■囚守/追うもの■ 『アンタ、こういうの、好きなのか』 男の持つ不可思議な文字が連なった紙切れを欲しがったら、呆れたような、面白がるような―鉄格子の向こう側なのに、とてもそんな場所にいるとは思えない―顔をした後、男は笑った。 屈託の無い笑み。 そういえば、彼の咎は、世の中をおちょくり過ぎた為だったか。 ただ、底が知れない頭脳と話術を持つと見られていたから、独房という場所に封じられていたと後で囚監所長から聞いた。 『アンタさ、ンな弱っちそーで大丈夫か?襲われたりしてねーだろうな?!』 何故、獄中の内側にいる人間から、心配などされなければいけないのか。まぁ実際男だらけの空間にあって、男が本能的に持つ獣じみた欲は時に圧を高め、事によると、そういった暴行事件が全く無いワケではなかったが。 警邏を担い事件を収める立場にある者に、馬鹿な真似を仕掛ける者は滅多に居ないというのに。彼こそ、見目は大層良く何故か愛想まで良いときて―独房という一人きりの空間を与えられていなかったら、牢名主の慰み者にでもなっていそうなものだった。 『ここって、面白いか』 男の刑期明けが近づいていたある夕刻。点呼の為の一時。 獄舎の内と外の人間が仲良くしているなど決してあってはならぬから。 頭脳明晰な男は、いつも端的に彼に問いを投げかけて―何故か言葉にするよりも早く、正確に、彼の言わんとすることを読み取っているのが常だった。 けれど、その時は。 まっすぐに眼を見て、言葉を待っていた。 ―ねぇ、 『アンタは、ココに、ずっといたいの?』 その時、何と答えたのか。 それとも、何をも答えなかったのか。 何故か思い出せない。 そして、エイプリルフールに、嘘のように男が消えた。 ―追わなければいけない そう思った。 あの男を捕まえられるのは、 あの男の謎を身包み剥がして解いてやれるのは、 ―俺ぐれーだろ、出来んのは 何より、己の心が、男の謎を解き捕まえたいと、そう欲していた。 抗う理由がなにも、見つけられなかった。 夜の暗闇。 その中で栄える白衣装。 ―イカレてる もうすぐ、だった。 あとほんの3週間くらい、我慢できなかったワケでもなかっただろうに。 ―それともとっくに狂ってたのか そう考えれば、罪人の繋がれる監獄にあって、飄々としていた彼の態度は肯ける。始めから、オカシかったのかもしれない。 そして。 そんな狂った人間に、きっと自分はほんの少しだけ心を寄せていた。 ならば、自分も、実はとっくにおかしくなっていたのだろうか。 「怪盗とか言う奴か、オメーが。ただの脱獄犯のくせに」 「私の招待に応じて頂けましたこと、まこと至福の極みですよ」 「招待だぁ?俺はオメーを連れ戻しにきただけだっての」 青い宝石が欲しいと、米花国保安庁警邏部2課宛てに難解暗号つきで『予告状』を出してきた『怪盗』。解読者モトム、という庁の面子など何処へやら、警務関係省庁に回覧として廻ってきたソレを見た時―すぐに、解った。 怪盗の正体。 以前彼が解いたモノに、わざと似せた規則性。 予告状の写った劣化したコピー紙を手にして浮かんだのは、刑期明けを前にして、静かに警邏の者と入れ替わり、煙のように監獄から消え失せた罪人。何故か脱獄の事実を揉み消され、記録上務め上げた事になっていた男。 「フム・・・何処へ連れ戻すと?貴方の腕の中ならば喜んで飛び込む覚悟はありますが―」 「監獄に決まってるだろーが!」 「おや、工藤刑務官はとっくにその職を辞していると聞き及んでおりますよ?」 さて、なんとお呼びすればいいのでしょうね?とクツクツ笑う男を工藤は睨みつける。 「警邏の者ドモを差し置いて、私を追ってきた貴方には―名探偵の名が相応しい」 そう、思いませんか。 私の名探偵? 白いタキシードに白い手袋、白いシルクハットに身を包んだ男は、滑らかな身のこなしで工藤に近づいて、ポンッと軽い煙幕を張った一瞬後に、工藤の目の前に花束を差し出した。 赤い赤い薔薇の花。 「会いたかった」 受け取るでもなくじっと目の前の花と男を見比べていた工藤は、覚えの在る眼に行き当たり、スイと一歩身を引―こうとして、逆に男の腕に捕らわれた。 「やっと、さわれる」 首筋に掛かる吐息は熱い。 きっと男は今、檻の向こうで時折垣間見せていた、あの眼をしているに違いなかった。 欲望の圧が高まった、本能のままの、獣欲を滲ませた― 「・・・てめッ」 「ねぇ、アンタもそうだろ?わざわざ追ってきてくれ・・―ッ!」 閃いた銀の光。 「物騒だな、名探偵!警棒じゃなくてナイフとは」 「生憎、警棒は返上しちまったからな!ああ、そうだ。監獄にオメーの部屋は無くなっちまってる。どうせ、何かしていったんだろ?あの所長、後ろ暗い事ばっかりしやがってたからな。でも、いいさ・・・だったら、新しくオメーの為の部屋を用意させるだけだ!今度はちゃんと最後まで労役させてやるから覚悟しやがれ。だいたい、働きもせず毎日毎日正座して馬鹿な頭ばっかり動かしてるからドンドン馬鹿になって脱獄なんて真似しやがるんだッ!」 睨みつける、青い青い瞳。 夜空に、怪盗の盛大な笑い声が上がった。 |