪盗顔負けの気障な優男ぶりはどこに消えてしまったのか。 ヤレヤレと受け取りながら、そういえば、と灰原は今日工場で頂いてきた小さな包みを少年に渡した。 「?なんだ、コレ」 「今日のお土産よ。塩分過多で保存料の使われているモノなんて、博士にあまり食べさせたくないから、毛利事務所に寄付させて頂くわ」 「後でもいいだろ?」 「その缶詰。アナタの分も入っているの。配っている時、警察の事情聴取でいなかったでしょう?それにね、緊急保存食としての缶で、規定値よりも厚くて頑丈らしいわ。多少乱暴に扱っても大丈夫みたい」 「へぇ……」 チラリと少年は秘密兵器の隠された自身の足元を見る。 「あんまり、見物客が多いところだと汁が飛び散るかもしれないから、ほどほどにね」 最近サッカーボールを易々と避けられる、妙なトランプカードに割られちまうとボヤいていたので、彼女はボールの改良版代わりのつもりで渡したのだった。 まさか、そんなコントロールの厳しい小さな缶詰程度で、確保不能の白い怪盗が行動不能を起こし、まんまと探偵が連れ帰るなど予想できるはずはなかったのである。 迎えに来てくれ、との連絡で灰原が阿笠博士と向かった路地裏では、探偵少年が魚臭くなった怪盗を前に、勝ち誇るでもなく絶望するでもなくついでに警察を呼ぶこともせず、ひたすら困り果てていた。 救命処置は不要だったが、人目に晒しては不味いと、魚臭いのを我慢してひとまず阿笠家へと連れて行くと言う。せっかくだから、警察に突き出しておやりなさい、と灰原は主張したが、探偵はどうやら今夜の試合結果には満足しておらず、むしろ怪盗を人事不省の目に遭わせてしまった事に申し訳なさを感じている様子。 コレだから、悪ガキの遊びかと思わずにはいられないのよ、と毒づくも、探偵は、だって狙撃手から庇ってくれたのだと渋々事の次第を話した。すわ黒の組織の者がと肝を冷やしたが、どうも不明であるらしい。しかし、もし組織の手の者から、工藤新一に近しいとされる江戸川コナンを守ったのならば、確かに今夜のところは怪盗に感謝せねばならない。 だが出来れば同乗は遠慮したい。 だって凄く、魚臭い。 命に別状はないのだから、起きたら彼お得意のマジックで煙のように消えてくれるだろうと、探偵はともかく車の日常的使用者二人は期待したのだが、怪盗は目を覚ましかけては、何故かウッと呻いて魘されまた意識を飛ばすので、一体何が彼をそうさせるのかと視線の先を見遣れば、本日缶詰工場で少年探偵団への謝礼として貰った鯖印のピンバッチ。まさか、まさかね、と少年と少女が顔を見合わせる。とりあえず、臭いのを何とかしようとコンビニで調達してもらったペットボトルの水をぶっかけ、ビニールシートを敷いた後部座席の床に怪盗を転がして車を発進させた。 その様子を、夜目に光る瞳を持つモノが見送り、にゃぁと一鳴き。 そして今、探偵少年の愛する謎は、解くも解かずもまさに彼の手の内にあった。 ハートフルな怪盗の不運さには同情するが、目下灰原の興味は、彼が怪盗をどうするかにあった。まさに先日考えていた事だ。 探偵は怪盗をどうするか―? 彼を運ぶのに、ストレッチャーが要るかしら?と灰原は博士を促して、家に入る。 無論、玄関を閉めた瞬間に、ちょうど車が見える窓辺へと移動して、扉が開いたままの後部座席で何が起こるか、息をつめて見守った。そんな灰原に阿笠博士が眼を丸くしたが、遅いとコナンが呼びに来た時の為に、ストレッチャーだけは玄関まで運ぶよう言付ける。 狭いスペースで身体を折り畳まれて、奥側の閉じられている方の車の扉に凭れるようにしている怪盗のシルエット。開いた扉側の座席の上にしゃがんで乗っていた少年の影が、少し、奥のほうへと動いた。 ―ボワァ…ン 「!?」 『ぉあ?!』 車から立ち上る大きな白い煙。 一瞬だけ上がった、少年のものと思われる叫び声。 「江戸川くん?!」 灰原は慌ててガラリと窓を開けて安否を確認する。煙は阿笠家の二階まで立ち上る勢いだ。まさか車が爆発でもおこしたか、という有様だったが、火の気配はなく、ガソリンや焦げた匂いもしない。あるのは煙だけ―つまり、これは怪盗の仕業に違いない。 これではよく見えないと、玄関の扉を開けて駆けつける。 怪盗は既に白い煙に紛れて掻き消えていて姿がなく。 ―そこには、半裸の少年探偵が呆然とした顔で後部座席に座っていたのだった。 「…奪われちゃったの?」 「ぁ?あ、ああ…ッあの野郎…!」 「そう…ごめんなさい。こういう時、どんな顔をすればいいかわからないの」 「いや、そんな深刻な顔されてもな」 「だって、まさかあんな一瞬で」 「ちょっと待て。俺が盗られたのは、シャツだけだぞ?!」 「あら、そうなの」 どうやら、怪盗は近づいてきた探偵の気配を察したのか不意に目を覚まし、少年の姿を確認した瞬間、シルクハットを閃かせて凄い煙を撒き散らして、動揺した相手の腹辺りに手を伸ばし一瞬でシャツを脱がしてしまったらしい。 『コイツにやられんのはゴメンだぜ』 とかなんとか呟いたそうだ。 「まぁ、良かったわね」 「なにがだよ」 勝手に想定している怪盗と探偵のあれやこれやを伝える気の無い灰原は、一言「貞操が無事で」とだけ返したのだった。 |