■痴話・前編■ □快新□


喧嘩だ。
恋人同士の他愛も無い。
たとえ、相手が己を「自称恋人」呼ばわりしようとも。俺が彼を好きで、彼も多分そうであるならば、恋人と言って差し支えがあろうはずはない。
なのに、どうだろう。
目の前にいる恋人は、それはそれは冷たい眼をして・・いらっしゃった。
非っ常ーに、恐ろしい。蛙を睨む蛇どころではない。いっそ青龍か。駄目だ、次元が違いすぎる。
俺の頭上あたりに選択式行動コマンドがあったなら、間違いなく
 ⇒にげる
を選択していることだろう。
じゃ、すればいいじゃないか!そうだよ!敵前逃亡と据え膳泥棒って何か語感が似てる気がするし!と思わないでもなかったが、そうした行動をした場合、もっと後がコワイことになるに違いないのだ。(接触禁止接近禁止出入禁止視姦厳禁etc)

「とにかくだ。まず、謝れ」
「いやだね」

ギリリと更に睨まれて、瞬間土下座したくなる折れ掛けの心を叱咤する。
(俺は悪くない。絶対ぜったい、悪くない!)

「俺が謝る理由なんか無ぇだろーが」
「ありまくりだ、バーロー」
「どこに?なんで駄目?」
「・・・っ」

言いたい事がありすぎて逆にぐッと言葉に詰まりでもしたようで、彼の顔に血が上って頬や耳に朱色が刷ける。眼が怖すぎる感はあるものの、結構どころかかなりコチラを刺激する姿だった。

「工藤が相手してくれないから、暇つぶしにしてただけじゃん」
「・・・」
「お楽しみ分けてあげようと思ったのに、拒否ってるの工藤だろ」
「・・・それは」
「別にオカシイこと言ってるわけでも、してるワケでもあるまいし、さ」

むしろ優しいと思う。
確かに台詞は悪者っぽく演出した。だが、それだけだ。
内容なんて、俺がされた仕打ちに比べれば、なんて容易いことであるだろうか。

    □ □ □


工藤家は、工藤邸と呼ぶに相応しき佇まいをしたお屋敷である。
世界的にも有名な推理小説作家が根城にする書斎の広さに書庫の豊富さは言うまでも無く、何故お手伝いさんや執事の姿が見当たらないのかと首を傾げるレベルだ。
そんな屋敷の書斎の傍に、来客用の一室がある。
だだっ広い書斎と直通の扉で結ばれ、と同時に書斎を通らずとも廊下に出られる位置に作られたほんの(といっても、書斎に比べれば、の広さだが)12畳ほどの部屋である。
工藤優作が在宅していた時分、そこは時に主人の気晴らし部屋であり、時に―締め切りという魔物が主人に近づいて来る時、魔物のお使いである編集者達が使用する控え室のようなものであったという。

その部屋の真ん中には約三畳分ほどもある大きな机があり、その面積を殆ど覆うようにして、ジグソーパズルの下地用型紙が載っていた。
思考が同じ場所をグルグル回り出した時、作家に圧力を掛けながら見守る編集者の気を少しでも時計から反らしてやろうという思惑までもがあったかどうかは不明であるが(作家に、どうぞ!と勧められても、そんな余裕ある編集者はついぞ居ないようであったが)在室者の手慰みにと置かれたパズルはとにかく大きかった。しかもセピア色の濃淡で描かれた風景画だ。全体の7割強を空と野原が締めていれば、いくら根気があっても、気が遠くなる事もしばしば。
遠くなったついでに、思考をまた内在する海へ旅立たせるのが目的でもあったのか。
とりあえず、端から完成させる気なぞ起こさせない巨大な特注品なのだった。

工藤新一も、それを部屋の一部、風景としてさえ思って数年を過ごしてきた。
最初にパズルが設置された時は、さてお前にできるかな?などと笑う父に対抗して、仕上げようとチャレンジしたこともある。しかし、なにせ数は多く、とにかく判別しにくいものばかり。
暫く経って、パズルが部屋の一部に同化しつつあった頃。
新一は、父が完成させる目的でなく、パズルの前にいることを確信した。この時、新一はあえて、パズルを完成させようとは思わなくなったのだ。
そして自身もまた、思考に沈んでいた父親の姿をなぞるように、推理や何やで煮詰まったときに、ただ、ピースを摘み上げて、眺める、という事をするようになっていた。

ひとつ、拾う。
大きな画面を眺める。
入る場所はどこなのだろうか、観察する。
ほのかな色・濃淡・凸凹・模様
分厚い紙の感触
左右を上下に
上下を左右に
・・・・
・・・
居場所を見つけられない欠片を、そっと元あった場所に戻す。
ピースは嵌らなかった。しかし。
なにも成していなくても、頭はスッキリしていて、それで十分なのだった。
絵は完成していないけれど、それでいい、と新一は満足感すら覚えることもあった。
完成しないことで完成している品、と思っていたのかもしれない。

それが、だ。

工藤新一がいつものごとく、彼に降り掛かったり、眼に映ったり、持ち込まれたりした事件に立て続けに遭遇し、あまつさえ待っていた推理小説の新刊ラッシュなんぞが重なっていた時期。スッカリキッパリ頭の外へと追いやっていたモノ―いや人間がいた。
黒羽だ。
いや、別にわざと忘れていたということはない。多分。
大体顔は毎日のように見ていてたし。まぁ見るだけで、大した会話も無く接触もなかったくらいで。
黒羽は工藤の知る限り、何気なく傍にいて時にシツコク時にヤレヤレと肩をすくめて新一を構う人間なのだが、同時に非常に勘の良い奴で、絶対に相手が己を顧みない状況にある時は、下手に食い下がらず、じっと機会を窺う空気を読む人間である。
よって、此処の所の新一が非常に忙しくて大変で私事に構う暇がないのも見て取っていたし、当然スッカリ黒羽という人物を頭の隅どころか遥か彼方へ追い遣りかけていた空気もキチンと読んでいた。

・・・・読みたくないのに読んでしまった黒羽の反応は、それはそれは憐れなものであったらしい、と、工藤は隣人に聞いている。
「恋人なのに!可愛い恋人の邪魔しないようにしてたら、忘れられてるって何なんだ!」
「うるさいわ、黒羽くん。隣へハウスよ」
「構ってもらえず暇すぎて作っちゃったケーキ分くらいの愚痴をせめて聞い」
「ハウスキーパーとして彼の体調維持管理業務を放棄するなら、全力で貴方を排除することに躊躇いなどないのよ、私には」
「恋人・・・!」
「ハウスキーパーはハウスへ戻るの、さっさと・・・それが、解らない、の?ねぇ?」
「えっと、今すぐ職場復帰するんで、その注射針はしまってください。お願いします!!」
彼の哀れぶりはともかくとして。・・・・

黒羽快斗は彼が称する所によると、工藤新一の恋人であるらしい。
そうだっけ?とたまに工藤は首を傾げることもある。だが、そうだよ!とさも当たり前の顔で返されるし。違うだろうと一言やら一事象について反論を含め指摘してみれば、立て板に水が流れる如く百の反論が返ってくるものだから、イチイチ相手をすることが面倒で、じゃあそれでいい、などととつい返してしまったのはいつのことだったか。それ以来、大分激しく恋人を主張するようになったが、現在のところ「自称」の文字は取れそうに無い。


その自称恋人黒羽快斗の行いに、新一は大変腹を立てていた。
まぁ、なんだかんだで、忙しさに存在を忘れられていた黒羽のおそらく報復的凶行が事の発端であったのだ。


「どういうつもりで、・・こんな事しやがった!」
「えーと?ジグソーパズルを組み上げる目的って、必要なの?」
「・・・っ。大体、何だって、ここで」
「工藤に許可は取ってるんだからな?俺はオメーにちゃんと聞きました!」
「ん、だと?!」

工藤と黒羽の立っている場所は、書斎の一部のジグソーパズルの鎮座する部屋であり、工藤の眼の端には、残り数ピースで完成を待つばかり、という状態の、彼思うところの『未完成が完成体』という姿を9割ほど失った絵版が映っていた。
最初に眼にした時は、一体どんな不可思議現象が襲ってきたのかを思った程だった。
そもそも完成を期待されていないモノの、完成を待つ姿―いっそ、パズルのピースが意思をもって、その状態に己を引き上げた・・・というSFでも怪奇現象でも、工藤にとっては、そのほうがしっくりくるし、ならば仕方ないと納得することも出来ただろう。
しかしだ、その部屋には一人の人間が存在し、驚いて言葉もない工藤に向かって、悪戯の成功を喜ぶような表情でケケケという笑い声まで立てていたのである。

こんな、これまであった景観を崩されても構わないなどと言った覚えは工藤には無かった。もし、黒羽がこのパズルに興味を示し、やってもいいか?と聞いていたら、おそらく工藤は断っていただろう。大した頭脳を持っているらしい黒羽であれば、おそらく完成してしまうと普通に思ったし、完成した姿への興味が完全に無い、というワケでもないのだが、自分が―父が、フラリと足を向けていた部屋が、きっと変質してしまうという思いがあり、そうはされたくない、有り体に言えば、立ち入られたくないという思いがあったので。

「暇だから書斎に居るよ、って」
「ここは、書斎の一部であって、書斎じゃねーし、居るだけだってんなら」
「適当に家のもの使うなー、ってさ」
「台所の話だろ、ソレ!」

完成しかけの巨大なパズルを見た時、これまで思索の場にしていた、静かで、ただそう在るような部屋に、突然主(ヌシ)が現れたような、妙な気持ち悪さがあった。
ゆえに工藤は理不尽を承知で怒りを抑えられなかったのだ。
よくも、余計な真似をしてくれやがったな、この野郎!である。
いや、しかし。
怒り狂う程の事ではない。
そんなことは理解できる。けれど、そう、感情が納得する気配が無く、より的確に思いの丈を言い表せというなれば、ただただ心底 ム カ つ い て い る だけなのだった。
現状を、元の状態に戻すことなど、おそらく一瞬だ。
工藤の目の前で全く悪びれずに笑う男の能力をもってすれば。
工藤の見立てでは、彼に瞬間記憶能力辺りが付随していても不思議ではない。この男はあの判別しにくい欠片を一つ一つ収まるべきところを掌握し正確に記憶しているに違いない。
しかし。
そうしてしまう事に、一体なんの意味があるというのだろうか。
パズルは組み立てられるのを待って、自身を分別可能なギリギリのラインまで細分分離化した玩具だ。それ以上の意味を求めるものではない。―少なくとも、欠片を嵌めようと夢中にならなかった父や己以外にとっては。
黒羽快斗にとっては、暇つぶしの一つだっただけのこと。

「俺は、勝手にコイツを解いてもいい、なんて事言ってねぇっての!」
「ふーん」

怒りが先立つ理屈を欠いた言い分に、黒羽は気の無い返事をするばかりで、それどころかほんのりと笑みを貼り付けている。それが、更に工藤を苛立たせている。

「じゃ、工藤にコイツらを嵌める権利譲っちゃうぜ」

開いた手のひら―指の間に5ピースを綺麗に挟み並べて、黒羽は笑った。

「ただし、一個につき、キス一回な!」
「ふっざけんな!バーロー!!誰がするかこの黒馬鹿ッ!」

ここで、工藤の怒りは頂点に達し、・・・冒頭へと戻るのである。






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