*異国?風パラレル* □囚守/追われるもの□ 獄舎から見る月は青く白い。 中空に浮かぶ姿は冷え冷えとしていて、夜の安寧なる眠りに落ちることを拒まれ、夜の端で光に怯えて震え凍える者どもに、冷笑を浮かべるかのように在る。 女神と譬えられるモノ。 米花国中央拘置所刑務禁固刑虜囚収容番号1412号―独房にて、男は月を嘲笑う。 ―結局はただの衛星、惑星の廻りをぐるぐるぐるぐる いっそ墜ちてしまえば良いのに。 一説によれば、少しずつこの星との距離を縮めているとも聞く。しかし、では極の氷が溶けてしまう時間とどちらが速いかといえば、おそらく後者の方が先だ。人が月の墜落を眼にする頃には地上に人など、あるいは人がいたという痕跡すらとうの彼方へ消えている。果てない時差がそこには存在するのだ。―多分。(だってきっと誰も生きていない未来のことなんか、演算子を予測しようにも、修正者が存在しない以上限界があって、史実という歴史のない地球の原始を知ろうとすることと同等に無意味なんだ) 「つまんねぇな…」 そろそろ限界が近い、と男は己の身の内に巣食う獣の飢餓の強さを測る。 青く白い月が鉄格子の檻向こうに落とす灯りは、彼にとってはただ欲望を照らしくすぶらせるだけで、炎を消す冷たさなど感じない。 「そろそろ、イイ頃合いなんだけど」 計算は済んでいる。人選もギリギリを見極め最も安全値が高い者を選びに選び抜いている。何より時世が良い。権力者たちは私腹を肥やし美しい建前の影に潜み血税を他者の涙をすする。欲望が、より強い欲望を持ちうる者が、今は世界を支配している。 「…あとは、乗るか反るか、なんだよなー」 男が出合った、唯一計測不能の人間。 彼を思う時に、何より先に浮かぶのは、青い瞳。 ―あの瞳は一体何なのだ。 男は初めて彼を見た時の衝撃を思い出す。 一目で全てを、魂から根こそぎ全部奪われた、と思った。 それまで、己に関わる全てを掌握し生殺与奪すら思いのままに、と。そう、生きる為に、何より生きる全てを楽しむ為に他者を操縦してきたのに。 男は、己の口元がニィ・・と動いている事を自覚していた。 彼を想うとどこまでも甘美な、いっそ苦しい程の甘さに酔いそうになる。 あんな眼をして。 あんな容貌をして。 あんな言葉を吐くクセに、少し頬を緩めただけで、見る者全てを従える魅了の姿。 欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい 強い強い衝動。生まれて初めての、周りが見えなくなる程の。 今までに無い欲望が強く根深く己の精神と肉体とを縛り、彼を手に入れる為に何を為せば良いかを知ろうと、視覚聴覚は極限まで鋭敏に働き、身体全てで彼を探り始めたのだ。 ―そして知る。 彼の方こそが飢えている人種である事を。 閉鎖された世界で成り行きのままに就いたらしい生業は、彼の幾らかの興味と好奇心を満たしても、決して満足させる事は出来ない。何しろ彼が求める謎の多くは、こんな場末に運ばれた時点よりずっと先に、その殆どが暴かれ明らかにされ、結果彼の前に転がるのは、番号を割り振られて虚ろに在るだけの残り滓だけなのだから。 飢えた眼が、男が提示する謎掛けに興味を示した時。 何気なく男が編み出した解読不可能に近い暗号文を見て、寄越せと彼の立場を使わずに言い放った時。―更には、狡猾にもっともっとと強請ろうとする様は、大層男を満足させた。 彼の気を引けただけで、初めて恋を覚えた少年のように胸が高鳴ったのだ。 彼が欲しい。 そして。 彼に欲されたい。 あまいあまい声音で、男は囁く。 「俺がアンタの欲しいモノになってやるよ」 だから。 「追ってこい・・・アンタの全部で、求めるままに」 翌日、米花国中央拘置所管内にて、収容番号1412号と呼ばれた者が脱獄した。 脱獄日:4月1日。 男:準政治戦犯に属する詐欺罪により禁錮刑に処せられる。労役を嘆願せず独房で刑期を過ごすが、獄中にありながら幾らかの論文や絶えず反省文を書き連ねたことで恩赦に恵まれり。刑期が明けるまで、あと残すところ一月であった。 |