□痴話・後編□


「だいたい、工藤が俺を放っておくのが悪い」
「確かにな。放置せず、退去させて置けばよかったと、俺は心底後悔しているぜ、黒羽」

怒りに満ち満ちた工藤は、それはそれは綺麗に微笑んだ。怒りがどこかに達したのか、はたまた怒りを思い知らせる戦法を変えてきたのか。けれど黒羽にとってはどちらでも良かった。なにしろ、純度の成分が何であれ、工藤新一の曇りなき笑顔は鑑賞すべき至高の宝なのだ。これは見蕩れずには居られない!と、ぽうっとしてしまう。
すると、微笑を一転させて、工藤は顔を伏せてグッと奥歯をかみ締めるような口元をして盛大に顔を顰めた。
まぁ、それも黒羽にとっては可愛いなぁと思う貌なのであったが。

「あのね、新一くん?君が寝食を忘れて推理や新刊に没頭しても倒れることなく生活できたのは」
「頼んだ覚えはねぇ」
「うん、ですよね!いや、恩着せたいわけじゃねーから、ただ、俺が居たという事実を思い出して欲しかっただけだから!」

黒羽とて、工藤が、彼がその膨大な欠片を拾って集結させんとした前夜にも、書斎の椅子でお得意の推理ポーズで暫く固まった後フラリとバラバラ死体のままの絵の前に立っていたのを知っていたし、件のパズルが工藤の中でどういった位置付けにあったのかも承知していた。それなりに。―なので、まだ予想の範囲内だ。
呆れは好ましくないが、怒りならば、良い。工藤が己に向ける感情が、強ければ強いほど嬉しいのが黒羽だった。

「ああ、思い出した。ついでに、そのまま思い出にしてやる」
「記念日化ってこと?!逆鱗に触れた的な?ちょっと嬉しいけど」
「違ェ、バーロ!今日以降、俺の生活からテメーが消えるってことだろうが!」
「そりゃ、却下だ。美しい思い出で終われる男じゃねーぞ、俺は」
「ッ・・・!テメェは本、当に」
「いい男?」

工藤は不意に握り締めていた拳から力を抜いた。怒りのあまり忘れていたが、目の前にいるのは黒羽快斗なのだった。―人の話は聞かない。聞きたい言葉しか聞き入れない。マトモに相手をしていれば、そもそもの発端も忘れ適当に煙に撒かれて気をそらされて、話が違うと気づいた所で、元に戻すのも一苦労で、だったらもう面倒だと結局彼の言い分を呑むような形にされてしまう―そんな相手だ。
これではいけない。体勢を立て直すべきだと、何とか工藤のなかのまだ冷静な部分が告げる。
しかし、それを察したらしい、黒羽が口を開いた。

「そんなに怒りで一杯では、貴方の大切な真実を見逃すことになりますよぉ?」

カチン、と来ることは来たが。怒りを煽るというよりも、工藤を試す口ぶりにふと怪訝な視線を向けた。
視線の色が変化したのを当然の如く読み取った黒羽は、ニヤニヤ面白そうに、指で支えているパズルの欠片を見て、それから、パズルの在る卓に眼を向ける。
非常にわざとらしく、解りやすい仕草。

―なにが、あるってんだ?

「最初さ、普通に線と線で見立てて繋がりそうなところから、嵌めていったわけよ」
「んなやり方で、一晩で出来たのかよ」
「いやー、それで出来たのは半分くらいだったな。あとはさ、線だけで意味がとれそうな部分とかを集中的に?」
「・・・は」
「さすがは、工藤優作氏特注品って感じかな、コレは」
「・・・・!?」
「なんてーの?このパズルって、解いた者に権利があるみたいだし。そういう意味ではさ、確かに工藤の家のモンだけど、少なくとも、提示人にとっては誰が解いても良いもののはずなんだぜ?」

常ならば、工藤を怒らせたことに、土下座せんばかりの―実際しまくっての謝罪の意を見せる黒羽の今日の態度は不自然だった。
つまり、工藤を怒らせても取り返しがつくような隠し玉があるということである。
隠し玉足りえる事物とは、この場においてジグソーパズルしかない。
新一は、初めてソレに正しく向き合った。
―そして、気付いた。

「・・・暗号?」
「正解」
「ツー・トン信号・・・配列序数、易六十四卦の乱数・・・?」
「優作さんさ、編集の人とかに『解けるかな?』って言ってたんだろ?」
「ビッグベン暗号・・・ここから、クソッ、踊る人形かよ!」
「そんで、って聞いて・・・ない?おーい」

黒羽の声を遠くに追いやり、新一は目の前に在る巨大な暗号が隠された絵図に意識を奪われた。
解読キーを場所ごとに割り当てながら、過去の父親の態度を思い出して、自分はまんまと彼の態度にしてやられていたのか、と悔しさがこみあげる。

― 欠片を拾うだけでなにもしない姿
― 一時期パズルに挑戦していた新一に向けていた、揶揄うでもなく見つめる視線
― 外枠とほんの一部が繋がった頃に、失くすといけないからと言って、幾らかの欠片を乗せただけで他のピースを別の場所に保管していた行為


(ちきしょうめ!そりゃー完成させる気なんかあるわけが無ぇ。自分で作ってるうえ、こんなややこしいモン仕込んでやがったら。しかも―)
「くーどーうーくーん?」
「ちょっと黙ってろ!」
「ぇええええ・・・・・」
(ああ、そりゃ編集さん方に、暇でしたら、是非とか言って勧めるワケだ。まず目に付いて解るのが「原稿進呈」だもんなぁ!)
あの工藤優作からのプラチナチケットだ。編集者にとっては値千金どころではない話だろう。
無論、其処に至るまでには果てしなく気が遠くなるパズルへの奉仕が必要になるのだが。

どれくらい経ったのか。
コトリ、と控えめな音がしたのに工藤が眼を向けると、そこには柔らかな湯気を立てるコーヒーカップが置かれていた。
そして、工藤は幾許か逡巡したのち、置いてくれた相手に、ゆっくりを顔を向けた。

「ありがとう、快斗」
「・・・・しんいちっ!」

にっこりと大好きな相手に笑顔を向けられて、喜ばない男がいようか、否、いない。黒羽快斗は、自分の悪戯が許されたことを知って嬉しくなった。

「さ、ホラ」
「・・・・・」

たっぷり10秒ほど、黒羽は彼に差し出された右手を見つめた。

「えーと、つまり」
「残り、やらせてくれんだろ?」

にこにこと屈託無く笑う―ように見せている工藤は、まるで天使もかくあるやという風情であったが、黒羽にはその笑顔の向こうでオラオラさっさと差し出せや!あん?条件?なんのことだか知らねぇなー・・と呟く、色々黒い眼鏡の小学生の幻影を見てしまった。この幻影は、工藤がかの少年のように「あれれー?」と無邪気に笑って見せる場面でよくチラチラ脳裏を掠める。
黒羽は今度こそ、俺のターン!と、再び指先を閃かせた。

「こいつらが欲しいか?新一」
「いや返せよ。ウチのだろーが、バーロー」
「いやいや、だから、そうでもねぇってさっき言ったじゃん!」
「あー、まぁな・・・っ!オメーもしかして」
「あ、俺夕べそれ組むのだけでいっぱいいっぱいだったから。流石に解いてねーわ」
「・・・そうか」
「でも、いちおライン文字んとこはモノ質にさせてもらってるけどな」
「チッ・・・やっぱりか」

風景画に隠された暗号は、大きく見てソレとわかる部分と、読み解くための序文が書き連ねられた文字列により構成されていた。まず絵が示すのは『工藤優作著書き下ろし原稿進呈』。あとはざっくりと見る限り、このパズルがいつ解かれるかを想定しての、ある一定の期間ごとに対しての『原稿保管場所・期限』と、おそらく工藤優作の身に何かあった場合も想定しての最終的永続保管場所足りうる場所の示唆、また、もし、この暗号を共同で読み解いた場合の権利配分・・・といった内容が見て取れた。それだけを読み取るのに、かなりの知識が試されたし、こと詳細に及ぼうとしたら、工藤でも、またいくら黒羽でも、それなりの時間が必要になりそうなものだった。

「とりあえず、穴があると気持ち悪い。オメーが持ってるの、どうぜ横線ばっかの乱数部位だろ?数値が変わると面倒だろーが。ソイツ、寄越せって」

黒羽がまだ解読に手をつけていないと知り、ふんと横を向く工藤の顔は心なしか嬉しげだ。それだけで黒羽は幸せな気持ちで満たされたりもするのだけど。

―いやいや、でも、ここは引かないぞっと

「一個につきキス一回って、言っただろ」
「メンドくせ・・・」
「酷ぇ・・・ずっと放っとかれたけど、けなげに頑張ってた俺に御褒美があってもいいと思うんですが!」
「・・・だからって」
「譲らねーぞ!キスな。もちろん工藤から!俺が場所指定するから、チュって!一個につき一回かそれ以上で、そんでここには5個あるから」
「あーもー、あとで一つ、言う事聞いてやっから、それでいいだろ」
「は」
「ホラ!」

瞬間、様々な計算をさておいて、黒羽は手をクルリと反転させ手のひらに欠片を乗せ工藤に向けた。

「なんでも、いいの?」
「おう。でも、一つだけだぞ」

無造作に黒羽の手の上から目的のモノを攫って手の中に収めた工藤は、視線をまた完成直前のパズルに戻した。
黒羽は、まだ信じられない思いで、工藤の横顔を見つめている。

―えっと・・・なななな、なんでも?!!マジで!!!!?

胸中で大絶叫してしまうのは致し方ないことだ。

どうしよう、どうしよう、どうしよう

黒羽が工藤に望みたいことなど、一つどころでなく山ほど―いやそれ以上にきっとある。
けれど、その中の一つでも『必ず』叶えられると思ってはいないから、工藤の口から零れた台詞には、殆ど恐慌をきたすほどに動揺していた。
彼が叶えると言質をくれたのだ。彼しか叶えられないことを、一つだけ。

無論、このまま暗号に没頭した工藤がそんな事を言ったっけ?などという可能性は多分にあった。しかし、黒羽の手には、もう一つだけ、隠し玉―ならぬ隠しピースが残っていた。
前後の繋がりは大雑把にしか読んでいないから解らないが、彼の手に残っているのは、一つの数字であり、【暗号】という特質を考えるならば、無くてはならない部品であるはずなのである。
切り札は最後まで隠し持つから切り札足りえる。
誉れ高い彼の頭脳は仕掛けるべき場面を決して間違えるなと告げていた。
黒羽が一つだけ願いを叶えられるとしたら、おそらく―最後の1ピースを強請ってくる、その時だろう。
さて、彼に何を願い、どう告げるべきか。
黒羽は全力で脳を動かし始めた。

―やっぱ、さ、うん。素直な男の気持ちとしてだな、

工藤がパズルの載った卓に上半身を乗せるようにして身体を倒している姿は、今すぐその背中に乗ってしまいたいくらいに扇情的で。

―コイツを嵌めたければ、先に俺に嵌めさせて、かなぁ・・・・

鋭いのに、ワクワクが抑えられていない表情に加え、時折ぺロリと唇を舐める仕種は、目の保養を超えて、いろいろ掻き立ててくる毒のようなもの。

―いやいや、ここで直球はアレだろ、余裕なさすぎだ!いや、いつも無いけど。てか考えるだけで・・・・ッ





はたして、その夜。 
何が何に嵌ったか。







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